ハァ・・・とため息がこぼれた。 広い広ーい部屋の中。ベッドとテーブルしかない、殺風景な部屋。 そこは“彼”の部屋だからだ。ここに自分の部屋はない、あったとしても、彼女がそこにいることはないと思うが。 1つだけ置かれているベッドの上で、膝を抱えて座る。ハァ・・・こぼしたため息は空気に溶けた。
「・・・どうしたらいいの?」
1度閉じられた魔界への扉は、再び霊界の力によって開けられた。そのため、桑原以外の4人は、魔界へとやって来ていた。 幽助以外は「帰ってきた」が正しいが。 魔界に帰ってくれば、あの3年間のような生活が戻って来ると思っていた。大事なものを捜す作業。飛影と2人きりで、ずっと過ごせると思っていた。 だが、実際はそうではなかった。この移動要塞の中に、飛影がいるのはわかっているのに。彼は
を1人部屋に残して、どこかへ行く。数日ぶりに戻ってきたかと思えば、全身傷だらけ。そして、気まぐれに
を抱く。 1つになっている瞬間、このまま時が止まればいいのにと、何度も思った。 もうすぐ半年が経つ。その間、
はまるでこの部屋に囚われているかのような生活をしていた。
「・・・ついて来ちゃ、いけなかったのかなぁ?」
確かに「ついて来い」と言われたわけではない。それでも、
はさも当然のように飛影について来た。 5年前の日々に戻りたい・・・そう思った。魔界へ戻れば記憶が戻るかと言われれば、そうでもない。これなら、人間界で桑原と勉強していた方が良かったのかもしれない。 と、部屋のドアが開いた。「飛え・・・」と名を呼ぼうとした
は、思わず言葉を飲み込んだ。 入ってきたのは、1人の美女。体の半分が機械化している。その肩に、
の恋人を担いでいた。 ツカツカと入ってきた女が、ドサッと乱暴に飛影をベッドに寝かせた。
が慌ててその頬に触れた。その温もりにホッとする。
「お前が飛影の連れてきた女か」 「・・・?」
女が冷たく言い放つ。今の声に聞き覚えがあった。ここへ来た時だ。入ってくるな、と飛影に言われ、ドアの外にいたが、声だけは聞いていた。
「あなた・・・ムクロ?」 「そうだ」
思わず目を丸くした。魔界の三大勢力の1人が、こんな小柄な女性だったとは。
「お前は、何しにここへやって来た?」 「え?」 「オレは飛影が気に入った。オレに渡せ。お前にはもったいない」 「・・・何を・・・?」
何を言っているのか。あ然とする
の前で、ムクロは飛影に視線を向け、次いで自分の胸に触れた。
「オレは飛影に全てを曝け出した。そうしたいと思った奴は初めてだ」 「だから? 渡せっていうの?」 「お前は飛影に何かしてやれるのか?」
放たれた言葉。
が今1番気にしていることだ。ギュッと握った拳が震える。
「わ、私は・・・!」 「何もしてやれまい。だから渡せと言っている」 「そんな・・・」 「飛影はお前を求めたことがあるか? ついて来いと言われたか? なんの力にもなれないお前は、役立たずだ」 「!!」
否定出来なかった。ムクロの言う通りだ。
は勝手に飛影について来た。傷を癒すことしか出来ない存在。彼が強くなるための力になど、なれるはずがなかった。
「返事は、いらん。よく考えることだな」
ムクロはそう言い残し、部屋を出て行った。 残された
は、しばらくその場に立ち尽くしていた。自分の存在意義を見出すことが出来ない。飛影の足を引っ張ることしか出来ていない。
には、力がある。幽助と互角・・・いや、それ以上かもしれない。だが、飛影はその力を使うなと言う。余計な奴らに目を付けられたくないからだ。 もしも力を使っていいのなら、飛影の特訓の力になれる。“何か”をしてやれるのに。 ゆっくりと、ベッドの上で眠る飛影に目を向ける。そのまま、その体に近づくと、唇に口付けを落とした。
「ごめん・・・ごめんね、飛影・・・!」
弱くて、ごめんね・・・。
***
フッ・・・と目を覚ました。ボンヤリとした頭で、何があったかを思い出す。 そうだ・・・ムクロのことを教えてもらう代わりに、かつての師匠と戦った。切り落としたはずの左手が、何事もなくくっついている、
が治療してくれたのか。 フト、胸にかかった2つの氷泪石に気づく。1つは雪菜の。1つは飛影の。 捜していたものは、これで2つとも見つかった。自分を捨てた故郷と、形見の氷泪石。 そこで気づく。部屋の中に誰の気配もないことに。ここは間違いなく飛影の部屋だ。それならば、当然ここにいるべき人物が見当たらない。
「
」
試しに名前を呼んでみるが、反応がない。 どこかへ行ったのだろうか? 飛影の部屋から、ほとんど出たことのない
。出る時は、いつも飛影が一緒だった。ムクロの部下に目を付けられないようにするためだ。
「おい、
」
もう1度、名前を呼ぶが、やはり返事がない。 チッと舌打ちし、額の邪眼を開く。百足の中を捜すも、その姿が見当たらない。まさか、ここにいないのか。 慌ててベッドを下り、部屋を飛び出す。手近にいた妖怪に、「
はどこだ!?」と尋ねるも、知らないと返された。そうして、何人かの妖怪に声をかけると、そのうちの1匹が言った。ムクロと話していたと。 礼も言わず、飛影はムクロの元へ向かった。部屋の中へ入れば、ソファに先ほど、おぼろげに見た美女が座っていた。飛影はズカズカとソファに悠々と座っていたムクロに歩み寄る。
「どうした? 飛影。血相変えて」 「あいつを知らないか?」 「あいつ・・・?」
知っているくせに、とぼける気か。ニヤリと笑うムクロに、飛影は苛立つ。
「
だ」 「ああ、あいつなら出て行った」 「出て行った?」
あっさりと言ってのけたムクロに、飛影は眉根を寄せた。ムクロは「ああ、そうだ」とうなずく。
「あの女は、自分の存在意義がわかっていなかった。お前にとって、何の役にも立っていないことを」 「なんだと・・・?」 「だから、言ってやったのさ。“役立たずだ”とな」 「貴様・・・っ!」
カッとなった飛影が、ムクロの首元を掴み上げ、恐ろしい視線で睨みつける。並大抵の妖怪や人間なら、尻尾巻いて逃げるほどの鋭い眼光だ。だが、当然ながらムクロは動じもしない。
「あの女、隠し持った力があるな。なぜ使わせない?」 「オレが必要としていないからだ」 「力を必要としていない? ならば、何故傍に置いておく? 性欲処理なら、あいつでなくても十分だろう」 「っ!!」
グッと襟元を掴む手に力がこもる。飛影がギリッと歯噛みする。
「お前のそんな顔は初めて見るな。なに、心配するな。お前がそこまで気に入った体だ。他の奴の相手に・・・」
ムクロの言葉が途切れる。飛影の拳が?の左頬に叩きこまれた。殴られたムクロは、ペッと口の中の血を吐く。
「そんなに大事か? 失敗したな。それなら、オレの傍らに置いて愛でればよかった。そうすれば、お前はオレから逃れられない」 「貴様のような奴は、反吐が出る」
グッと乱暴にムクロの体を押しやり、飛影は部屋を出ると、百足の外へ出た。 飛影が邪眼で捜せば、すぐに見つかると思わなかったのだろうか? 案の定、その姿はすぐに見つかった。場所もよく知っている。あの石の家へ向かっていた。 素早い動きで走りだす。飛影のスピードなら、ものの数分で追いつく。泣きながら歩いている
は歩みも遅い。あっという間に追いつき、彼女の前に立ち塞がった。
「飛・・・影・・・」 「・・・・・・」 「ど・・・して・・・」 「何を考えている。馬鹿め」
冷たく言い放つ飛影に、
は背を向け、別の方向へ歩き出す。目も合わせない
に、飛影はチッと舌打ちした。
「どこへ行く気だ」 「飛影には・・・かんけ・・・ない・・・」 「関係大ありだ。戻るぞ」
パシッと乱暴に
の手首を掴むと、強い力で振り払われた。
「やめてっ!! もう、私に・・・構わないで・・・!」
泣き顔のまま、
が怒鳴る。こんな風に、
が飛影を拒絶するのは、初めてだ。初めて会った時も、拒絶はしたが、ここまで頑なではなかった。 ?に言われたことに傷ついているのだろう。
の大きな瞳から、ポロポロと透明な雫がこぼれる。
「あいつに何を言われたかは聞いた。帰るぞ」 「帰らない」 「ふざけたことを・・・」 「私が飛影の傍にいる意味って何!? いつも大怪我して戻ってくる飛影を心配して、怪我を治して、体を求められて・・・それだけでしょう!?」 「それで十分だ」
冷たく言い放つ飛影に、
は顔をクシャクシャに歪ませた。
「私は・・・ムクロみたいに、飛影に信頼されたいよ! うらやましいよ・・・」
両手で顔を覆い、
が泣きだす。うっう・・・と嗚咽を漏らす
に、飛影は歩み寄った。
「あの3年間は無駄だったか?」 「・・・え?」
飛影の言葉に、頭を上げる。赤い瞳が、ジッと
を見つめている。
「オレと過ごした3年間は・・・全て無駄だったか?」
そんなはずがない。あの3年間は、
にとって夢のように幸せだった日々だ。無駄だなんて、思うはずもない。
「お前はあの頃、オレが出かけても、必ずあの家で待っていてくれた。帰ってきたオレに“おかえり”と声をかけてくれた。お前はオレの“帰る場所”だった」 「・・・・・・」 「お前と会うまでは・・・正直言って、死のうが生きようが、どうでも良かった。もし死んだら、それはオレの力不足だ。だが、お前と会ってから、オレは生きたいと思うようになった」
ツラツラと話す飛影に、
は目を丸くする。飛影は
から目を逸らしたまま、言葉を続ける。
「お前と別れて・・・オレはひどく荒れた。力を求めた。悪事にも手を染めるようになった。そんな時だ。幽助と会い、お前と再会したのは」
そして、再び飛影は悪事から足を洗った。別の目的を見つけたからだ。
「お前は、オレの生きるための糧だ。お前の元へ帰るというのは、オレの使命みたいなものだ。お前には迷惑かもしれんがな」 「そんなこと・・・!!」
首を横に振る。飛影が自分に執着してくれることが、たまらなくうれしい。自分のために、生きようとしてくれているなんて。
「オレがお前に求めるのは、ただそれだけだ。オレの帰る場所になってくれれば、それでいい。体は二の次、三の次だ」 「飛影・・・」 「戻って来い、
」
そっと手を差し伸べる飛影。動かない
に「二度は言わんぞ」と告げる。
「本当・・・? 本当に私、傍にいるだけでいいの?」 「そう言っている」 「役立たずじゃ・・・ないの・・・?」 「オレがいつ、そんなことを言った」
キュッと下唇を噛む。涙がポロポロこぼれた。それでも、
は飛影の胸に飛び込んだ。
「いらん時までついてくるくせに、何を今さら言ってるんだ、お前は」 「だって・・・だって、ムクロが・・・!」 「あいつはお前をからかっているだけだ」 「そんなことない・・・! 本気だよ! ?は本気で飛影のこと・・・」 「もう言うな」
言葉を封じるように、口付けが降って来る。まぶたに、鼻の頭に、首筋に、唇に。
「・・・帰るぞ」 「・・・うん」
の体を抱き上げ、飛影が元来た道を戻る。 本当は、あの石の家に帰りたかった。またあの家で2人で暮らせたら・・・。だが、今の飛影は?の下にいることを選んだ。百足を離れるつもりはないだろう。
「・・・飛影」 「どうした?」
走りながら、飛影が応える。
が飛影の首に回した腕にギュッと力を込めた。
「ありがとう・・・大好き・・・」
再び泣きだした
に、飛影は足を止めた。
が不思議そうに飛影を見上げる。
「なぜ泣く?」 「知らないの?」 「何をだ」
そっと飛影の胸に頬を寄せ、
は目を閉じた。
「うれしい時にも、涙は出るんだよ」
***
「さっきから、何をニヤニヤしている」
と交わった後、、彼女の小さな体の横で肘をつく。
が天井を見つめ「幸せだから」とつぶやいた。飛影は「幸せ?」と尋ねた。
「だって、さっきの飛影の言葉、うれしかったもん。傍にいていいんだ、って思ったよ?」 「・・・・・・」 「エヘヘ・・・思い・烽謔轤ネいことだったから、ビックリしたけどね」
違和感のあるだろう下腹部を、飛影が撫でると、
が「ねえ!」と何かを思い出したかのように声をあげた。
「子供作ろう?」 「何を馬鹿なことを言ってるんだ、お前は」 「だって、私おばあちゃまに約束したんだもん! おばあちゃまに私の子供を見せてあげるって!」 「下らん約束をするな」 「おばあちゃまは、あと100年はムリだろうって言ってたけど・・・そんなことないよね?」 「さあな」
クルリと飛影は
に背中を向けてしまう。そんな飛影に
は「もう・・・!」とため息をついた。 ベッドを出て、シャワールームへスタスタと歩いて行く背中に、「飛影」と声をかける。チラリ・・・視線だけがこっちを向いた。
が起き上がり、両手を広げている。ハァ・・・とため息をつき、飛影は彼女の元へ戻り、ギュッと体を抱きしめた。
「私も、トーナメント出る」 「・・・何?」 「出る〜! 出るったら出る!」 「でかい声を出すな」
一体何を言い出すのか。呆れる飛影に、
はムゥ・・・と下唇を突き出した。
「どうした、いきなり」 「だって・・・私も出たいんだもの」 「駄目だ。幽助だって、お前のことは出場者の枠に入れていない」 「ずるい・・・」 「それに」
飛影が言葉を切る。
が「それに?」と先を促した。
「お前が本気を出したら、お前の優勝に決まってしまうからな。それとも、オレと戦いたいか? どういう組み合わせになるか、わからないんだぞ」 「・・・飛影と戦うのはムリ」 「それじゃ、あきらめろ」 「でも、暗黒武術会の時も、私、死々若丸としか戦えなかったし・・・」
拗ねた表情を浮かべる
に、飛影はコツンと軽く頭を小突いた。痛くはなかったが、意外な飛影の行動に、
は目を丸くした。
「言っただろう。傍にいるだけでいいと」 「飛影はそれでいいかもしれないけど、私が物足りないの〜!!」 「我慢しろ。恐らく、お前に敵う奴などいやしない」 「それでもいい! 暴れたい!」
なるほど・・・日ごろのうっぷんを晴らしたいというところか。だがしかし、飛影が相手をしてやることは出来ない。 と、なれば。 先ほどの件もある。報復の意味も込めて、適任かもしれない。 飛影が相手に選んだのは、ムクロだ。相手として不足はないだろう。
「思いきってやれ」
果たして、ムクロがどうなったのか・・・それは
と飛影、そしてムクロ本人しか知らない。 |