ローファーに足を入れ、トントンと爪先で地面を蹴る。制服のタイが曲がっていないか、確認。「よし!」とうなずいた。
「おばあちゃま、行ってきま~す!」
「ああ。今日から3年生だったね」
家の奥から姿を見せた幻海に、は笑顔で「うん」とうなずく。
「クラス発表があるから、ドキドキしてるの。幽助くんと桑原くんと、同じクラスがいいなぁ」
「あんまりあの2人に悪影響受けんじゃないよ」
「アハハ・・・飛影と同じこと言ってる・・・」
学校に通うのはいいが、幽助と桑原に感化されるな、と言われたのだ。今さら、もう遅いとも思うが。
「だーいじょーぶ! 見習うなら、優秀な南野くんを見習うから! じゃあ、行ってきま~す!」
「気をつけるんだよ」
浮かれていた。
暗黒武術会が終わった翌日、死んだはずの幻海が生き返り、共に帰って来られた。もう会えないと思っていた。それがうれしくてたまらなかった。
その上、今日は新学期、新学年。人間界へ来て、もう2年が経ち、もうずい分とこちらに馴染んだものだ。
今さら、魔界に帰りたいとも思わない。あの頃は、飛影が魔界で待っているから・・・と戻りたい一心だったが、飛影は今ではこちらにいる。というか、帰れなくなった・・・らしい。
それならば、ウチで一緒に暮さないか・・・と提案したのだが、鼻で笑われてしまった。ショックである。
「・・・会いたくなったら、会いに来る」
そう言い放った。飛影にしては、かなりの前進だ。だが。
「私が会いたい時には? 会いたいと思うのは、飛影だけじゃないよ?」
そうだ。の意思はどうなる。なぜ、飛影が幻海の家で共に暮らさないのか、疑問だ。もしかして、ずっと顔を見ていたいと思っているのは、自分だけなのか。あの3年間、絶えず2人でいたというのに。
「・・・浮気しちゃうよ?」
ポツリとつぶやいたに、飛影がピクリと反応した。聞き捨てならないセリフだったらしい。
「・・・勝手にしろ。それでお前が離れていくなら、オレはその程度の男だったというだけだ」
なんとも自虐的な言葉だ。まさか、そんなことを言うとは思わなかった。どうやら、飛影の方が一枚上手だったのか。
飛影には敵わないな~と思い、気づけば中学校に到着していた。
クラス割りの掲示板を見上げる。「あ・・・」と声があがった。浦飯、桑原、如月・・・3人の名前は固まって、すぐに発見することができた。
「よう! 」
「幽助くん! おはよう。今日はちゃんと時間通りね」
「まあな。ま、実を言うと、一昨日までの疲れが残ってるから、サボろうかと思ったんだけどよ」
「そうだよね・・・」
幽助は戸愚呂と死闘を繰り広げたのだ。の力で怪我は回復したが、体力は回復できない。
「あ、そうだ。改めて・・・ありがとう、幽助くん」
「あ? 何がだ?」
「命を賭けた私のこと、救ってくれた」
「何言ってんだよ。それだけ、はオレのこと信頼してくれてたってことだろ? 礼を言うのはこっちだ」
「幽助くん・・・」
穏やかに微笑むに、幽助が照れる。そっぽを向き、頭を掻く姿は、顔が赤い。
「おめーら、朝からな~にイチャイチャしてんだよ」
「桑原くん、おはよう」
茶化す桑原に、が笑顔を向ける。「おっす」と彼が片手を上げて、返事をした。
「飛影と雪村にチクんぞ」
「バッ・・・! 螢子は関係ねーだろ!」
「飛影も“だからどうした”くらいしか言わないと思うよ?」
幽助の発言はともかく、の言葉には首をかしげてしまう。
飛影がに対して、ものすごく過保護なのを、幽助も桑原も知っている。今、こうしている間も、きっとどこかで監視しているに違いない。
「あ、そうだ。私たち3人、同じクラスよ」
「お? ホントか? ラッキーだな!」
「1年間、よろしくお願いしますね」
「おう、こちらこそ」
3人揃って、教室へ向かうその姿を、他の生徒たちが振り返る。
あの如月さんが、浦飯と一緒にいる・・・とボソボソ会話しているのだ。
の穏やかな笑みと、可憐な容姿に、彼女に想いを寄せている生徒は多いのだ。それが幽助と桑原という、皿屋敷中の問題児2人とつるんでいるのは、ショックな出来事だろう。
幽助には螢子がいるが、桑原の方は・・・。もしや、は桑原の・・・?と予想する者もいた。
教室に入り、適当な場所に座る。もちろん、1番後ろの席だ。本来、出席番号順に座るところだろうが、気にしない。文句を言う生徒も、当然ながらいなかった。
始業式は、すぐに終わる。下校していく生徒たちを眺め、も「おばあちゃまのご飯の仕度があるから」と立ち上がる。
「そーいやよ、と飛影は、これからどーすんだ?」
「どうするって?」
「武術会も終わったことだし、2人でゆっくりどっか行ったりしねーの? こっち来てから、まともに飛影とデートもしてねーだろ」
「どっか行くって・・・どこへ?」
幽助の問いに、は首をかしげる。
「2人で旅行とかよー」
「だって、私は学校あるし。それ以前に、飛影がどこにいるのか、知らないし」
「は!?」
その発言には、幽助だけでなく、桑原も声をあげた。はキョトンとし、さも当然だ・・・という表情を浮かべる。
「マジで言ってんのか? 恋人同士なのに、どこにいるのか知んねーの!?」
「うん。飛影、フラフラしてるし」
「ばーさんの所で、一緒に暮らせばいいだろ。あんだけ広いんだ。飛影1人が増えたところで、困んねーだろ」
「私もそう思ったんだけどね・・・。1か所に留まるのはイヤみたい。私と2人きりの時は、いつも一緒にいてくれたんだけどなぁ・・・」
恐らく、「そんなにと離れたくないのか」と思われるのが嫌なのではないかと。実際離れたくないのだから、間違いないと思うのだが。
「んじゃ、飛影とは自由に会えないのか」
「うん。“会いたくなったら、会いに来る”って」
「・・・あいつ、そんなこと言ったのかよ」
驚きである。あの飛影がそんなことを言うとは。
しかし、そう考えると、暗黒武術会の10日間は、2人にとって久し振りに一緒にいた時間だったということか。
「これで霊界探偵の任務が来なければ、ゆっくりできるね」
「ああ」
そう。しばらくゆっくりするつもりだった。
実際、任務は来ず、一週間ほど平和な日々が続いたのだが・・・。
「じゃあね、2人とも。私は先に帰るね」
来てしまった任務。なのだが、はその内容を聞かず、帰ると言いだした。
「え? ぼたんの話、聞かねーのか?」
「霊界探偵の任務は、幽助くんのお仕事でしょ? 私はおばあちゃまのお世話があるし。困ったら、手伝ってあげる」
じゃあね、と手を振り、学校を後にした。
さて、今日の夕飯はどうしようか。冷蔵庫には何が入っていただろうか? 何を買って帰ろうか。そんな献立を考える様は、さながら主婦のようである。だが、すでにそれは義務ではなく、習慣となっている。
確かに、最初は家に置いてもらうための交換条件だったが、今ではそれが自然な流れとなっているのだ。嫌だと思ったことは1度もない。
スーパーで買い物をし、家へ帰る。「ただいまー」と声をかけるも、反応がない。いつもなら「おかえり」と声が返ってくるというのに。
「おばあちゃま?」
シーンと静まり返っている家の中。色々と部屋を捜してみたが、その姿はなかった。
首をかしげつつ、とりあえず掃除をしようと決める。制服から私服に着替え、浴室の掃除を始めた時だ。
「―っ!!」
外から、桑原の声がした。
「、いねーのか!?」
尚も呼ぶ声がする。声の調子からして、ただ事ではなさそうだ。スポンジを置き、玄関へ。サンダルをつっかけ、外に出て、目を丸くした。そこには桑原だけでなく、ぼたんと蔵馬がいたからだ。
「どうしたの? 血相変えちゃって・・・」
「! 飛影はどこだ!?」
「飛影・・・? この前も言ったでしょ。一緒に住んでないの。会いたい時に会いにくるって言ったじゃない」
「あー・・・そうだった! あんニャロー! 恋人にくらい居場所教えとけっつーの!!」
「何があったの? ぼたんさんの依頼絡み?」
「いや、これを・・・」
桑原が差し出してきた紙を見て、は眉根を寄せる。幽助を預かった、と書かれている。助けたければ、桑原、蔵馬、飛影、の4名を連れてこい、と。
「なるほどね・・・。それで飛影を捜してるんだ?」
「時間がねーんだ。どっか行きそうなとこ知らねーか?」
「うーん・・・。私の方は何も」
「どうにか飛影と連絡がつけばいいのですが・・・」
「いーや! 飛影をおびきだす手があるぜ!」
蔵馬のつぶやきに、桑原が自信たっぷりに言い放つ。たち3人が、そんな桑原に視線を向けた。
「え・・・? どこにあるんだい??」
ぼたんが声をかけると、桑原がズイッとににじり寄った。思わず、は後ずさる。
「・・・胸でも尻でもいいから揉ませろ!!」
「・・・は? な、何言ってるの、桑原くん! こんな時に冗談は・・・」
「こんな状況で冗談言うか!」
「な、なんで桑原くんにそんなことさせなきゃいけないのよ!」
「いいから、揉ませろ~!」
「キ、キャアアアアッ!!」
桑原がに魔の手を伸ばそうとした時だ。スラリ・・・顔の横に、抜き身の刀が突きつけられた。
当然、そんなことをするのは・・・。
「飛影・・・!」
「ほ~ら、おびき出せただろ・・・?」
「・・・・・・」
得意げに言うも、顔が引きつっている。飛影はチッと舌打ちをすると、刀を収めた。まんまとおびき出されてしまった。
「・・・桑原くんの・・・バカ~っ!!」
「おぶっ!!」
だが、惨劇は終わらなかった。桑原の左頬に、強烈なのビンタが飛んできたのだ。すさまじい威力に、桑原の体が吹き飛んだ。
「・・・他にも方法があったでしょうに」
「自業自得ってヤツだね」
吹っ飛んだ桑原の首の骨がいかれていないかどうか、心配しながらも、蔵馬とぼたんは小さくため息をついた。
***
全てを仕組んだのは、幻海だった。武術大会優勝で浮かれていた幽助に、油断大敵ということを教えたかったのだ。
魔界の穴・・・今度はそれが大きな事件。それがどんどん巨大化し、強力な妖怪が人間界へ来ようとしているのだという。
「人間界がどうなろうが、オレの知ったことじゃない。魔界へのトンネルが通じるなら、願ったり叶ったりだ」
飛影のこの言葉に、怒りを顕にしたのは桑原だ。
立ち去って行く飛影に「あいつは、あーゆー奴なんだよ!」と憤るも、幽助は「オレたちだけじゃ、どうにもならなくなったら、助けてくれるさ」と言ってくれた。
と、が飛影を追いかけようとする。が、幻海に呼び止められた。
「今はあいつの好きにさせといておやり。戸惑っているんだろ。自分の強さと引き換えに、魔界に帰れなくなった。そのジレンマにね」
「でも・・・私は飛影と一緒にいたいよ・・・」
幻海の忠告を突っぱね、は飛影を追いかけた。屋敷を出るも、飛影の姿は、もうない。
「飛影! お願い、出てきて! まだこの辺にいるんでしょ?」
叫ぶも、その姿は見えない。は何度も飛影の名を呼ぶ。だが、反応はない。ジワリ・・・涙が浮かんだ。
「ひ・・・えい・・・」
グスッと鼻を鳴らすと、目の前に黒い影。顔をあげれば、飛影がそこに立っていた。優しい手つきで、の涙を拭う。たまらず、は飛影の胸に飛び込んだ。
「・・・飛影、私も一緒に行く」
「お前は、あいつらと一緒にいろ」
「どうして・・・?」
「オレはあいつらに手を貸すつもりはない。魔界への道が開くのを望んでいるからな」
「・・・・・・」
飛影は魔界に戻ることを望んでいるのだ。今のままでは帰れない。今回のことは、飛影は傍観するつもりなのだ。
「オレのワガママに、お前を付き合せられん」
「飛影・・・でも・・・」
「次はいつ会えるかわからんが・・・気をつけろよ」
「飛影・・・!!」
立ち去ろうとした飛影の背中に、は抱きつく。離れたくない・・・と、飛影の腹の前でギュッと指を組んだ。
そのの手に、飛影は手を重ねる。その手の温もりに、の頬に一筋の涙がこぼれる。
「大丈夫だ」
「何が・・・?」
「離れていても、な」
「私は・・・大丈夫じゃないよ・・・」
「いいから、あいつらと一緒にいろ。色々と面倒事に巻き込まれるかもしれんが、幽助たちがいれば安心だ」
「飛影・・・」
の手を離し、振り返った飛影が口付ける。何度も角度を変えて交わされる口付け。ハァ・・・とが熱っぽい吐息をこぼした。
「じゃあな」
「あ・・・!!」
文字通り、あっという間に飛影は姿を消した。はしばしその場に立ちつくした後、屋敷に戻った。
「・・・やっぱり、でも飛影を引きとめんのはムリだったか」
1人で戻ってきたに、幽助が苦笑する。は「ごめんね・・・」と謝罪した。
「お前が謝ることはねーよ。大丈夫だって。飛影はいつか戻ってくるさ」
「・・・うん」
うつむくに「それより」と幽助が声をかける。
「蟲寄市には、オレと城戸とヤナとばーさんで行くことにした。は蔵馬や海藤たちと一緒に穴の方へ行ってくれ」
「え・・・海藤くん・・・?」
途端、彼女にしては珍しく、嫌そうに眉根を寄せた。
「・・・もしかして、オレ彼女に嫌われてる?」
「そりゃ、恋人を人質に取られたわけだからな」
「飛影を置いて行こうとした桑原くんにも怒ってるみたいだよ」
海藤のつぶやきに、蔵馬とぼたんが応えた。それでなくとも、桑原は未遂に終わったとはいえ、に迫ったのだ。彼女の中で、桑原の株は大暴落である。
「私、幽助くんとおばあちゃまの方に行く」
「・・・参ったな、こりゃ」
どちらが危険かと言えば、当然、幽助たちの方だ。だが、本人の意思は固い。仕方なく、幽助はの同行を許した。
行動を起こすのは、明後日から・・・ということで、その日は解散となった。
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