人間界に来て、様々なものを見てきた。
かすかな霊気しか感じない人間。電気で動くもの。規則正しい人々の群れ。
とは言っても、の記憶は3年前のある日からプッツリと途絶えている。今さら、驚くことでもなく、これが人間界なのだと受け入れた。そこが彼女のすごいところだ。柔軟性がある。
学校で色々なことを学ぶ前に、には幻海が小学校で習うことは教え込んだ。そのため、編入は中学2年の始業式から、ということになった。
編入初日、教室に入り、自分の席へ。名前が書かれた札が机に貼ってあった。
「おい・・・浦飯と同じクラスとか、最悪じゃねーか?」
「本当だよ・・・。この1年、どうか巻き込まれませんように・・・!!」
近くにいたクラスメートの男子が、ヒソヒソと話している声がした。当の本人は、いない。というか、彼はめったに学校に来ることがなかった。
それなりに友人も出来て、授業も楽しく受けて・・・魔界にいる頃とは、まったく違う生活を送った。
そして・・・それから数カ月後、同級生の浦飯幽助が、子供をかばって亡くなった。そう、“あの”浦飯だ。
と彼は、1度だけ席が隣になったことがある。だが、彼はめったに学校にこないのだ。ほとんど口をきいたこともなかった。
その浦飯幽助が、生き返った。信じられないことだった。死亡してから1カ月以上が経っていたというのに。
「ああ・・・そいつはもしかしたら、霊界と関係があるのかもしれないね」
「霊界?」
「人間も妖怪も、死んだら霊界へ行く。そこで、その後行く道が決まるんだよ」
「天国か地獄か・・・ってこと?」
「そういうことだ」
そういえば、彼の霊気が以前より強く感じるようになった。つまり、そういうことか。彼は生まれ変わったのだ。文字通り。
「・・・私のこと、気付くかしら?」
「さあね。余計なことに首突っ込むんじゃないよ。お前は普通の人間のフリしてりゃいいのさ。実際、何者なのか、わからずじまいなんだからね」
「・・・・・・」
人間でもなく、妖怪でもない。そんな中途半端な存在。
「・・・そういえば、もう1年近くになるが、霊界はお前のことを何も言ってこないね」
「え? うん・・・。気付かれてないのかな」
「恐らく、な。まあ、何にせよ、やっぱり余計なことに首を突っ込まないことだ」
余計なことに首を突っ込まないように・・・釘は刺されたが、どうしてもは彼・・・浦飯幽助が気になった。
不思議な力・・・彼から懐かしい力を感じた。妖気だ。だが、彼自身の力は霊気だ。妖怪と接触したということか。
気になる。もしも妖怪と接触しているなら・・・その妖怪があの人のことを知っていたら・・・!!
会えなくなって、1年が過ぎた。それでも、は飛影のことを忘れた時はなかった。今頃何をしているのか。まだ捜し物をしているのだろう。自分のことなど、もう忘れてしまっただろう。3年は、長いようで短い。何年も生き続ける妖怪にとっては、ほんの一瞬のようなものだ。
「・・・西洋の白魔術師みたいなもんだよ」
学校の屋上。浦飯幽助を追いかけると、彼はそこへ行った。そーっと様子を窺うと、1人の女子生徒と話をしていた。
「あ、そうだ。蔵馬は情状の余地がありそうだよ。改心してるし、所在もはっきりしてるしね」
「そーか。じゃあ、あと3日で残りの宝を取り戻せばいいのか」
なんの話だろうか? 情状? 宝? 普通の中学生の会話とは思えない。
「相手は飛影とかいうチビだったな」
「!?」
だが、彼が言ったその一言に、は驚愕する。
『ひ・・・えい・・・? 今、飛影って言った・・・? でも、まさか・・・』
動揺するの存在に気づくわけもなく、女子生徒がメモ帳を見つめ、情報を読みあげる。
「こいつが曲者だよ。欲しい物を手に入れるためや、気に食わない奴を倒すためなら、どんな手でも使う、残酷な奴らしいからね」
違う。飛影のことではない。彼は、そんなことはしない。きっと、聞き間違えたのだ。そうに決まっている。それか、人違いだ。
そっとその場を離れた。だが、心臓はドキドキしている。もしも・・・もしも、彼のことだったら?
放課後、どうしてもは先ほどのことが気になり、意を決して首を突っ込もうと決めた。
「・・・あの、浦飯くん」
「あ? おお、如月。どうした?」
「あの・・・私、さっき・・・」
と、言いかけた時、彼の腕時計がピピッと鳴った。彼がそれを見て、目を丸くした。
「わりぃ、如月! ちょっと急用!」
「え・・・? あ・・・!」
そのまま教室を出て行ってしまう彼。は気がそがれてしまった。せっかく大事な話をしようと思ったのに。
でも待てよ? 今の慌てよう。そしてさっきの会話。宝を取り戻すとか言っていた。そして飛影の名。飛影が宝を盗み、彼がそれを取り返そうとしている。そして、今の反応。何かわかったのではないか。
「ごめんなさい、おばあちゃま・・・!」
余計なことに首を突っ込むな、と言われたが、これだけはどうしても・・・。
学校を飛び出し、彼がどこへ行ったかを調べる。かすかに霊気を感じる。これをたどって行けば・・・!
たどり着いたのは、大きな倉庫街。ここのどこかに、彼がいる。感じる霊気と・・・妖気・・・! 間違いない。
中に入ると、苦痛に苦しむ声が聞こえた。浦飯幽助のものだ。急いで声のした方へ走る。
そして・・・目に飛び込んできたのは・・・倒れている浦飯幽助と・・・見覚えのない妖怪。全身が緑に染まり、いくつもの眼がついた・・・いや、でもわかる。あの妖怪は・・・。
「や、やめて・・・っ!!」
必死で走った。彼が浦飯幽助にとどめの一撃を食らわそうとしている。だが、それより早く、誰かが彼と浦飯幽助の間に立ち塞がった。見覚えのない少年。人間・・・ではない。妖気を感じる。
怯んだ彼だが、乱入してきた人物に怒りを燃やす。妖気が高まる。このままでは・・・。
「やめてっ!! 飛影っ!!!」
咄嗟に叫んでいた。の声に、一同の空気が緩む。その隙に、が駆け寄り、異形の姿の飛影に抱きついた。
「ごめん・・・ごめんね・・・!!」
「・・・? か?」
スゥ・・・と、飛影の体が元に戻る。恐る恐る・・・といった様子で、飛影がの体を抱きしめ返す。
「会いたかった・・・! 会いたかったよ、飛影・・・!!」
「・・・」
ポロポロと涙がこぼれた。会いたかった。もう会えないかと思った。だが、こうして再び出会うことができた。
飛影と抱き合い、涙をこぼすの姿に、浦飯幽助があ然としながら「如月・・・?」とつぶやいた。
「え?」
「知っているのか?」
一緒にいた先ほどの女子生徒と、彼をかばった少年が声をあげる。
「ああ・・・オレの学校のクラスメート」
「それと飛影が・・・どういう関係なんだ?」
「・・・さあ?」
抱き合っていた体を離す。話したいことは、たくさんある。だが、飛影は霊界へ連れて行かれることになった。裁判にかけられるのだ。罪人として。
「まあ、大丈夫さ。何やら事情があったみたいだしね。話せばわかってもらえると思うよ。結果的には、改心したんだし」
と言ったのは、女子生徒。なんでも、霊界の人間らしい。普通の女子生徒に見えるが、わからないものだ。
それを言えば、も同じなのだが。
「そんなことより・・・あんたは一体、何者なんだい?」
彼女の疑問には、全て答えることが出来なかった。魔界からやって来たこと。今は人間として、生活していること。記憶がないこと。このくらいしか話せない。
「恋人かい? 飛影の」
飛影の仲間だったという、蔵馬・・・彼がに声をかけてきた。
「・・・恋人? ううん、そんなんじゃないの」
「でも以前、君の名前を彼の口から聞いたことがあるよ。捜しているみたいだった」
「いきなり、姿を消してしまったから・・・だから、驚いたんだと思う」
「そういう風には見えなかったけど? 現に、今だって君が姿を見せた途端、戦意をなくした」
蔵馬の言葉に、は悲しそうに微笑んだ。そして、彼の腹部にある傷に手をかざした。飛影によってつけられた傷が癒えていく。
「不思議な力を持っていますね」
「私にも、よくわからない力ですけど」
記憶は未だに戻らない。の最初の記憶は、飛影に助けられた時のもの。
「・・・君は、飛影が好きなんだね」
「好き・・・? よく、わからない」
「お互いに大事に思ってるってことだよ。君は、今まで楽しく生活できていたかい?」
「楽しかったわ。おばあちゃまや、学校の友達がいて。でも・・・」
「でも?」
「飛影に、会いたかった・・・」
やれやれ、と蔵馬は肩をすくめた。こんな風に、自分を思ってくれている人がいたというのに、なぜ飛影は悪事に手を染めたのだろうか?
その辺のことは、飛影本人にしかわからない。蔵馬が詮索するようなことでもないだろう。
「それじゃあ、如月さん」
「でいいわ」
声をかけてきた少女(ぼたんというらしい)に、はそう告げる。うん、とぼたんがうなずいた。
「ちゃん、飛影を連行させてもらうよ」
「・・・はい」
大人しく霊界に行くことになった飛影を、は見つめ・・・もう一度、抱きついた。
「待ってる」
「馬鹿が。オレのことなど忘れろ」
「忘れられないよ・・・3年も一緒だったのに・・・」
「勝手にしろ」
冷たい物言いだが、彼はいつもこうだった。優しい言葉など、かけられた記憶はない。
体を離し、ニッコリと微笑み・・・そっと口付ければ、ぼたんが「あれま!」と声をあげ、幽助と蔵馬は目を丸くした。
「待ってるからね!」
「フン」
とっとと連れて行け、と飛影がぼたんに告げる。どうやら、今のの行動は、予想外だったらしい。
蔵馬と飛影を連れて、ぼたんが去って行く。はその姿を、ジッと見つめていた。
***
幻海が年のため、弟子を取ることにしたらしい。その日、屋敷の前には何百人もの人間がいた。はその人の多さに目を丸くしていた。
「おばあちゃまって、すごいのね・・・!」
「今頃気づいたのかい。さ、お前にも手伝ってもらうよ」
「はい」
なんだか楽しそうだ。ウキウキしながら、幻海の弟子を決める手伝いをした。
と、クジを引きに来た1人の少年を見て、が「あ・・・」と声をあげる。向こうも「あれ?」と目を丸くした。
「如月? なんでここに??」
「ここは、私がお世話になってる、おばあちゃまの家なの」
「おばあちゃまって・・・あのばーさんか? 如月、ここで世話になってたのか・・・」
「おぉい、浦飯っ!! このかわい子ちゃん、知ってんのかよ!?」
幽助の肩をグイと押しやり、顔を覗かせた長身の男に、は「こんにちは」と笑顔を向けた。
そのの笑顔に、男はニヘラ~と締まりのない笑顔を浮かべる。
「ああ、クラスメートの如月だよ」
「如月さん!! こ~んなカワイイ子が、ウチの中学にいたなんて!!」
「初めまして。えっと・・・」
「桑原和真です! よろしくっ!」
「・・・桑原くんですね。如月です。よろしくお願いしますね」
「もちろん~」
「おい、桑原」
の手をちゃっかり握り締めていた桑原に、幽助が冷たい眼差しを向ける。
「如月には、こえぇ~彼氏がいんだよ。やめとけ」
「彼氏!? しかも怖い? まさか、如月さん・・・ひどい目に・・・」
「え? あ、えっと・・・?」
彼氏?と首をかしげて幽助を見やる。もしかしなくても、飛影のことなのだろう。と、そこへ「おい! 早くしろよっ!!」と怒鳴り声。長々と世間話をしていたからだ。
2人にはクジを引いてもらい、その場をどいてもらう。イライラしていた男たちも、が笑顔で「お待たせしました」と言うと、あっという間に機嫌が良くなる。恐ろしい力だ。
結局、トーナメントを勝ち抜き、継承権を得たのは、幽助だった。もちろん、そう簡単に選ばれたわけではない。乱童という妖怪と戦うことになったのだが。
「桑原くん、浦飯くん、大丈夫?」
の治癒の力で、傷を癒した2人に、が声をかけた。今日は泊まっていけ、と言ったのだ。幻海には「やめておけ」と言われたのだが。
「如月さんっ! ありがとうございます~!!」
「いいえ、どういたしまして。私のことは、“”でいいですよ」
「いやぁ~・・・本当にこんなかわい子ちゃんと知り合えて・・・」
「やめとけって言っただろ、桑原」
に手を出そうとした桑原に、幽助が再度、忠告する。どう考えても、あの飛影に桑原が敵うとは思えない。実力の面でも、ルックスの面においても。
と飛影の関係については、実は幽助も、幻海だって知らない。2人が共に過ごした3年間は、2人だけしか知らないのだ。
だが、それでも2人がただならぬ仲なのは、すぐにわかった。
あの冷徹非道な飛影が、人質を取るという、最低な行動をしたあの男が、が姿を見せた途端に、戦う意思を失くした。全てを放り投げたように。
飛影の目的は、だったのだ。恐らく、姿を消したを心配し、心配しすぎたあまりに気持ちが荒み、悪事を働くようになったのだろう。
事実、と共にいた3年間、飛影はそのナリを潜めていたのだから。無益な殺生も、盗みもしなかった。
半月ほど、修行で幻海のもとにいた幽助だが、飛影がに惹かれた理由がわかった気がする。
まるで聖母のような、穏やかな微笑み。柔らかい物腰。まるで毒気を抜かれてしまう。
傷を癒す姿は、まさに天使。彼女が妖怪とは思えないが、人間とも思えない。霊界人でもない、とぼたんは言った。何せ、妖気も霊気もまとっていないのだから。
修行が終わり、幽助は自宅に戻った。再び幻海と2人きりだ。少し寂しかった。
その修行が終わり、幽助が学校に登校するようになった時だった。霊界探偵である幽助に、新たな指令が下ったのは。
「四聖獣・・・? 私も・・・!」
「は、ぼたんと一緒にここに残ってくれ」
幽助と桑原と一緒に、四聖獣を倒しに行く・・・と言いかけたを、幽助が引きとめた。その一言に、は「え・・・?」と戸惑う。
「何があるか、わかんねーし・・・。こっちにも戦える人間が残った方がいい」
「・・・うん。わかった。気をつけてね」
「ああ!」
結果的に、幽助のこの判断は正しかった。皿屋敷中に残っていた幽助の幼なじみ、螢子を守れたからである。
そして・・・戻ってきた幽助たちを見て、は一瞬、目を疑った。
桑原を担いでいるのは、蔵馬。そして、幽助は・・・。
「ひ・・・飛影・・・っ!!」
駆け寄ったが飛影に抱きつく。飛影は担いでいた幽助を、少々乱暴に地面に落とす。ぼたんが「あぁ!」と叫び、気を失っている幽助に駆け寄った。
抱きついてきたの体を、飛影が優しく抱きしめ返す。誰も見たことのなかった飛影の穏やかな顔。彼にとって、がここまで大事な存在だったとは。
「どうして、幽助くんたちと?」
「・・・色々と、な」
「仮釈放ってやつですよ。執行猶予付きの」
言葉足らずな飛影の代わりに、そう答えたのは蔵馬だ。
「仮釈放・・・? じゃあ、一緒にいられるの?」
「悪さをしなければ、ね」
「ホント? 飛影・・・!」
蔵馬から飛影に視線を戻す。飛影は「ああ・・・」と小さくつぶやき、「悪さをしなければ、な」と蔵馬の言葉を繰り返した。
「ずっと一緒にいてくれる?」
「そもそも、姿を消したのはお前だ」
「だって、あれは・・・!」
「わかっている。逃げろと言った、オレが悪い」
抱きしめ合ったまま、言葉を交わす。とりあえず、蔵馬とぼたんは気を失っている2人を、幽助のマンションへ運ぶことにした。
「そういえば・・・あの後、どうなったの?」
「豪鬼という妖怪に助けられた。そいつは幽助に倒されたがな」
「え? どういうこと??」
「・・・霊界の宝を盗んだ犯人として、捕まった」
「???」
端的に話す飛影に、は頭の中が「?」でいっぱいになる。
「もういいだろう。結果はどうあれ、オレは今、ここにいる」
「・・・うん」
ゆっくりと、飛影がの髪を撫でる。優しすぎるその手つきに、はそっと目を閉じた。
たとえ言葉は少なくとも、飛影はを大切にしてくれている。それは間違いのない事実だ。
「ねえ・・・飛影?」
「なんだ」
「・・・大好き」
「・・・・・・」
「愛してる・・・」
の言葉に、飛影は何も答えない。彼は、愛だの恋だのという感情に振り回されることはない。
だが・・・。
「・・・オレもだ」
告げられた言葉に、目を丸くした。思わず体を離して、飛影の顔を見ようと思ったが、それは叶わなかった。
その代わりに、そのの唇に、やさしい口付けが降ってきたのだった。
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