その墓石を、 はそっと撫でた。目を細めて、微笑む。

 「・・・久し振り、おばあちゃま」

 つぶやかれた言葉。 は持ってきていた花を、墓前に手向け、両手を合わせた。

 「静流さんから聞いたよ。土地、私たちに託してくれたんだね」

 ありがとう・・・小さくつぶやくと、風が吹いた。まるで の頬を撫でるかのように。

 「すごく、短い間だったけど・・・私、ちゃんとおばあちゃまの孫でいられたかな?」

 答えてくれる幻海は、ここにはいない。すでに霊界を出て、天国へ向かったということだ。
 幻海の最期は、なんとか看取れた。危険な状態だと、幽助に知らされたからだ。 は一も二もなく、城を飛び出していた。

 ─── 泣くんじゃないよ

 病床で、幻海は にいつもの強い口調で、そう告げた。それから、 の背後に立っていた飛影に視線を向けた。

 ─── 飛影、お前に話がある。 、少し飛影と2人きりにしてくれ

 うん、とうなずき、 は幻海の部屋を出ると、そこにいた幽助たちに居間へ行くよう指示した。
 飛影が たちの元に戻ってきたのは、数分後。 たちが幻海の元へ戻ると、ほどなくして彼女は息を引き取った。
 墓の前から立ち上がる。少し離れていた飛影に歩み寄り、「行こ」と声をかけた。

 「おばあちゃま、また来るからね」

 再び風が の頬を撫でた。
 2人で墓地を後にする。久し振りの人間界だ。少しこっちでゆっくりしてから、帰ろうということになった。幻海の家の掃除もしたい。
 と、家に向かうと何やら賑やかな声がして・・・ は驚いて玄関ドアをくぐった。

 「おや、 ちゃん! 飛影も! 来てたんだね」
 「ぼたんさん・・・! それに、みんなも!」

 そこにいたのは、ぼたんを初め、幽助、桑原、蔵馬、螢子に雪菜、そして静流だった。

 「みんなもお墓参りに?」
 「うん、ちょっと寄ってからね」
 「ありがとう・・・。私、なかなかこっちに帰ってこないから・・・」
 「気にすることないぜ。どーせ、まだ親父さんとケンカしてんだろ?」

 主に飛影が・・・と言葉は続く。魔王と飛影の特訓は、相変わらず続いている。

 「そーいやよ・・・おまえ、背が伸びたんじゃねーか?」

 桑原が飛影を見てつぶやく。確かに、以前会った時よりも、身長が伸びている。 もそれは実感していた。抱きしめられた時に、それに気づいた。もう少し、顔が近かった気がする。

 「飛影はまだ若い妖怪ですからね。成長途中なんだと思いますよ」
 「え!? マジかよ! オレ、そのうち抜かされんじゃねーか?」

 幽助が声をあげる。飛影が「くだらん」とつぶやいて、そっぽを向いた。どうでもいいらしい。

 「それより・・・お2人さん、結婚はいつなんだい?」
 「結婚?」

 ぼたんの茶化すような言葉に、 は首をかしげる。「結婚」という言葉を知らないわけではあるまい。
  はキョトンとし、飛影を見て・・・おもむろに首を横に振った。

 「結婚なんて、しないですよ。別にしなくても、ずっと一緒ですし」
 「お〜お〜、相変わらずノロケるねぇ」

 からかう幽助に、 が視線を向ける。

 「私のことより、幽助くんと螢子ちゃんは?」
 「は!?」

  の発言に、みかんに手を伸ばしていた螢子の手が止まる。幽助も素っ頓狂な声をあげた。
 そんな2人の様子に、桑原とぼたんがニヤニヤ笑う。

 「 ちゃ〜ん、いいこと聞くじゃないのさ! ホントにもう、この2人ってば、もどかしくてねぇ」
 「ぼ、ぼたんさん! わ、私は別に・・・!」
 「浦飯もそろそろ覚悟決めたらどうだ?」
 「う、うるせぇ!!」

 ゴツン、と幽助が桑原の頭を殴る。照れ隠しとわかっているからか、桑原は怒ることはしない。

 「やれやれ・・・ の一言で思わぬ騒ぎになったね」
 「あ・・・ご、ごめんなさい!」

 蔵馬の言葉に、 は口を押さえた。余計なことを言ってしまったらしい。

 「それにしても、本当にお2人さんは結婚しないんですか?」
 「人間界のそれと、魔界の結婚は違うでしょ? 寿命は長いし、無理にくっつくことはないんじゃないかな」
 「煙鬼と孤光をうらやましく思わないんですか?」
 「う〜ん・・・」

 首をひねる の横で、飛影はため息をつき、幽助と桑原の頭にみかんを投げつける。

 「何すんだ、飛影! コノヤロー!!」
 「やかましい」
 「んだとぉ!? そもそも、こんな話になったのは、おめーと がウジウジしてっからだろーが!」
 「ウジウジなんかしてないよぉ! 幽助くん、変なこと言わないで!」

 ギャーギャーと、うるさく騒ぐ幽助に、 が声をあげた。幽助に「ウジウジしている」とは言われたくない。それにしても、賑やかだ。こんな風に集まるのは、久し振りだからだろう。

 「ねえ、蔵馬」
 「なんです?」

 幽助が飛影の首に腕を回し、耳元でコソコソと内緒話をしているのを横目で見ながら、 が隣の蔵馬に声をかけた。

 「煙鬼と孤光がうらやましくないのか・・・って話」
 「ええ」
 「うらやましくなんて、ないよ。だって、夫婦の契りがなくなって、飛影は私を想ってくれてるもん」

 何かをささやかれた飛影が、幽助の顎を腕でガッと持ち上げた。幽助が「うぐっ」と呻きながらも、ニヤニヤは止めない。一体、何を言ったのか。

 「ずっと、傍にいてくれるもん・・・。私は、飛影を信じてる」

 フフッと微笑む の幸せそうな笑みに、蔵馬は「そうですか・・・」と微笑み返しながらつぶやいた。

***

 久し振りの集まりということで、その日は幻海の家でみんなで夕食を囲み、泊まることになった。
 男と女で2つに分かれ、畳の上に布団を敷く。 には自室があるが、今夜はみんなと一緒に眠ることにした。
 「電気消すよー」とぼたんの声。山の上の家は、電気を消すと、真っ暗闇になる。
 だが・・・なぜか、 は眠れずにいた。久し振りのやわらかい布団の感触のせいだろうか? 寝息を立てている、他のみんなを起こさないように、 はそっと部屋を出て、縁側に座った。
 空には白い月と、星が輝いている。魔界の空とは全然違う。澄んだこの空気も、魔界とは全然違う。

 「眠れないの?」

 背後から落ち着いた女性の声がし、 は驚いた。静流がタバコを咥えて立っていた。

 「はい・・・なんだか、久し振りの人間界なので・・・」
 「そっか」

 静流は の隣に腰を下ろすと、フゥーと煙を吐いた。白い煙が、夜の闇に溶ける。

 「・・・私がいない間、静流さんがおばあちゃまの所に頻繁に来てくれたんですよね? ありがとうございます」
 「礼には及ばないよ。あたしが好きでしてたことだからね」
 「静流さんがいたから、私も安心して魔界にいられたんですよ。本当に、お世話になりました」

 ペコリと頭を下げる。静流はそんな に微笑みかけた。

 「あんた、いい子だね・・・。幻海さん、口には出さなかったけど、 ちゃんのこと、ずっと気にかけてたよ」
 「え・・・?」
 「たまにさ、 ちゃんの部屋に行って、ジッとそこ見つめてた。 ちゃんと過ごした月日を思い出してたんだろうね」
 「おばあちゃま・・・」

 ジワリ・・・涙が浮いた。
 人間でも妖怪でもない、得体の知れなかった自分を助けてくれた人。
 住まいだけでなく、食事や着ているものも与えてくれた。何より、学校に通わせてくれた。そのおかげで、 は幽助や桑原と知り合えたし、飛影とも再会できたのだ。

 「私・・・ちゃんとおばあちゃま孝行できてたかなぁ?」
 「できてたさ。幻海さん、幸せだったよ」
 「・・・はい」

 浮かんだ涙を指で拭った。静流がポンポンと優しく の肩を叩く。

 「幻海さんのためにも、ちゃんと幸せに生きるんだよ?」
 「はい」

 フッと微笑み、静流は立ち上がると、部屋に戻って行った。
  はその場に残り、再び空を見上げた。ハァ・・・と吐く息は白い。
 と、人の気配を感じ、横を向く。闇と同化しそうな黒い服、黒い髪の男が立っていた。

 「飛影・・・飛影も眠れないの?」
 「桑原と幽助のいびきがうるさくて敵わん」
 「アハハ・・・そうなんだ?」

 確かに、廊下の向こうから、賑やかないびきの音がする。蔵馬も眠れずにいるのだろうか。

 「こんな所にいつまでもいたら、風邪ひくぞ」
 「うん・・・でも、もう少し」

 立ち上がろうとしない の隣に、飛影が座った。同じように空を見上げている。

 「人間界の空は、綺麗ね」
 「・・・そうだな」
 「人は死ぬとお星様になるって聞いたけど、おばあちゃまの星もあるのかしら」
 「さあな。お前がそう信じれば、あるんじゃないのか」

 淡々と答える飛影。けして優しい言葉ではないが、どこか安心するその低い声。 はコテン・・・と飛影の肩に頭を乗せた。

 「ねえ、飛影?」
 「なんだ」
 「おばあちゃまと、最期に何を話してたの?」

 幻海が息を引き取る直前、彼女は飛影に何を伝えたのか。 はそれが気になっていた。
 肩に頭を乗せたまま、ジッと飛影を見つめる。だが、彼は「さあな」としか答えなかった。

 「えぇ〜? 教えてくれないの?」
 「・・・幻海がオレと2人だけで話した内容だ。お前に聞かれたくなかったんだろう」
 「だから、飛影も教えてくれないの?」
 「そういうことだ」
 「もう! 気になるなぁ・・・」

 秘密にされれば、余計に気になるというものだ。恐らく、自分に対することだろう・・・と予想はしているのだが。だが、恐らく彼は口を割らない。そういう人だ。

 「じゃあ、いいですよーだ」

 離れようとした体を、飛影が抱き寄せる。「わ・・・」と小さな声があがった。ギュッと、離さないというように、彼の腕に力がこもる。

 「飛影・・・」
 「なんだ」
 「あったかい」

 フフッと笑む 。見上げてきたその唇に、己のそれを重ねる。
 口付けを交わしながら。飛影は先ほどの の言葉を思い出す。

 『・・・何を話してたの、か』

 飛影の記憶は遡る。幻海の今際の際まで。

***

  が出て行くと、部屋には幻海と飛影の2人だけになった。幻海は寝ていた布団から起き上がり、「こっちだよ」と飛影に声をかけた。枕元に来い、という意味らしい。
 渋々、飛影は枕元に立つ。「座りな」再び幻海の指示。素直にそれに従った。

 「・・・あんたにゃ感謝してるよ。あの子に笑顔を取り戻してくれたんだからね」

 幻海と2人きりの時も、 は笑っていた。「幸せよ」と言っていた。だが、それはやはり、どこかピースの抜け落ちている笑顔だった。
  に大切な人がいたというのは、初めて会った時に知っていた。会いたくてたまらない人なのだと。
 少しでも気が紛れるように、学校へ行かせた。そこで新たな出会いでもあれば、と。
 しかし、 は飛影を忘れることはなかった。

 「一緒にいてやること以上のことが、あんたに出来るとは、あたしも思っていない。だけどね」

 幻海が部屋の入り口を見やる。 が出て行った所だ。

 「あの子を幸せにしてやれるのは、あんただけなんだよ」
 「・・・何が言いたい」
 「いいかい? あの子を不幸にしたら、化けて出るよ」

 ギロリ・・・飛影を睨みつけ、幻海が強い口調でそう言い放った。本当に出てきそうだ。

 「あんたは、なんだかんだで義理堅い。あたしとの約束も守ってくれると信じているよ」
 「フン。勝手なことを言うな。 の幸せは、 自身が掴むものだろう」
 「それじゃあ、あんたの幸せも、あんた自身が掴むもんだろ? あんたの幸せと、あの子の幸せは同じだろう?」
 「チッ・・・」

 忌々しそうに舌打ちする飛影だが、否定は出来なかった。ここで「違う」と言ったところで、今までの行動がそれを嘘だと裏付けている。

 「言いたいことは、それだけか? ならば、オレはもう行く。あいにく、暇じゃないんでね」
 「やれやれ、気の短い男だね。老人の最期の頼みも聞いてくれないのかい」
 「・・・まだ何かあるのか?」

 立ち上がろうとした飛影に、幻海はゴソゴソと枕の下から何かを取り出す。小さな箱だ。それを飛影に差し出してきた。

 「それを、あの子に渡してやっとくれ。いいタイミングでな」
 「なんだこれは」
 「見てみりゃわかるさ。それは、あたしが若い頃にもらったもんだ。あたしの形見だ。持っていきな」

 眉根を寄せ、訝しげな表情を浮かべる飛影には、幻海は何も答えなかった。仕方なく、飛影は部屋を出た。
  たちが飛影と幻海の話が終わったことを悟り、部屋に向かう。そして、数分後。幻海は眠るように息を引き取った。

***

 小さな箱の中身を、飛影は幻海が亡くなってから見た。当然、 のいない所でだ。
 箱に入っていたのは、華奢なシルバーリングだった。小さな金剛石のついたそれは、キラリと光を浴びて煌めいた。
 タイミングを見計らって、 に渡せ・・・幻海はそう言った。

 「・・・
 「なぁに?」

 腕の中でウットリしていた の名を呼べば、小さな声で返事があった。眠ってはいなかったらしい。
 ゴソゴソとポケットの中を探り、出てきた小さな箱を、 に差し出した。

 「なぁに? これ」
 「幻海からの形見の品だ」
 「え!?」

 幻海の名に、 はパッと飛影から離れ、その箱を手に取った。なんとなく、中身はわかっていた。わかっていたけれど・・・。

 「わ・・・!」

 箱を開けた の目に飛び込んできたのは、やはり指輪。

 「おばあちゃまが、これを私に?」
 「ああ。若い頃にもらったと言っていた」
 「・・・おばあちゃま」

 箱からリングを取り出し、「飛影」と名を呼ぶ。チラリとこちらを見てきた飛影の手の平に、それを乗せた。

 「?」
 「あのね、人間界ではね、夫婦の誓いを立てた人の左手薬指にリングをはめるのよ」

 渡されたリングに、不思議そうな顔をした飛影に、 が説明した。

 「たぶん・・・おばあちゃまは、そういうつもりで、飛影にこのリングを渡したんだと思う」
 「結婚にはこだわらないんじゃなかったのか?」
 「別に、結婚してくれって言ってるんじゃないの。それに、それじゃ逆プロポーズになっちゃうじゃない」
 「ぷろ・・・?」
 「いいの。とにかく、ほら」

 飛影の目の前に、左手を差し出す。飛影はため息をつき、そっと の手を取ると、その薬指にリングをはめた。その輝きを見つめ、 が幸せそうに微笑む。
 そっと、お互いの顔が近づき、唇を重ねる。もう二度と離さない・・・小さな体を抱きしめ、飛影はそう誓う。

 人間界の夜空は綺麗だ。明日はきっと晴れるだろう。