頬を撫でる風も、鼻を突く臭いも、すでに体に馴染んだもの。ここで彼は生きてきた。
 冷酷無比な一匹狼の盗賊・・・彼が振るう刀は、一閃しただけで、いくつもの妖怪の命を奪ってきた。
 伝説の妖孤ほどではないにしろ、彼はここ魔界では、名のある妖怪だった。
 両目を閉じ、“第三の瞳”を開き、辺りを見回す。
 彼は捜し物をしていた。1つは彼が肌身離さずつけていたもの。そして、もう1つは自身の故郷。今日もまた、その姿を捉えることは出来なかった。
 と、辺りを探っていた眼に、荒い息遣いで森の中を走る1人の少女を捉えた。
 少女の後を、巨大な体の妖怪が2匹と、成人した人間の男くらいの背丈をした妖怪1匹が追いかけてくる。
 見える映像と共に、声も聞こえてくる。

 《誰か・・・助けて・・・っ!!》

 悲痛な声。少女は息も絶え絶えで、森の中をこちらの方へ向かって走ってくる。このまま進めば、あと数分でこちらにたどり着くだろう。
 チッ・・・と舌打ちした。捜し物が見つからず、虫の居所が悪いところへ、これだ。
 少女と妖怪の姿を、両の目でも捉えられる距離になる。妖怪たちは執拗に少女を追いかけて来ていた。
 と、少女が足をもつれさせ、転倒する。それを見逃さず、小柄な妖怪が少女の進行方向へ移動した。

 「そう必死に逃げなくてもいいだろ~? 何も取って食おうってんじゃねぇんだ。すこ~しばかり、欲求のはけ口になってくれりゃいいんだよ」

 妖怪が舌なめずりする。少女は蒼白な表情をし、自分の身を守るように、両腕で自分の体を抱きしめた。

 「怖がるなって。出来るだけ早く済ませるからよぉ。ヒッヒッヒッ」
 「イヤ・・・来ないで・・・!」
 「残念。もう限界なんだよ! 大人しくしなっ!!」
 「イ・・・イヤァ~!!」

 少女が悲鳴をあげたのと、巨漢の妖怪2匹の首が飛んだのは、同時だった。
 斬られた首から血飛沫が飛ぶ。その光景に、妖怪と少女は呆然としていた。
 軽い身のこなしで、2人の前に姿を見せたのは、黒髪に黒い服をまとった小柄な妖怪。右手には抜き身の刀。ギラリ・・・光を受けて刀身が輝いた。

 「な・・・なんだテメェ!!」
 「貴様に名乗る義務はない」
 「舐めやがって!」

 ナイフを振りかざし、襲いかかってくるも、まるで相手にならない。刀が翻り、妖怪の体を真っ二つにしてみせた。
 3匹の妖怪が血飛沫を上げて倒れる様を、少女は呆然としたまま、見つめていた。
 少女を見やる。まだ若い。恐らく、彼女も妖怪だろう。となれば、年は自分と変わらないくらいか・・・。
 着ている衣服はボロボロで、腕も足もむき出し。その上、裸足。その体の至るところに、小さな切り傷があった。痛々しい。

 「・・・あなた、誰?」

 少女がようやく言葉を発する。澄んだ声。不快ではない。むしろ心地よく聞こえた。だが、礼もなく、いきなり相手を誰かと問うとは。

 「単なる気まぐれだ。捜し物の邪魔だっただけだ」
 「あ・・・」

 立ち去ろうとした足に、少女が突然すがりついてきた。思いもよらないその行動に、もう少しでつんのめるところだった。

 「何を・・・」
 「私のこと、知りませんか?」
 「な・・・に・・・?」
 「私、自分のことがわからないんです」

 少女が目を伏せる。まるで浮浪者のような彼女だが、うつむいた拍子に長い睫毛が影を落とした。

 「オレが知るわけがないだろう。離せ」
 「待って・・・!!」

 乱暴に足にしがみついてきた体を払えば、彼女は声をあげ、フラフラと立ち上がった。

 「私を・・・私を知ってる人のところへ連れて行って下さいませんか?」
 「は? 何を寝ぼけたことを言ってやがる」
 「もちろん、見返りは渡します。・・・私自身で、どうですか?」

 自分の身を捧げると言い出した少女に、目を丸くしてしまう。今、出会ったばかりの妖怪に、何を言うのか。

 「あなたは、私を助けてくれました。だから・・・」
 「また助けろと言うのか? 冗談じゃない」
 「お願いします・・・!」

 頭を下げる少女を無視し、その場を走り去る。
 おかしな女だ。妖怪に襲われていたというのに、新たに現れた妖怪に自身を差し出すなど。
 記憶を失っていたようだ。自分が何者なのかもわかっていなかった。だが、そんなことは関係ない。捜し物をするのに、女を連れていては邪魔になる。
 しばらく走った所で足を止める。森を抜けた。後ろを振り返っても、少女が追いかけてきている様子はない。俊敏さでは誰にも負ける気がしない彼にとっては、当たり前のことだが。ホッと息をつく。
 森を抜け、しばらく先にあった岩場に腰を下ろす。もう少し、賑やかな所へ行ってみるか。気は進まないが。この辺で集落があるのはどこか。再び第三の瞳を開く。そう遠くない場所に、少々大きな集落があった。

 《イヤです・・・! 私はそんなつもりじゃ・・・!》
 《いいんだぜぇ? 逃げても。その方が犯しがいがあるぜ》

 フト、さっきの少女の声が聞こえてきた。どうやら、また新しい妖怪に襲われているようだ。

 《嫌がる女を相手にする方が、より燃えるんだよ!》
 《キャ・・・!!》

 気づけば、目の前にいた。刀を抜き、そこにいた妖怪を斬っていた。この短い時間で、4匹もの妖怪に狙われた少女に呆れてしまう。

 「あ・・・なたは、さっきの・・・」
 「・・・・・・」
 「また助けてくれたんですね。さっきは“冗談じゃない”って言ってたのに」

 そうだ。「冗談じゃない」と言った。厄介ごとに巻き込まれたくなかったはず。それなのに、なぜ・・・?

 「・・・邪眼を開くたびに、貴様の悲鳴が聞こえるのは不愉快だ」
 「え?」
 「貴様の記憶が戻るまでの間だ。とっとと思い出せよ?」
 「あ・・・助けてくれるんですか?」

 自分でも不思議だった。こんな汚い少女が、どうして気になったのか。

 「私・・・名前はといいます。今は、それしか思い出せません」
 「・・・そうか」
 「あの、あなたの名前は・・・?」
 「・・・飛影」
 「飛影・・・」

 何かを確かめるように、がその名を反芻する。

 「飛影・・・」
 「何度呼べば気がすむんだ」
 「あ・・・すみません。ありがとうございます、助けていただいて」

 少女がニッコリ微笑んだ。礼を言われたのは、初めてだ。誰かに感謝されることなど、したことがなかった。
 座り込んでいたがフラフラと立ち上がる。先ほどより、また酷い格好になっている。

 「・・・近くに集落がある」
 「え?」
 「そこで着替えろ。みすぼらしい格好をするな」
 「あ・・・ごめんなさい・・・」

 別に本気で怒ったわけではないのに、は委縮する。冷たい物言いだったかもしれないが、今さらこの性格は変わらない。そのうち、も慣れるだろう。
 集落のある場所まで歩いて行こうとすると、新たに妖怪が1匹、姿を現した。明らかにを狙っている。
 その妖怪も一太刀で息の根を止めると、飛影はを振り返った。

 「・・・今まで狙われたことは?」
 「・・・ないと思います。たぶん」
 「“たぶん”?」
 「私は記憶がないと話しましたよね?気がついたのは、つい数時間前なんです」
 「それから、ずっと追われていると?」
 「はい。どうしてなんでしょう? さっきの3匹組には、“こんな所で会えると思わなかった”と言われました」
 「こんな所・・・?」

 “こんな所”とは、魔界のことだろうか? そうなると、は人間? だが、人間がなぜ妖怪に追われる?
 このまま歩いていては、何度妖怪に狙われるか、わかったものではない。飛影はに近づくと、その体を抱き上げた。

 「しっかり掴まってろ」
 「はい」

 言われた通り、が飛影の首に腕を回し、しがみついてくる。それを確認し、飛影は全速力で駆け抜けた。
 の体に力が入る。落されないよう、必死にしがみついている。飛影としても落とすつもりはないが。
 集落には、すぐに到達した。飛影とが姿を見せても、そこにいる妖怪たちは、別段気にした様子はない。とりあえず、手近にあった店のような場所に入る。慌てても飛影を追う。

 「好きなものを選べ」
 「は、はい・・・」

 店の中には、数着の服と、見たことのない植物、大きな斧やら剣やらが置かれていた。
 は服の中から比較的動きやすそうな服を選んだ。もしも、また妖怪に襲われた時に、動けるように、と。
 買い物を済ませ、店の外へ出る。用事は終わったとばかりに、飛影が再びを抱き上げると、今度は先ほどよりも、ゆっくりした速度で移動する。着いた先は、川だった。
 魔界の川だというのに、そこは綺麗な水が流れていた。そこで喉を潤すと、、「おい」と飛影がに声をかけた。

 「ここで水浴びしてから、服を着替えろ。オレはその辺で適当に食料を調達してくる」
 「はい。気をつけて」

 気をつけなければらないのは、自分の方だろう。
 を1人残していくことに、少々の抵抗はあったが、まさか水浴びをしている姿を見つめるわけにはいかない。女の裸に興味はない。それに、が嫌がるだろう。
 木の実や果物を取り、しばらくしてから戻れば、は水浴びを終え、新しい服に身を包んでいた。

 「あ・・・飛影さん、おかえりなさい」
 「・・・・・・」

 一瞬、別人かと思った。先ほどまでの、みすぼらしい姿が嘘のようだ。
 は美しい顔立ちをしていた。土埃で汚れていた顔や手足は、陶器のように白く、美しい。全体的にほっそりとしているが、不健康といった様子ではない。
 淡い水色のワンピースが、彼女によく似合っていた。

 「飛影さん?」
 「っ!!」

 声をかけられ、柄にもなく少女に見惚れていたことに気づく。慌てて川原に腰を下ろし、採って来た木の実や果物を2人で分けて食べた。
 その間も、飛影はに注意を払う。
 不思議なことがあった。それは、が妖気も霊気も発していないことだ。
 魔界にいるのだ。当然、妖怪だと思っているのだが、いくら力を持たない妖怪でも、妖気をまとっている。命を落とさない限り、妖怪は妖気を放つ。
 仮に人間だとしても、同じこと。霊気を感じるはずだ。

 「おい」
 「はい」
 「貴様、自分のことは本当に覚えていないのか?」
 「・・・はい。名前以外は何も」
 「妖怪か人間かは?」
 「わかりません・・・。自分が何者なのか、本当に思い出せないんです」
 「・・・そうか」

 それ以上、飛影は何も言わなかった。だが、はそれが逆にうれしかった。無理矢理、失った記憶を取り戻すようなことをしなかったからだ。

 「飛影さんは、何か目的があるのですか? どこかの集落で暮らしているようには見えませんが」
 「・・・・・・」
 「あ、ごめんなさい。余計なことでしたね」

 気配を察し、余計なことは言わない。なかなか好感が持てる。ペチャクチャしゃべる奴は気に入らない。すぐに捨て置いただろう。
 食事をし、立ち上がると、が顔を上げた。

 「今日はもう休むぞ」
 「は、はい」

 三度、の体を抱き上げる。そのまま移動し、朽ち果てた石の家へ窓から入った。どうやら、妖怪の姿はないようだ。の体を下ろしてやる。

 「飛影さん、ありがとうございます」
 「・・・その“さん”というのは、やめろ。それから、丁寧にしゃべるのもだ」
 「え・・・でも・・・」
 「やめろと言ったらやめろ」
 「わ、わかりました・・・。あ、えっと・・・わかったわ」

 こくんとうなずき、が口調を改める。それに満足すると、飛影は壁に寄りかかり、座り込んだ。そのまま、壁に背を預け、目を閉じた。
 なんだか疲れた。このおかしな少女のせいだ。飛影はゆっくりと意識を手放した。

***

 悪夢を見ていた。もう何度も見た悪夢。
 耳元で「忌み子だ、忌み子だ」と騒ぐ、しゃがれた声。無数の白い手が、首を絞めてくる。冷たい手。まで死人のようなその冷たい手。夢だというのに、その感触はいやにリアルだ。
 無数の手から逃げる。まだ幼い自分は、何度も命を落としかける。
 首から下げられた、淡い光を放つ石。それが千切れ、飛んでいく。手を伸ばしても、けして届かない。
 ああ、また失った。どうしても、手にすることができない。大切なものを失う恐怖。
 どうして・・・大切なものを失ってしまうのか。立ち尽くす姿に、白い手が再び襲いかかり、四肢を引き千切らんばかりの力で引っ張られる。
 やめろ・・・呻く。やめろ・・・! やめろっ・・・!!!
 その途端、ハッと意識が覚醒した。ハァハァと荒い息を吐く。
 一瞬、なぜ自分がここにいるのか、見失う。そして、飛影から少し離れた所で、小さくなって眠っている少女を見つけた。
 自分とは違う、穏やかな眠りにスヤスヤと寝息を立てている姿。スッと立ち上がり、の傍らへ。まるで警戒していないのか、は起きない。
 何度も妖怪に襲われ、命すら奪われそうになったというのに。まるで警戒せず、飛影を信用しきっている。
 何を思ったのか、刀を抜く。もしも、これで起きないのなら・・・そう思う自分と、彼女がもしも命を落としたら?という考えに囚われる。
 は眠っている。この少女を、このまま助けてやる義理はない。妖怪なのか、人間なのか。得体の知れない存在。もしかしたら、自分にとって脅威になるかもしれない。それならば・・・。
 刀を振り上げ、殺気を撒き散らす。起きなければ、殺される。そのまま、刀を振り下ろし・・・ピタッと動きが止まった。
 は眠っている。少しも動かず、スヤスヤと穏やかな寝息を立てて。
 チッと舌打ちする。まるで手ごたえがない。こんな女を殺したところで、何にもならない。
 外套を脱ぎ、眠るの体にかけてやる。なぜ、そんなことをしたのか、自分でもわからない。
 そっと窓辺に戻り、窓の外から見える白い光を見上げた。その光が、無くした石を彷彿とさせ、飛影はそっと目を閉じた。

***

 フッと目を覚ました。パチパチと何度かまばたきする。ゆっくりと起き上がると、ハラリと落ちる黒い布。視線を横にやると、人がいて・・・ドキッとしたが、それが昨日、自分を助けてくれた飛影という妖怪だと瞬時に思い出す。
 そして・・・自分が何も思い出せないことにも、気づいた。
 気付いたら、森の中に倒れていた。しばらくウロウロしていると、妖怪が目の前に現れて・・・「見つけたぜ」と言っただろうか?
 恐怖から、何も出来ずにいたに、妖怪は襲いかかって来た。戦う力のないに、意外そうな表情をしていた。
 その妖怪から逃げるうちに、衣服はボロボロになり、1匹だった妖怪が3匹になり・・・助けを求めたところで、突然現れた黒い人影に助けられた。
 一度だけでなく、二度も助けられ、色々と世話にもなってしまった。
 見たところ、人助けをするような人物には見えないのに、自分には世話を焼いてくれている。知り合って、まだ1日も経っていないが。
 スッと立ち上がると、目の前の人物が弾かれたように目を覚まし、サッと刀を抜き・・・の姿を認めると、フゥと息を吐いた。どこかホッとした表情で。

 「おはようございます。昨日は、ありがとうございました」

 改めて礼を言い、頭を下げた。目の前の人物は、フンとそっぽを向いた。

 「丁寧にしゃべるのは、やめろと言ったはずだ」
 「あ・・・ごめんなさい」

 注意されたことに気づき、は口を押さえた。飛影は刀を鞘に戻し、立ち上がった。

 「あの・・・どこへ行くの?」
 「食事だ。お前はここにいろ」
 「え、ええ。気を付けて」

 昨日も思った。その言葉は、そっくりそのまま貴様に返す・・・と。そう言いたかったが、口を結んで窓から外へ出た。
 は、あっという間に姿の見えなくなった飛影の姿を見つめ・・・そっと自分の両手を見つめた。
 妖怪か人間か・・・飛影に問われた言葉は、自分が知りたいことだ。自身、自分が妖気も霊気もまとっていないことに気づいている。そして、その代わりに違う何かが身についていることも。
 自分の体を見回す。昨日ついた傷がいくつも残っている。放っておけば治るが、痕は残るかもしれない。
 そっと、その傷に手をかざす。治れ・・・と念じると、手の平が淡く光り、驚いた。そして、もっと驚くことに、そこにあった傷が痕形もなく消えていた。
 自分がやったことだというのに、驚愕した。この力は何だ? 治癒の力だ。癒し手の一族なのだろうか? 否、自分には妖力がない。妖怪ではないのだ。
 怖い。自分がわからないのが無性に怖かった。この力は何なのか。妖力も霊力も持たない自分は何者なのか。
 そっと、自分の体を抱きしめる。そのまま、うずくまった。自分が怖い。一体、どうしたらいいのか。このまま、ここにいていいのか。

 「どうした・・・!?」
 「・・・あ」

 いきなり外から聞こえてきた声に、はハッと顔を上げた。飛影がうずくまっているに近づいてくると、顔を覗き込んできた。
 うずくまっていたに、何か異常でもあったのか、と驚いているようだ。

 「いえ、大丈夫です・・・。心配しないで・・・」
 「フン。心配などしていない」

 ならば、今の態度は何なのか。だが、彼は素直になれないだけだと悟る。

 「ほら、とっとと食え」

 投げてよこされた果実。はそれを受け取り、こちらを見ようともせず、距離を置いた飛影に礼を言った。

 「・・・本当に、ありがとう」
 「礼などいらん」
 「うん、でも・・・もうお別れだから」
 「どういう意味だ?」

 食事の手を止め、飛影がを見やる。は果物を1口。フゥ・・・と息を吐いた。

 「あなたには、何か目的があるのでしょう?」
 「・・・特にない」
 「いいえ、そうは見えない。私は、その目的には邪魔なはず。あなたがこれ以上、私に構う責任はないわ」
 「・・・・・・」
 「なぜ、私が妖怪たちに狙われているのか、わからないけれど・・・きっと、そのうち記憶が戻れば、わかるはず」

 そう言って、は手にしていた果物を食べ終えると、立ち上がった。

 「何度も助けてくれて、ありがとう。記憶が戻っても、あなたのことは忘れたくない」

 が建物を出て行く。飛影はけして、止めはしなかった。それが今は、ありがたかった。
 先ほどまでいた建物から離れ、は魔界の地を歩く。彼女には目的がなかった。否、あったのかもしれない。だが、今はそれもない。忘れてしまったのだから。
 しばらく歩くと、妖怪同士の小競り合いの場に出てしまった。厄介な所へ出てしまった。

 「何見てんだよ、このアマ」
 「もしかして、一緒に遊びたいのか~?」

 10匹の妖怪がに近づく。つい今まで敵対していた10匹は、という存在に一気に気を取られた。

 「・・・ちょうどいいかな」
 「何がだ? もしかして、お前も俺たちと遊びたかった~?」
 「そりゃ、ちょうどいいぜ! オレたちゃ、女に飢えてたからなぁ!」

 妖怪の1匹がに手を伸ばしたその瞬間、その手が何かに斬り飛ばされ、鮮血が吹き出した。
 ギャアアア!!と悲鳴をあげる妖怪。の目の前に降り立つ、黒い影。

 「何をしている、馬鹿め」

 黒い影が冷たく言い放つ。手にはギラリ、抜き身の刀。その刃先から滴るのは妖怪の血だ。
 突然姿を見せた飛影に、妖怪たちがざわついた。

 「おい、あいつ・・・」
 「忌み子飛影だ・・・!」
 「あいつを殺ったとなりゃ・・・ハクがつくぜ!!」

 妖怪たちの視線が、一斉に飛影に向けられる。が妖怪たちと飛影を見比べた。「忌み子・・・?」とつぶやくに、飛影は一歩前へ出た。

 「お前はそこにいろ」
 「あ・・・!」

 短く声をかけ、飛影が地面を蹴る。の目の前で、妖怪たちが倒されていく。一気に何体もの妖怪を倒していたが、そのうちの1匹がフッと姿を消した。かと思えば、突然、の背後に現れた。

 「キャッ・・・!」
 「お~っと! 逃がさないぜ」

 逃げようとしたの腕を、妖怪が掴んだ。

 「っ!」

 飛影がの名を叫ぶ。その次の瞬間だ。の腕を掴んでいた妖怪が吹っ飛んだ。
 その様に、そこにいた飛影含め、妖怪たちが動きを止めた。

 「こっそ・・・くそアマ・・・! 何しやがる!!」

 吹っ飛ばされた妖怪が、再びに襲いかかる。その攻撃を避け、妖怪を拳で殴りつけた。その攻撃を受けた妖怪が吹っ飛んだ。吹っ飛ばされた体は岩に叩きつけられ、そのまま動かなくなった。

 「な、なんなんだ、あの女・・・」
 「妖怪か!? そのわりに妖気が・・・」

 ガヤガヤとうるさい残った妖怪たちを、飛影の力が黙らせる。やがて、辺りは静寂に包まれた。
 残ったのは、飛影との2人だけ。どちらも何も話さない。

 「・・・大丈夫でしょ?」

 その沈黙を破ったのは、の方だった。飛影が彼女を見やれば、はニコッと笑った。飛影は咄嗟に彼女から視線を逸らした。
 その飛影の様子に、は柔らかく微笑み、次いで疑問を投げかけた。

 「どうして、助けに来たの?」
 「言っただろう。邪眼を開くたびに・・・」
 「私、今は悲鳴をあげてないよ」

 事実を突きつけられ、飛影は黙りこむ。の顔は笑顔を湛えたままだ。
 ゆっくりと、が飛影に歩み寄り、その手を取った。腕には、いつの間にかついたのか、裂傷があった。がそっとその傷に手をかざす。先ほどと同じように、光が傷を包むと、痕形もなく消えた。

 「な・・・!?」
 「大丈夫。もう大丈夫なのよ、飛影」

 私は1人で大丈夫。
 確かに、先ほどの力といい、この治癒能力といい、1人で生きていくだけの力はありそうだ。
 だが、なぜだろう。彼女と別れがたいと思うのは。

 「・・・気に入った」
 「え?」

 その力を見ていた飛影が、ポツリとつぶやく。が首をかしげた。

 「オレの相棒にしてやる」
 「・・・相棒?」
 「オレはあるものを捜している。その捜し物の手伝いをさせてやる」
 「・・・・・・」

 なんとも一方的な物言いなのか。まるで「そうしてやるから、感謝しろ」とでも言いたげだ。いや、実際そうなのだろう。
 だが、不思議とそれを受け入れたいと思う自分がいた。記憶がない自分を、拾ってくれるというのだ。

 「・・・うん。ありがとう、飛影」

 じゃあ・・・と差し出される手。握手でもしようというのか。当然、飛影はそれを無視した。に背を向け、「行くぞ」と声をかける。
 こうして、魔界で名を馳せている盗賊は、1人の少女と運命の出会いをしたのであった。