5.「いってらっしゃい」
「えいっ! えいっ!」
聞こえてきた幼い子供の声に、振り返る。見れば、スプーンを持って剣のように振りかぶっては下ろして、振りかぶっては下ろして・・・を繰り返しているではないか。
「リーフ、何してるの?」
「ちちうえのマネ〜!」
「・・・テリーの?」
ああ、そうだった。先日、レイドックに行った際に、イザティードの稽古に付き合ってやったのだった。
大魔王を打ち倒した王子の相手は、城の中を探し回っても誰も務まらず・・・体が鈍ってしまう・・・というときに、テリーとが愛息を連れてやって来たものだから、これ幸いと稽古の相手をさせられたのだ。
いつもは留守番で、テリーが剣を振るう姿など見たことのなかった息子は、初めて見る父親の勇姿に胸をときめかせたらしい。
「リーフも大きくなったら戦士になる〜?」
「なるっ!!」
「じゃあ、がんばって修行しないとね〜。お母様は、6歳の時にはもう魔法のお勉強してたんだぞ」
「ははうえ、すっご〜い!!」
ちゃんと理解してるんだろうか・・・とも思うが、まあ息子はまだ4つだ。今は無邪気がちょうどいい。
そういえば・・・先日のレイドック訪問時、イザティードが父王と話しているのを見て、少しだけ故郷が懐かしく思えた。今はこののどかな村で、親子3人穏やかに暮らしているが・・・もしかしたら、王の孫、もしくは王の甥として育てられていたのかもしれないのだ。
リーフが両親を「ちちうえ、ははうえ」と呼ぶのは、の教育だ。テリーは「そんな堅苦しい呼ばせ方するな」とは言うのだが、どうしても「おとうさん、おかあさん」と呼ばせるのに抵抗があった。
『私はまだ、王族としてのクセが抜けてないのかな・・・』
すでに王族としての地位を捨てて、何年も経っているというのに、未だにそれが抜けきらない部分もある。村の人々からは「あそこのお嫁さんは、いいとこのお嬢さんなのよ」と言われているのも知っている。
ルークシスには、あの日以来帰っていない。両親と兄に「王女の座を下ります」と言ってから、家族には顔を合わせていないのだ。
すでに両親は亡くなっているテリーとは違う。自分の両親は、まだ健在だ。そして、両親たちはきっと自分に息子が生まれたことを知らないのだろう・・・。
「ははうえ?」
膝の上に手を置き、考え込む母親の顔を覗きこんできたのは、澄んだアメジストの瞳。ハッと我に返った。息子が心配そうな表情で自分を見上げている。
「どこか、いたいの?」
「ううん・・・違うのよ・・・。ねえ、リーフ? もし、あなたにミレーユ伯母様の他に家族がいる、って言ったら会いたい?」
「ぼくの、かぞく?? ミレーユおばさまのほかにもいるの? うん、あいたい!」
金色の髪を揺らし、ピョンピョン飛び跳ねるリーフの姿に、は微笑む。
「それじゃあ・・・お父様がいいよ、って言ったら、会いに行こうか?」
「うんっ!!」
うれしそうなリーフに、もしも許可が出なかったら・・・という考えが過った。
テリーは、あまり王族や貴族といった人間が好きではない。幼い頃、悪政を敷いていた王のもと、生活を送っていたからだ。利用するのは構わないが、されるのは絶対に許さない・・・そんなことを言っていたこともある。
まだ王族としての身分に未練があるのか・・・そう思われるのが怖かった。
「ただいま」
「あ・・・おかえりなさい」
家の玄関が開き、テリーが帰宅する。持っていた小さな袋を渡してきた。中にはお金がビッシリ。今日も魔物を退治し、その報酬をもらってきたようだ。
賞金首を倒したり、魔物を倒したり、そういった報酬でとテリーは生計を立てている。大魔王の恐怖はなくなっても、魔物はいなくならない。そのため、仕事には事欠かなかった。
「どうした? 何か暗い顔してるな」
「え? あ、うん・・・」
眠っているリーフの頭を撫で、一息つくと、テリーがの顔を見て尋ねた。
「あのね、テリー・・・嫌だったらいいんだけど・・・その・・・ルークシスへ行かない?」
の言葉に、テリーがピクッと動きを止める。そのままジーッと見つめて来るので、マズった・・・と背中を冷や汗が伝った。やはり、彼は王族や城といったものに嫌悪感を抱いているのだ。
「・・・やっと言ったか」
「え?」
だが、ボソッとつぶやかれた言葉は、意外なもので・・・。
「オレは、いつになったら、お前が国に帰ろうって言い出すのか、気にしてた」
「え・・・え!?」
テーブルに肘をつき、手のひらに顎を乗せ、テリーが微笑みながらを見つめる。
「リーフが生まれてからは、特にな。あいつは一応、王族だろ? それに・・・お前の親父さんやおふくろさんだって、孫の顔くらいは見たいだろうしな」
「テリー・・・」
「なんだ、その顔。オレが反対するとでも思ったのか?」
「だって・・・テリー、王族とか嫌いだし・・・その・・・国に帰りたいなんて言ったら、気分害するかと・・・」
「馬鹿。王族が嫌いって・・・それはガンディーノの前の王だ。それに、王族が嫌いだったら、お前と結婚するかよ」
人差し指で、テリーがツンとの額を小突く。当のは呆気に取られた表情だ。
「え・・・じゃあ・・・」
「リーフ連れて、帰ろうぜ、ルークシスに」
テリーのその言葉に、は笑顔でうなずいた。
***
普段着ではなく、旅装で国を訪れた。まさか正装していくわけにもいかないが、普段着で登城もないだろう・・・という結果だ。
のルーラでたどり着いた祖国は、あの頃とまったく変わりがない。懐かしさに目を細めた。
「おっきなおしろ〜!」
リーフが王城を指差し、感嘆の声をあげる。テリーがそんな息子を肩車してやった。
「でかいだろ? これから、あそこへ行って、この国で一番偉い人に会うんだ。いつもみたいにはしゃいでると、捕まって牢屋に入れられちまうからな。いい子にしてろよ?」
「う・・・うん・・・」
さすがにそれは脅しすぎじゃないのか・・・と思ったが、王宮内でキャーキャー騒がれるよりかは、マシだろう。どんな教育してるんだ、と思われかねない。
王城の入り口が近づいてくると、さすがに緊張してきた。勝手に恋人を作り、勝手に王女の座を下りて国を飛び出し、勝手に孫を連れて帰って来たのだ。どんな顔をしていいのか・・・。
門番の兵士に名前と用件を告げる。もちろん、「・フィアナ・ルークシス」とは告げず、「・ルナハート」と伝えた。これで自分だとわかってくれるかは疑問だが・・・。
しばらくすると、見慣れた兵士が駆け寄って来て・・・目に涙を浮かべた彼に、ガシッと両手を掴まれた。
「王女!! よくぞお戻りくださいました!!!」
「あ・・・ど、どうも・・・」
明らかにおかしな挨拶だが、予想外の歓迎には呆気に取られているのだろう。
「テリー様! お待ちしておりましたぞ! さあ、王女、テリー様・・・と、そちらは?」
テリーの後ろに隠れ、父親の服を掴んでいた幼子を見下ろし、彼が尋ねる。だが、この2人が連れている子供・・・と思えば、わかりそうなものだ。
「なんと・・・!!? 王女の・・・お子様・・・!!!」
「あ、あの・・・アレックス、色々と言いたいことはあるでしょうけれど、今はとにかくお父様とお母様にお会いしたいの。ダメかしら?」
「いえ! すぐにご案内いたします!」
敬礼をし、アレックスと呼ばれた男がとテリーを連れだって玉座までの道を歩く。途中、感じる視線は奇異なもの。恐らく、が国を出てから入った侍女たちなのだろう。
ドキドキしながら通された玉座の間。が中に入ると、王座に座っていた国王が立ちあがり、王妃がに駆け寄って来た。
「っ!!!」
「わっ・・・お、お母様・・・」
自分を抱きしめ、涙を流す母の姿に、動揺しながらもそっと背中に手を伸ばす。
ひとしきり、を抱きしめ涙を流した王妃は、そっと体を離すとテリーに視線を向けた。そして、彼と手を繋ぐ幼子へ。
「まあ・・・この子はもしかして・・・」
「ええ、お母様。私とテリーの子供です。リーフ、ご挨拶は?」
「は、はじめまして! リーフ・ルナハートですっ」
「まあ、いい子ね・・・。こんにちは、はじめまして。私は、あなたのお母さんのお母さんよ」
「・・・ははうえの、ははうえ?」
首をかしげるリーフに、王妃がテリーへ再び視線を戻した。
「抱きしめても・・・?」
「はい、もちろん」
テリーがリーフの手を離す。不安そうな表情の息子に、「お前のおばあ様だよ」と笑顔で告げた。
「・・・おばあ、さま・・・?」
「そうよ・・・いらっしゃい、リーフ・・・まあ、にそっくりな金髪! 瞳の色はお父様似なのね! この子は、将来絶対にいい男になるわね。間違いないわ」
だってテリーさんとの息子だもの!と大絶賛の王妃に、とテリーは顔を見合わせ微笑んだ。
「どれ・・・私にも可愛い孫の顔を見せておくれ」
すでにデレデレな表情の国王が近づいて来る。リーフは王妃に抱きしめられ、次いで国王に抱きしめられ、あまりのことに混乱しているようだった。
「あなたはまだ小さいから、事情がよくわからないのでしょうね。リーフ、あなたのお母様は、この国の王女・・・お姫様なのよ」
「おひめ・・・さま・・・? あのおはなしにでてくる、おひめさま?」
リーフがテリーを見上げて問う。いつも、寝る前に父が読み聞かせてくれる童話に出て来るお姫様のことを言っているのだ。
「そうだ、そのお姫様だ」
「ははうえが・・・おひめさま・・・」
幼い子供には、何が何だかわからないだろう。キョトンとし、国王と王妃の顔を交互に見たあと、両親の顔を見上げた。
「ま、とりあえず・・・お前はこの国ではちょっと偉い、ってことだ」
ポンと頭に手を置き、そう告げたテリーの言葉に、国王が満面に笑みを浮かべてうなずいた。
***
結局、そのまま数日間、ルークシスに滞在することになり、さすがに永住するわけにはいかないと、必死に両親を説得し、住み慣れた村へと戻って来たたち。数日間、姿が見えなかったせいで、村民たちが心配したという。
「一家全員で神隠しにでも遭ったんじゃないか、とか。出先で魔物に襲われてしまったんじゃないか、とか・・・そりゃあもう、色々と」
神隠しはともかく、魔物に襲われたくらいで姿を消すほど、ヤワではない。まあ、心配してくれたことは、うれしいが・・・。
「それじゃ、・・・行ってくる」
「うん、行ってらっしゃい、テリー」
「ちちうえ、いってらっしゃ〜い!」
玄関まで見送り、声をかけるとリーフに、テリーがフト何か思い立って振り返る。
「? どうしたの?」
「・・・いや、“おかえり”とか“行ってらっしゃい”とかいう言葉が、すごく大事に思えてきたな、と思って」
「え?」
テリーが腕を伸ばし、の体を抱きしめる。
「オレの帰ってくる場所はここ・・・お前のいるところなんだな・・・」
「・・・そうだよ、テリー。私とリーフが待つ場所に、ちゃんと帰ってきてね? 待ってるんだから」
「ああ・・・」
体を離し、フッと微笑む。結婚して数年が経った今でも、は昔と変わらず、テリーを優しく包んでくれる。その温もりが愛おしい。
「なあ、・・・」
「ん? なぁに?」
「今回の仕事が終わったら・・・リーフに弟か妹、作ってやるか」
「え・・・!!?」
テリーの言葉に、が顔を真っ赤にさせる。そろそろ2人目を・・・と考えてもおかしくない時期だ。
「そ・・・それは・・・う、うん・・・いいんじゃないかな・・・」
モジモジしながら、答えるを見てテリーが笑みをさらに濃くし、手を伸ばして妻の頭をクシャリと撫でた。
「じゃあ、それを楽しみに行ってくる」
「う・・・うん・・・」
「ちちうえ、きをつけてね〜!」
無邪気に手を振る息子に手を振り返し、テリーが村を出て行く。
「・・・2人目、か」
リーフに聞こえないよう、小さくつぶやく。
そして、テリーと夫妻の間に、可愛らしい娘が誕生するのは、それから約1年後のことだ。
リーフの妹の名前は、もちろん「アルテナ」です(順序逆)。