ドリーム小説

 結果が気になっていた奈月たちなのだが、翌朝登校して聞かされたのは、鴨志田の休み。詳しいことは、わからないが、とにかく鴨志田は学校に来ていなかった。

 「どういうことでしょうか・・・?」

 コソッと奈月は隣の蓮に声をかける。明らかに、昨日の出来事が関係しているはず。蓮は首をかしげただけだった。
 1時間目が終わり、奈月は友人2人と教室を出る。と、そこで担任の川上と遭遇した。

 「あ、3人とも、ちょうどよかった。あのね、午後の体育の授業、自習になったから」
 「え? 自習??」

 友人の片方が首をかしげる。奈月たちのクラスの体育は、鴨志田が担当している。奈月は、朝のうちに噂で鴨志田が休みだというのは聞いていたが、友人たちは知らなかったらしい。

 「よくわからないけど、鴨志田先生から『自宅謹慎する』っていう連絡があったらしいのよ。あ、コレここだけの話ね」
 「自宅謹慎? あ、もしかして」

 友人が制服のポケットから、1枚の赤い紙を取り出す。奈月はギクッとした。それは、竜司の作ったあの予告状だ。

 「これ、関係してるのかな??」
 「やっぱり、鴨志田先生って、例の噂マジだったのかな?」
 「・・・例の噂?」

 友人たちの言葉に、奈月が首をかしげる。言いぶりからして、いい噂ではないのだろう。うん、と友人がうなずく。

 「鴨志田先生、バレー部員に体罰してたって・・・」
 「え・・・」

 噂になっていた? あ然とする奈月の前で、川上が咳ばらいをした。3人の視線が彼女へ向く。

 「それじゃ、伝えたから。クラスのみんなにも伝えておいてね」
 「はい」

 奈月がしっかりとうなずけば、川上は3人の前を立ち去って行った。奈月は改めて友人2人を見た。

 「香乃、真静、教えて。体罰って、どういうこと?」

 問い詰める奈月。2人は真実を噂として知っていた。奈月がバレー部に勧誘されていたのを知っていたのに。

 「いや、その・・・奈月、鴨志田先生に誘われてたから、言いにくかったけど・・・一度、練習覗いた子が言ってて・・・」

 ボブカットの真静は、その短い髪を指でいじりながら、小さくつぶやいた。ポニーテールの香乃はその尻尾を揺らし、奈月に「ごめんね」と告げる。2人とも知っていたということか。
 結果的に、奈月はバレー部に入らなかったので、体罰は受けなかったが、そういう問題ではない。
 奈月の友人の鈴井志帆は、それが原因で飛び降りたのだから。

 「奈月?」

 黙り込んだままの奈月は、2人をその場に残し、教室に戻った。

***

 「二宮さん、帰らないのか?」

 かけられた声に、奈月はハッとした。黒板の上にある壁時計は4時半・・・放課後を指している。
 声をかけてきた隣の席の少年は、不思議そうな表情を浮かべ、その澄んだ薄灰色の瞳を奈月に向けていた。
 教室で蓮が奈月に堂々と声をかけることはない。いつもチャットだ。その彼が奈月に声をかけてきた。

 「あ、うん・・・帰ります・・・」

 蓮はモルガナの入ったカバンを肩にかけ、教室を出て行く。その姿を見つめ、奈月はハァ・・・とため息をついた。

 「あの、奈月」

 気まずそうに声をかけてきた友人。奈月は立ち上がり、席を離れようとしていたが、その声に足を止めた。

 「その・・・ごめん。さっきの。黙ってて」
 「いいよ、もう。入部しなかったんだし」
 「でも、本当はバレー部に入ろうとしてたんでしょ? 鴨志田先生のこと、尊敬してたんでしょ?」
 「もうやめよう? この話。それより、2人とも部活でしょ!」

 ニッコリと笑い、奈月はカバンを肩にかけた。「じゃあね、また明日!」と、いつもと同じように挨拶し、教室を出た。
 ゆっくりと廊下を歩き、下駄箱に向かう奈月のスマホが震えた。

 『あのカフェで待ってる』

 雨宮蓮からのメッセージに、奈月はグッと唇を噛んだ。この人には、何もかも見透かされている気がする。やはり、優しくて気配りの出来る人だ。
 先ほど教室を出て行ったばかりなのだから、わざわざこんなことをしなくても、2人で一緒に行けばいいのに、彼は奈月を気遣ってくれた。“前歴のある生徒”と一緒に歩いていれば、噂になる。
 奈月はさほど気にはしないが、蓮の方はそうでもないようだ。できるだけ、杏や奈月を自分から遠ざけようとしているように見える。
 そんな優しくて、気配りの出来る人物が前科者。詳しく聞くことは出来ないが、一体彼は何をどうして、そのような事態に陥ったのだろうか。
 蒼山一丁目から渋谷へ。もう3度目の来店となるそこへ。いつも思うが、よく空席を確保できるものだ。
 窓辺に並んだイスの2つを蓮が占領していて、その他の客と蓮に申し訳ない気持ちになる。急いで注文し、蓮の元へ向かった。

 「ごめんなさい、雨宮くん。お待たせしました」

 奈月が声をかけるより早く、蓮がこちらに気づいて手を上げていた。どうやら、カバンの中のモルガナが教えていたらしい。
 少しだけ背の高いイスに「よいしょ」と座る。目の前に、買ったばかりのハニーラテが入ったカップを置き、膝の上にカバンを置いた。

 「大丈夫だった?」
 「え・・・?」

 それは何に対する「大丈夫」なのか。イスに座れたことへの? メッセージを送ったことへの?
 キョトンとする奈月に、蓮が慌てた様子で「ごめん」と謝った。

 「オレ、余計なことしちゃったかな」
 「あ・・・誘ってくれたことですか? いえ! 雨宮くんはちっとも悪くありません。むしろ・・・ありがとうございます。気を遣っていただいて」
 「いや、そんな大したことじゃないよ。ただ、気になっただけだから」

 そう言って、表情一つ変えることない蓮。心からそう思っているのだろう。この人は、取り繕ったりしない。
 そして、奈月が話し出すのを待ってくれている。コーヒーを飲みながら、窓の外を歩く人々を眺めていた。うっすらと、ガラスに映る2人の姿は、傍から見れば恋人同士のデートに見えるだろうか。
 買ったハニーラテに、なかなか口をつけられない。どうやって切り出そうか。手で包んだカップは、少しずつぬるくなってきているのに。
 グイッと一口。フゥ・・・と息を吐き、意を決した。

 「・・・私、弱いんです」
 「え?」
 「あ、パレスで、じゃないですよ? もちろん、パレスでも雨宮くんたちの足を引っ張ってしまいましたけど」
 「足なんて引っ張ってないし、弱くもない」
 「そんなこと・・・」

 キッパリと言いのける蓮に、奈月は口ごもる。この人の言葉には力がある。それは、何度も声をかけられた奈月が一番よく知っている。
 軽く「そんなことないよ」と言うことだってできるのに。上辺だけの言葉。だが、蓮はそうではない。
 真剣に奈月の言葉を聞き、頭の中できちんと理解、整理し、正しい答えを出す。

 「鴨志田のせい? そう思うのは」

 蓮が尋ねる。もちろん、それもある。だが。

 「それだけじゃありません。私、許せないって思ってしまったんです。友達のこと」

 奈月はポツリポツリと、先ほどのことを蓮に話した。友人2人が、噂程度だが、鴨志田の体罰を知っていたことを。
 ゆっくりと話す奈月の言葉を、蓮はけして口をはさむことなく、ただ静かに聞いていた。

 「鴨志田先生の体罰、知ってて黙ってて、私がもしもバレー部に入っていたら、どうするつもりだったんだろうって・・・」

 膝の上に置いたカバンをギュッと掴む。友人たちは、奈月のことなど、どうなってもかまわない、そう思っていたのではないかと疑ってしまった。

 「それは仕方ない。でも、2人の気持ちもわかる。その時点では、鴨志田の体罰は噂の域を出ていなかったわけだし。余計なことを言って、二宮さんを不安にさせたくなかったのかも」

 窓の方を向いたまま、だけどしっかりした声で蓮が言う。奈月は思わず彼を凝視していた。転入初日、耳を突いた心地よい声。雨宮蓮は、けして饒舌ではないが、それでも大事なことはきちんと告げてくれる。
 わかっていた。奈月だって、わかっていたのだ。香乃と真静がけして奈月をどうでもいいなんて思っていないことを。
 誰かに言ってほしかった。自分の気持ちを代弁してほしかった。
 それを口にせず、それでも他人にそれを言ってほしかったのだ。

 「・・・雨宮くんは、真っ直ぐな人ですね。私、素直にそう思えたらいいのに。弱いから、どうしても弱い方へ行ってしまう」

 うつむいて小さくつぶやくと、不意に頭を撫でられた。驚いて顔を上げれば、やはり向こうも驚いた表情の雨宮蓮の姿。

 「あ、ごめん・・・。嫌だったよね」
 「いえ! 頭を撫でられるのなんて、子供の頃以来で、うれしいです」

 驚いたが、イヤではなかった。
 蓮の手は、当然ながら奈月のものより大きくて。なぜだか、その手に触れたいと思った。
 その思いが行動に出ていたのか、奈月はジッと蓮の手を見つめていて。蓮に「二宮さん?」と声をかけられた。ハッと我に返る。

 「ご、ごめんなさい!! その・・・男の子と、こんな風に親しく接するの、初めてだったので」
 「あ・・・気がつかなくてごめん・・・」
 「そ、そうじゃなくて・・・! けして嫌悪感とか不快感とかなくて・・・むしろ、うれしかったです」

 素直な気持ちを伝えると、蓮は目をしばたたかせて。次いで優しく微笑んでくれた。
 眼鏡の奥の灰色の瞳は、優しい。パレスでシャドウを相手にしている時は、鋭い眼光を見せているし、鴨志田と相対していた時も、けして怯まない瞳をしていたけれど。

 「・・・ありがとう、雨宮くん」
 「うん」
 「雨宮くんは、いつも私のこと、元気づけたり勇気づけたりしてくれますね。なんだか、うれしいです」
 「うれしい?」
 「はい。私、男子の友達いないので。・・・あ! 勝手に友達にしてしまい、ごめんなさいっ!!」
 「いや・・・友達で、仲間だろ?」

 蓮が優しく微笑んだ。その笑顔が本当に優しくて。胸の奥がジワリと温かくなって、鼻の奥がツンと痛んだ。
 いけない。こんな所で泣いたら、蓮に迷惑をかけてしまう。深呼吸をして、涙を追い出した。
 何事もなかったように、奈月は装い、蓮の方を向いて微笑んだ。うまく笑えているかは、わからないけれど。

 「大丈夫?」
 「はい。ご迷惑をおかけしました」
 「迷惑なんかじゃないから。ちゃんと頼ってほしい」
 「・・・はい」

 今度は、うまく笑えていただろうか・・・?
 欲しい。何にも負けない強さが。あなたのように、真っ直ぐに立ち向かって行ける強さが。