ドリーム小説

 鴨志田が体罰・・・はその言葉を頭の中で何度も繰り返した。
 は現在、親元を離れ、1人暮らしをしている。目黒の自宅まで、ボンヤリしながら帰った。我ながら、よく事故に遭わなかったな、と思ってしまう。
 何かの間違いではないのかと思ってしまう。人格者だと信じて疑わなかった。
 いや、竜司が何か勘違いをしているのかもしれない。きっとそうだ。
 だが・・・志帆と三島の痣や怪我がの脳裏に蘇って。
 まさか、そんなこと・・・そう信じたいのに、信じられない自分もいた。

***

 翌日。昨日のことを引きずりながら、は登校した。
 教室に入ると、はすでに登校していた。初日の遅刻以外、この4日間、彼は真面目に朝から来ている。

 「・・・おはよう、くん」

 わざとらしく、挨拶してみる。昨日のこと、まだ引きずってるし、信じてないから、というように。
 連は肘をつき、顎を乗せた姿勢だったが、の挨拶に「え?」とつぶやいた後、「おはよう」と小さく返した。

 「〜! おっはよ〜!」

 友人2人が元気よく声をかけてくる。隣にがいても、気にしていない。というか、いるからこそ近づいてくるのだろう。を守るために。
 この友人2人に、と竜司が鴨志田を「体罰教師」と疑っていると言ったら、どうなるだろうか?  は、さらに周りから白い目で見られることだろう。しかし、それもいいかもしれない。あの鴨志田に、そんな疑惑の目を向けるのなら。
 だが、どうしてもたちの言葉を真っすぐに否定できない。弱い心。

 「おい、あれ・・・!!」

 公民の授業中のことだ。入口の方の席にいる男子生徒が、突然声をあげた。

 「飛び降りるんじゃないか?」
 「え!?」

 教室内が騒然とし、生徒たちが立ち上がる。教師が注意しても、そんなことで大人しくなるわけもなく。

 「鈴井・・・?」

 三島が声をあげ、が「えっ?」と彼へ視線を向けるのと、杏が教室を飛び出したのは、ほぼ同時だった。
 廊下には生徒たちであふれていて。杏が窓に駆け寄り、届くはずもないのに、志帆の名を呼ぶ。
 も皆と同じく、教室を出た。まさか、そんな・・・グルグルと頭の中を嫌な言葉が駆け巡る。
 そして・・・鈴井志帆は重力に身を任せた・・・。
 キャー!と悲鳴があがる。そのシーンがスローモーションのように見えて・・・。は血の気が失せ、フラッと後ろに倒れかかった。
 だが、その体を誰かが受け止めた。

 「しっかり」
 「・・・あ」

 聞こえてきた声に、頭を動かせば、前を見据えた眼鏡の少年がいて。

 「ご、ごめんなさい」
 「大丈夫?」
 「はい。ありがとうございます」

 連の手が、の体から離れる。そこへ、竜司もやって来て。窓辺にいた杏が、人混みを押しのけ、走り出した。

 「おい、俺らも行こうぜ!」

 竜司の言葉にがうなずき、走り去っていく。だが、は動かなかった。否、動けなかった。

 「なんで・・・志帆ちゃん・・・どうして・・・」

 友人が取った衝撃的な結末に、は呆然と立ち尽くした。

***

 救急車のサイレンの音が遠ざかる頃、はようやく手に力を込めた。先ほどまで、まるで力が入らなかった。
 今、倒れても先ほど助けてくれた少年は、ここにはいない。
 そうだ、鴨志田・・・たちの言葉が真実ならば、何か知っているかもしれない。は踵を返すと、体育教官室へ向かった。廊下を進んでいくと、前方に竜司と、三島の姿が見えた。3人の目的地はと一緒。教官室へ入って行った。
 あの3人がいるのでは、鴨志田を問い質せない。はドアの陰から様子をうかがった。恐らく、3人の目的も、と一緒のはず。
 竜司が鴨志田に食ってかかるのを、が静かに宥めている。竜司は完全に頭に血が上っているようだ。
 そして、そこでは信じられないことを聞いた。
 の前歴をネットにバラまいたのは、三島だというのだ。しかも、鴨志田に脅されて。
 それだけではない。志帆の意識が戻るかわからないという。そんな状態だというのに、鴨志田は悪びれた様子1つもない。

 「さんを執拗に勧誘していたのは?」

 が尋ねる。まさか、ここで自分の名前が出てくるとは思わず、はドキッとした。
 だが、鴨志田は、さも下らない・・・というようにフンと鼻で笑った。

 「彼女の才能を認めているからに決まっているだろ」
 「ウソつけ! てめぇ、いつものことヤラシー目で見てただろ!!」
 「何を馬鹿なことを言ってるんだ!」

 あ・・・掠れた声が出た。
 なんだ。そういうことか。才能なんてない。それは自分が1番よく知っている。鴨志田が自分をバレー部に入部させようとしていたのは、“そういうこと”だったのか。
 竜司の言葉と態度に、鴨志田はそこにいた3人を退学にする、と宣言した。次の理事会で決定させる、と。
 そっと足を動かす。最初はゆっくりと・・・体が言うことをきくと、走った。
 なんて愚かだったのだろう。少しでも期待した。あの鴨志田卓に才能を認めてもらえた、と。
 だが、そうではなかった。あの男も、その他大勢と一緒だったのだ。
 いや、薄々感づいてはいた。相手の視線には敏感になっている。鴨志田が性的な目で自分を見ていたことに、気づいていた。膝の痛みなんて嘘。本当は、それが嫌だったのだ。
 教室に戻る。担任の川上が、収拾のつかなくなった生徒たちに手を焼いていた。とにかく、今日はこれで下校だ。

 「なあ! 坂本とと三島、退学処分だってよ!!」

 駆け込んできた生徒が発した言葉に、はドキッとした。なぜ、もう広まっている? まさか、鴨志田が・・・?
 と三島が戻ってくると、教室内は不自然に静かになった。2人はカバンを持って、教室を出て行った。

 「? 大丈夫??」

 友人の1人が声をかけてくる。が鈴井志帆と友人だったことを、彼女たちは知っている。

 「顔、真っ青だよ? 早く帰った方がいいよ」
 「・・・うん」
 「家まで送ってあげるから、帰ろう?」
 「ごめん、私、少し1人でいたいから」

 友人たちの優しい言葉に、は静かに首を横に振った。心配そうな表情をしながら、2人は教室を出て行った。
 しばらく、1人でボーッとしていた。川上が教室に戻ってくる。「早く帰りなさい」と言われ、ゆっくりと席を立った。
 そのまま帰る気にならず、校内を歩いていると、中庭の自販機の前にと竜司の姿を見つけた。そちらへ近づいていくと、より先に、病院から戻ってきていた高巻杏が声をかけている。ここからでは、3人の会話は聞こえない。
 しばらく様子を見ていると、杏が2人の傍を離れ、の方へとやって来る。こちらに気づいた杏に、が「高巻さん・・・」と名前を呼ぶ。

 「さん。どうかした?」
 「あの、高巻さん、その、ごめんなさいっ!」
 「え?」
 「志帆ちゃんのこと・・・私のせいです」

 ギュッとスカートを握り締め、が絞り出すように声を発した。

 「え? なんで?? さんは何もしてない・・・」
 「そうです。何もしてあげられなかったんです・・・。志帆ちゃん、あんなに苦しんでいたのに、気づかないで、“部活がんばれ!”なんて言ってしまって・・・」
 「さん・・・」

 杏が視線を落とす。やはり、許してはもらえないだろう。“気づかなかった”じゃ、許されないのだ。

 「さっき、坂本くんが鴨志田先生のこと問い詰めていて・・・。それで、確信しました。志帆ちゃん、苦しんでいたんだ、って。遅すぎですよね・・・」

 ポタリ・・・の瞳から、滴が落ちる。杏が気まずそうに視線を落とした。
 そうだ、泣いて許されることではないのだ。志帆は自ら命を発とうとしたのだから。

 「さん、自分を責めないで。志帆を救えなかったのは、私も同じ」
 「高巻さん・・・」
 「だから、さ。私たちで志帆の仇を討とうよ! 志帆の代わりに、鴨志田の奴、こらしめて、罪を認めさせよう?」
 「でも、そんなこと・・・どうやって?」

 首をかしげるに、杏はニコッと笑い、の背後を指差した。

 「坂本くんと・・・くん?」

 金髪と黒髪の取り合わせといったら、あの2人だろう。転入初日から、2人でコソコソと何かしていたのは知っている。それに何より、先ほどまで鴨志田に食ってかかり、退学を言い渡されたばかりだ。

 「あの2人がどうかしたんですか?」
 「うん。どうやら鴨志田の奴に何かしようとしてるみたいなんだよね。さっき、混ぜてって頼んだら、坂本のバカに怒鳴られたけど」
 「何かする・・・? 何をですか?」
 「わかんない。でも、あの2人に付いて行けば、何かわかるかも」

 それはどうなのだろうか。2人はただの高校生だ。大の大人である鴨志田に、敵うはずがない。社会的立場にも。

 「ね、私はどんな些細なことでもいいから、鴨志田に痛い目見せたい。さんは?」

 杏の澄んだ青い瞳が、真っ直ぐに自分を見つめる。
 地味な存在だった。いや、わざとそうしていた。コンプレックスに触れてほしくないから。
 だが、それでも男子たちはに注目し、鴨志田には目をつけられた。
 そんなのは、ごめんだ。同級生たちの視線だけで十分だ。は、うんとうなずいた。

 「行きましょう、高巻さん」
 「そうこなくっちゃね!」

 ねえ、志帆ちゃん・・・。待ってて。絶対に私は、鴨志田先生に痛い目見せるから。