ドリーム小説  

 運動のできない者には、憂鬱なイベントかもしれない球技大会。
 しかし、授業がないということで、喜んでいる生徒も多い。
 制服から体操服に着替え、2年生は体育館へ。球技が始まる。はバレーボールで参加予定だ。
 友人たちと立ちながらおしゃべり。次の試合が2-Dの試合だ。それまでは、応援という名の雑談タイムである。
 まあ、どっちみち自分のクラスは関係ないのだから、それも仕方のないことなのだが。

 「なあ、おい・・・さん・・・」

 かすかに聞こえる声で、チラチラとこちらを見る男子の視線。友人たちが話しかけて、気を紛らわせようとしてくれる。
 この体操服というものは、なぜか上半身のラインを拾いやすい。ジャージを着たいのだが、生憎忘れてきてしまったのだ。教室へ戻ればいいのだが、何せ試合がある。
 1試合目が終わる。は友人の声援を受け、手を振るとコートの中に入った。
 中学の3年間、はバレーボール部に所属していた。この秀尽学園に入学した時も、当然入部した。しかし、練習中に膝を痛め、それが原因で退部した。今現在は完治しているため、問題はないのだが、もしもまた、あの痛みに襲われたら・・・と思うと、復帰は難しく。
 それでも、短時間の試合は問題ない。1試合を早めに終わらせてしまえばいいのだ。は積極的に白球を拾いにいった。
 が動くたび、男子の視線も動く。視界の隅に、金髪の少年と並んで座る黒髪の少年の姿が入り込んだ。何やら2人で話し込んでいるようで、こちらのことは見ていなかった。周りの男子とは大違いだ。
 2-D勝利で終わった試合。は友人たちの元へ戻った。

 「さあっすが! カッコよかったよ〜!」
 「ありがとう」

 ハイタッチを交わし、体育館の床に座り込む。友人たちと、またしても雑談だ。
 2年生の試合が全て終わり、続いて教師対生徒の試合。バレーボールだ。鴨志田が当然ながら出てくる。

 「、ウチら飲み物買ってくるけど、一緒に行く?」
 「ううん。2人だけで行ってきて」
 「そう? じゃあ行ってくるね〜」

 手を振り合い、友人たちが体育館を出て行く。その姿を見送り、は目の前で繰り広げられる、教師対生徒の試合へ目を向けた。
 ボンヤリとその様子を眺める。思い出すのは、先日の志帆の様子だ。明らかに、自分に何かを言おうとしていた。
 それに、あの痣。バレー部員は、皆が皆、怪我をしていたり痣があったりする。
 そして、まことしやかに流れる体育教官室の噂。誰もいないのに物音がしたり、悲鳴が聞こえてきたりするらしい。
 まあ、それらは鴨志田のファンである女子生徒が、生徒たちを教官室に近づけさせないためのデマ、ということだが。

 『志帆ちゃん、大丈夫かな?』

 顔色も良くなかった。あのうつろな瞳も気になった。
 だが、は志帆とクラスが違う。バレー部だって退部してしまった。彼女にズケズケと物を言ってもいいのだろうか?
 まるで一方的な試合を、ボンヤリと眺める。
 そんなの姿を、黒い瞳が気遣わしげに見ていた。彼もまた、ボンヤリと、自分に声をかけてきた少女を気にしていた。“前科者”の汚名を持つ自分に。
 と、の元へ友人2人が戻ってきたのを見て、彼は我に返って咄嗟に、唸り声を発する金髪の少年へ視線を向けた。
 そして、コートの方がざわついたのは、その直後。鴨志田が「保健委員!」と声をあげた。

 「見た? 今の・・・。顔面直撃だったよ・・・?」
 「痛そー・・・」

 どうやら、鴨志田の打ったアタックが、クラスメートの三島を直撃したらしい。
 体育館内が一瞬、水を打ったように静かになったが、三島が退出すると、何事もなかったかのように、再び歓声が聞こえてきた。

***

 気づけば、金髪と黒髪の少年の姿は体育館から消えていた。
 まあいい。には関係ない。体操服から制服に着替えた。今日もまた、部活へ向かう友人たちと別れ、1人で昇降口へ。

 「、ちょうどよかった」
 「?」

 背後から声をかけられ、振り返ると鴨志田が笑顔で寄ってきた。またか・・・と心の中でつぶやく。もう何度目だろうか。こうして声をかけられるのは。
 鴨志田卓は、元オリンピックの金メダリストなのだ。校長が彼をこの学校に置いているのは、その輝かしい実績が理由だ。期待しているのだ、この男に。
 以前会った時は「君」と呼ばれていた。どこから聞きつけたのか、をバレー部に戻そうとしているのだ。今回もきっとそうだろう。

 「どうだ? 戻る気になったか?」
 「いえ、お気持ちはありがたいのですが・・・」
 「もったいないぞ、! 1カ月で退部するなんて!」
 「いえ、ですが、今さら戻っても・・・」

 視線を落とし、断る。やはり、あの膝の痛みを思い出すと、怖いのだ。

 「膝はもう完治したんだろう? そろそろいい返事をくれないか?」
 「あ、いえ、でも・・・」
 「なら即レギュラーだ! その実力がある!」
 「えっと・・・もう少し考えさせてください」
 「もう少し、もう少しって・・・俺はもう何度も声をかけているじゃないか」

 そうなのだ。鴨志田はもう何度もをバレー部に戻そうとしてくれている。「さっきの試合も見てたぞ!」笑顔でそう言ってきた。
 ああ、この人はこんな凡人のためにここまでしてくれている。あの鴨志田先生が。もう、トラウマを引きずらなくてもいいのではないだろうか。

 「先生、わた・・・」
 「さん」

 が了承の言葉を発しようとしたその時、横合いから声をかけられた。鴨志田と2人、視線を動かせば、赤いジャージ姿の生徒。癖のある黒髪。眼鏡の奥の黒い瞳が真っすぐにに向けられている。
 前歴持ちの転校生に声をかけられ、思わず体に力が入った。自分はこの人に何かしてしまっただろうか?」

 「くん、どうかしましたか?」

 震えそうになる声を必死に隠し、は彼に向き直った。

 「教えてほしいことがあるんだけど、いいかな」
 「え? なんですか? どうして私に?」
 「オレ、話しかけられるの、さんしかいないから」

 伏し目がちにそう言われ、は彼をかわいそうに思った。
 クラスで完全に浮いた存在。誰も彼に近づかないし、声をかけない。そんな彼に、は転校初日に声をかけ、教科書も見せてやった。

 「は、はい。わかりました。・・・すみません、鴨志田先生。さっきの話は、やはりお断りします」

 頭を下げ、と共にその場を離れた。鴨志田がを睨んでいたことに気づかずに。
 教えてほしいことがある、と言っていたが、連れて行かれたのは中庭で。そこには金髪の少年がいた。何か声を荒げていて。相手は・・・のクラスメート、高巻杏だった。
 杏が彼の前から立ち去ると、入れ替わるようにたちが彼の元へ。

 「お? さんじゃんか」
 「こんにちは、坂本くん」

 坂本竜司・・・それが彼の名前だ。竜司はを交互に見やる。

 「どうした? に連れてこられたのか?」
 「はい・・・」

 ズバリ言い当てた竜司に、は困った表情でうなずいた。竜司が問い詰めるより早く、が口を開く。

 「鴨志田に狙われてたから、つい」
 「げっ! マジかよ!?」
 「あ、いえ・・・! バレー部に戻ってこないか、と言われていただけです!」

 狙われる、なんてとんでもない。は慌てて首を横に振った。鴨志田はを思いやってくれていたのだから。
 だが、と竜司は複雑そうな表情を浮かべて。は首をかしげた。

 「えっと・・・2人とも、どうかしましたか?」

 思わず不安になってしまう。何せ、と坂本竜司の2人組だ。先日、校長たちが話していた“前歴のある生徒”と“暴力事件の張本人”である。
 そんな2人に怯えているわけではないが、どうしたって身構えてしまう。
 竜司とは、去年クラスが一緒だった。例の“暴力事件”のことも、端的に知っている。彼が陸上部に在籍していた時に、鴨志田を殴ったことを。


 「ごめん、助けたかっただけ。余計なおせっかい」

 だが、はそう返してきた。もしかして、しつこい勧誘に気づいていた? いやまさか。そんなこと・・・。

 「おせっかいだなんて、そんなこと・・・。あ、でももう大丈夫です! 私、帰りますね。2人も早く帰った方がいいですよ」
 「うん。ありがとう」

 またしても告げられたお礼の言葉に、はフト、首をかしげた。
 前歴のある生徒が、ことあるごとに礼を言ってくる。それもなんだか不自然に思えた。
 またしても思う。は、本当に周りが言うような傷害事件を起こしたのか。
 だが、そんなことは自分には関係ない。2人の前を離れ、昇降口に戻ろうとし、その場に足を止めた。
 いけないと思いつつも、立ち聞きしてしまった。
 と竜司が話している内容・・・バレー部、体罰、三島・・・。
 三島はバレー部員だ。だが「体罰」とは、なんだろう? まさか三島の痣は、体罰によるもの・・・?
 いや、まさか。バレー部の顧問は鴨志田だ。元オリンピック選手という輝かしい実績を持ったあの人が、そんなことをするとは思えない。こんな情けない自分のことも、熱心に誘ってくれて。
 だが、先ほどは言った。「助けたかった」と。
 何から? 鴨志田から。なぜ?
 “なぜ”・・・その答えが見つからない。
 あの2人の少年は“何か”と知っている。恐らく、“なぜ”の部分だ。
 下駄箱へ向かい、上履きからローファーに履き替えようとした時だ。三島の姿が目に入った。部活はどうしたのか?と思ったが、先ほどの球技大会で、彼は顔面にボールがぶつかっていた。今日は休むべきだろう。

 「三島くん、大丈夫?」
 「え? あ・・・・・・」

 が声をかけると、三島はバツの悪そうな表情を浮かべた。

 「さっきは災難でしたね。今日は早く帰って・・・」
 「三島!」

 が笑顔を向けると、2人の横合いから声がかけられて・・・。やはり、やって来たのは先ほどの2人。

 「話、あんだけど」

 竜司が吐き捨てるように言う。そんな言われ方をしたら、三島でなくても固まってしまう。

 「“指導”されてんだって? “体罰”じゃなくて?」
 「ち、違いますよっ!!」

 竜司の言葉に、三島が声を荒げる。ビクッとの肩が震えた。そんなの様子に、が気づく。「少し落ち着け」と小さく注意した。
 必死に“体罰”を否定する三島だが、逆にそれが不自然で。
 と、そこへ再び三島を呼ぶ声。鴨志田だ。「練習はどうした?」と問いかける教師に、三島は「具合が悪くて・・・」と返す。

 「じゃあ、辞めるか?」

 高圧的な物言い。杏や、他の女子生徒たちに向ける態度と大違いだ。
 三島はグッと拳を握り締め、諦めたような目で「・・・行きます」とつぶやいた。従順な三島の態度に、竜司が舌打ちする。
 その竜司に、「今度何か騒ぎを起こせば、退学だからな」と冷たく返す。そして、を見やった。

 「お前もだからな」

 は何も言わない。その無気力な瞳で鴨志田を一瞥しただけだ。

 「ボサッとするな!」
 「は、はい・・・」

 立ち尽くしていた三島に、鴨志田が怒鳴る。先ほど、に見せた笑顔が嘘のようだった。

 「・・・無駄だよ」
 「あん?」

 三島が去り際、ポツリとつぶやいた。・竜司の3人が彼へ視線を向けた。

 「体罰の証明なんて、意味ないんだよ・・・。みんな、知ってるんだ。校長も、教師も、家族も」
 「え・・・?」

 の口から驚愕の声が漏れる。三島がキッと竜司を睨みつけた。

 「迷惑なんだよ!!」

 言い捨て、三島は校舎の中に戻って行った。その背中を見送り、は2人の少年を振り返る。

 「どういうことですか!? 体罰って・・・鴨志田先生が??」
 「わりぃ、さん。関係ねぇ人間は巻き込みたくねーんだ」
 「坂本くん・・・? くん・・・!」
 「竜司の言う通りだから」

 連なら何か教えてくれるかも・・・そう思ったが、返ってきたのは冷たい言葉。

 「行こうぜ」

 呆然とするをその場に置いて、2人は教室の方へと歩いて行った。