ドリーム小説
は、高校入学と同時に実家を出て、目黒のアパートで1人暮らしを始めた。
実家から秀尽へは通えない距離ではなかったが、妹や弟たちが大きくなり、手狭になってきたこともあって、家を出た。
最初は寂しいと感じていた生活だが、自炊にも掃除・洗濯にも慣れて、今では自由気ままに生活している。
今日は、渋谷で買い物だ。目黒でも事は足りるのだが、せっかくの休みだし、普段行き慣れてはいるが、自然と足が向いていた。
とは言え、休日の渋谷はごった返している。少し買い物をしただけで、気疲れしてしまった。そろそろ、どこかでランチでも取ろうか。
さて、どこへ行こうか。駅ビルの中にしようか。
考えながら歩いていた先に、見慣れた姿。黒髪に眼鏡、背中にはカバン。きっと、あの中には黒猫が入っているはず。
ハンドバッグからスマホを取り出し、彼の番号を表示させ、発信。やはり、先ほどの少年がポケットからスマホを取り出した。
《はい》
聞こえてくる心地の良い声。知らず、頬が緩む。
「こっちこっち、後ろ」
振り返ったに手を振る。一瞬、驚いた表情をして、ニッコリ微笑んだ。耳からスマホを離し、通話を切った。
「、どうしたんだ?」
「うん、買い物。くんは?」
「オレも買い物」
言って、は手に持っていた袋を掲げた。「中見てもいい?」と尋ねる前に、は袋の中身をに見せてきた。緑色したアンプル。これは・・・。
「これって、植物にあげるやつ?」
「そう。部屋に観葉植物があるから」
「へぇ・・・。植物のお世話するなんて、くんって優しいんだね」
「そんなことないよ。部屋にあったから、なんとなく育ててるだけ」
言いながら、はチラリとの持つ袋を見た。まさか下着類・・・?と思ったのかどうかはわからないが、すぐに視線を外した。
「私は、今ハヤリの輸入食品店で、色々と仕入れてきたんです。1人暮らしだと、自炊するのが面倒になるから、お手軽に作れるレトルトとか」
「ああ・・・そうなんだ・・・」
「くんは・・・保護者代わりの人がいるのよね? その人が料理作ってくれるの?」
「いや・・・基本は自分で作ってる。たまに、カレーとか出してくれるけど」
「カレー?」
「うん。結構おいしいよ。スパイスにこだわってるみたいで。コーヒーとカレーが自慢だって言ってる」
カレーか・・・。1人暮らしになってから、あまり食べなくなってしまった。あったとしても、レトルトカレー。作るとなると、どうしても沢山になってしまうので、何日かカレーが続くことになる。冷凍すればいいのかもしれないが。
「・・・食べに来る?」
「え・・・! い、いいの??」
「もちろん。佐倉さんも喜ぶ」
“佐倉さん”という人が、のことを引き受けてくれた人物なのだろう、どんな人なのか、興味があった。
2人は渋谷を後にし、四軒茶屋へと向かった。の家からは遠くなってしまうが、別に構わなかった。
四軒茶屋の駅で下り、路地裏にある純喫茶ルブランへ。入る前に、は店構えを見つめた。
「ステキなお店だね。今どきのカフェもいいけど、こういうお店もいいな」
「本当? 佐倉さんに言ってあげて」
クスッとが笑う。そこでようやく、モルガナがカバンから顔を覗かせた。
「なんだ、賑やかだと思ったら、がいたのか」
「こんにちは、モルガナ」
律義にモルガナに挨拶。モルガナも前足をヒョイと上げ、返した。
さて、気を取り直して。ルブランのドアを開ける。カランカラン・・・ドアベルが鳴った。カウンターの向こうにいたアゴヒゲのマスターが、こちらへ視線をやる。の姿に「お前か」とつぶやき、の存在に気付くと、目を丸くした。
「あ、初めまして。くんのクラスメートのと申します」
「お、おお・・・。こいつの保護司の佐倉ってもんだ。いらっしゃい」
「お邪魔します」
「、そこ座って。佐倉さん、カレー2つお願いします」
「あん? 少しは手伝え。飯をよそえ」
「はい」
素直に応じたは、モルガナの入ったカバンをカウンターの椅子に置き、厨房の方へ。
なんとなしに、店内にあったテレビに目を向ければ、バラエティ番組を映していた。普段見ないので、何やら新鮮だ。
「あー・・・、さん?」
「え? あ、はい」
佐倉惣治郎は、少しだけ戸惑いがちにの名を呼んだ。一拍遅れ、はテレビから惣治郎へ視線を向ける。
「まさかとは思うけど、アイツと付き合ってるってことは、ないよね?」
「え! ま、まさか!! ただのクラスメートです!」
アワワワ・・・と手を横に振り、慌ててその言葉を否定した。尋ねられた内容に、顔が熱くなる。
「そんなに力いっぱい否定したら、がキズつくぜ」
ニャーとモルガナが一鳴き。は顔を真っ赤にさせ、うつむいた。そこへ、皿にカレーを盛り付け、がやって来た。
「お待たせ。どうかした?」
「う、ううん! なんでもない!!」
「そう?」
の前に皿を置くと、は彼女の隣に腰を下ろした。惣治郎が2人の前にお冷を出してくれた。
スプーンでカレーをすくい、1口。は目を丸くした。自慢だというだけのことはある。おいしい。
「どう?」
「・・・おいしい。すっごく」
「よかった」
尋ねてきたに、率直な意見を述べると、彼は自分が褒められたかのように、うれしそうに笑った。
「そうだ、。これ食べ終わったら、一緒にテスト勉強しない?」
「え? でも、私何も持ってきてないし・・・くんの邪魔にならない?」
「邪魔だったら誘わない。テキストあるから、一緒に解こう」
「うん、くんがいいなら」
よかった・・・とが微笑む。が断るとでも思ったのだろうか。1人ではなかなか勉強ははかどらない。がこうして誘ってくれたのは、にとっても助かった。
カレーを食べ終え、惣治郎にお礼を言い、代金を支払おうとすると、「もらえない」と言われてしまった。お店の食事なのだから、タダというのは気が引けるのだが・・・。
「オレがごちそうするから、気にしないで。それでいいですよね?」
「お前からなら、な」
「でも、くん・・・」
「いいから。四茶まで連れてきちゃったお詫び」
きっと、彼は退かない。けして代金を受け取らない。「その代わり・・・」と、がつぶやいた。
「今日、この後の時間、全部オレにちょうだい」
「え?」
「の時間、ちょうだい。もちろん、後で家まで送る」
一緒に勉強をする約束だし、それは問題ない。「うん」とうなずいた。がうれしそうに「よし」とうなずいた。
「それじゃ、オレは洗い物してから行くから、先にモルガナ連れて上に行ってて」
「うん。お邪魔します」
ついでに、の買った栄養剤を植物に与えてあげよう。モルガナの入ったカバンを持ち、は階段を上がった。
古風な建物だけあって、様々なところで床鳴りがする。階段を上がればギシリ・・・屋根裏に入るとギシリ・・・。
「まあ、あまりキレイではないが、くつろいでくれ」
カバンから出てきたモルガナがそう言い、ベッドの上へヒョイと上った。
「ちょっと埃っぽいね。もしかして、最初はもっとひどかったのかな?」
「さあな。ワガハイが来た時は、もうこんなカンジだったぞ」
悪いと思いつつも、部屋の中をキョロキョロ。殺風景な中に、1つの観葉植物。ああ、きっとあれだ。
カバンと一緒に持ってきていたビニール袋の中から栄養剤を出し、アンプルを1つ土に刺す。これで少しは元気になるだろうか。そうだ、お水も適度に与えてやらなければ。
「あれ? 、やってくれたの?」
「あ・・・ごめんなさい、勝手に」
屋根裏に上がってきたが、植物の前で座り込むを見つけ、声をかけた。は慌てて立ち上がる。
「ううん、いいよ。元気になってくれるといいな」
の傍に歩み寄り、は観葉植物を見た。優しい瞳をしている。モルガナに対する態度もそうだが、彼はひどく博愛主義者だと思う。そんな人が傷害事件だなんて、世の中間違っている。
は優しい人だ。強くて、優しくて、真っすぐで。心惹かれてやまない人。
うん? 心惹かれる? いいや、違う。これはそういう甘酸っぱいものではない。尊敬・・・憧れに近い。
チラリとを見やれば、彼もこちらを見ていて。ドキッとした。
「どうかした?」
「くんこそ」
「オレは・・・ううん、なんでもない。勉強しようか」
「うん」
テーブルに椅子を2つ並べて座る。の持ってきたテキストを2人で解いていく。
お互いに教え合って、進めていく。モルガナは退屈してしまい、ベッドの上で丸くなって眠ってしまった。
少し休憩しようか、とが声をかける。ずい分と集中していた。1人だったなら、こうはならなかっただろう。
「くん、頭いいんだね。これなら中間でいい順位取りそう」
「そんなことないよ。だって理解が早いじゃないか」
「お世辞は、いりません」
「お世辞じゃないって」
確かに、はお世辞を言うような人物ではない。彼が口にするのは、いつだって本音。ただ、まったく冗談を言わないかと言われれば、そんなことはなく。
チラリ・・・再びを見れば、やはり彼もこちらを見ていて。先ほどの再現に、ドキッとした。
「ど、どうかした?」
今度はが問う番だ。
「こそ。何か言いたいこと、あるんじゃないのか?」
「くんこそ!」
ドキドキするなんて。いや、これは意図せず視線がぶつかったからだ。それ以外に理由などあるものか。
が時計を見やる。もう15時だ。かなり集中していたらしい。
「これから、どうする? もう少し勉強する?」
「うーん・・・少し疲れちゃったかな」
「そっか。じゃあ、コーヒーでもどう? オレが入れたやつ」
「え! いいの?? くんが入れたコーヒー、飲みたい!」
まさか、がコーヒーを入れられるとは。物珍しさから、は声をあげていた。が、そんなの反応にクスッと笑う。は首をかしげた。
「・・・私、何か変なこと言った?」
「いや。素人の入れるコーヒー飲みたがるなんて、変わってるなと思って」
「誰だって、最初は素人だよ? 佐倉さんだって、そういう時期があったんだから」
「うん、そうだね」
の言葉を噛み締めるように、は目を閉じて。「くん?」と声をかけると、は「なんでもない」というように首を横に振った。
2人はお互いの言葉に励まされている。周りの声なんて、どうでもい。目の前のこの人が、自分のことをわかってくれていれば。
だが、それだけだ。それがどういう意味を持つのかも、よくわかっていな。それを知るには、まだ時間が浅い。
「くん、早くコーヒー飲みに行こ?」
「うん」
いいのだ。まだ知らなくていい。
この心に芽生えたものの答えは、まだ知らないままで・・・。
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