ドリーム小説
何の変哲もない、1人の女子高校生だった。
周りの情報に疎く、コンプレックスである体の一部を見られる以外は。
***
新学期が始まった。高校生活も2年目を迎える。まだ1年あるが、来年は受験だ。
は改札を抜け、地上へ向かう階段を上っていった。
そして、気づく。空から雨の滴が落ちてきていることに。天気予報を見ていなかった。情報に疎いのが裏目に出た。
周りでは同じ学校の生徒たちが傘の花を開いている。仕方なしに、は小走りで少し先の軒下に避難した。あのままあそこにいては、他の利用者の妨げになる。
あーあ、ついてない・・・どんより曇った空を見上げ、は心の中でつぶやいた。
その時、少し離れた軒先に、人影が。チラリと見れば、クセのある黒髪の少年がそこにいた。大きな黒縁の眼鏡をかけた瞳は、曇天の空を見上げている。
マジマジと見すぎただろうか。少年がこちらを向く。灰色がかった黒い瞳が静かにこちらを見据え・・・ほんの一瞬、視線が絡まった。先に逸らしたのは、彼の方だった。
と、そこへもう1人。パーカーをかぶった1人の少女。軒下に入ると、パーカーを脱いだ。プラチナブロンドの髪が現れ、それがクラスメートの少女であることを教えてくれた。
「おはよう、さん」
澄んだブルーの瞳が笑みの形に緩められ、の名前を呼んだ。
「おはよう、高巻さん」
高巻・・・彼女の苗字だ。クォーターの帰国子女。スタイル抜群でモデルもやっていることを、は友人を通して聞いている。
「朝からついてないね。どうする? このままじゃ遅刻しちゃうよ?」
「うん・・・でも、もうすぐ止みそうじゃないですか?」
クラスメートの言葉に、は空を見上げ、聞こえてきたクラクションの音に、視線を落とした。1台の車が止まっていた。
車の窓が開き、そこから見知った男が顔を見せる。体育教師だ。
「乗せていってやる」
彼の言葉は、クラスメートに向けられたものだ。彼女は少し困った表情をしながらもうなずき、を振り返った。
「ね、さんも」
「え? でも・・・いいんですか・・・? 悪いです」
「何言ってんの! クラスメートでしょ!」
クラスメートの少女の向こう・・・黒髪の少年がこちらを見ていた。
このまま断れば、彼と再び2人きりになってしまう。なんとなく、それは居心地が悪くて。気づけばうなずいていた。
高巻杏と一緒に、車へ走る。杏は助手席に乗り込むと、「彼女もいいですよね?」と教師に尋ねた。「もちろんだ」彼は笑顔でうなずいた。それを見て、は「失礼します」と後部座席に乗り込んだ。
「なんだ、よく見ればじゃないか」
「はい。おはようございます、鴨志田先生」
「おはよう」
鴨志田・・・体育教師の鴨志田卓はルームミラー越しに、笑顔を向けてきた。
「あの、本当によかったんですか?」
「気にするな。どうせ同じ目的地だろう?」
「ありがとうございます」
杏と鴨志田が、生徒と教師の関係だというのに、付き合っているらしいという噂は、情報に疎いの耳にも入っていた。真実かどうかは、知る由もないが、こうして気軽に車へ乗せるということは、そういうことなのかもしれない。
フト、気になってバックミラーに目をやる。先ほどまでいた軒下に、彼はまだいて・・・その近くに金髪の少年がいたことを、の目は捉えていた。
***
校門の近くで車を下りれば、同校の生徒たちからの視線を浴びてしまった。助手席から杏が出てくると、何やら納得した様子で校門の中へ足を踏み入れていく生徒たち。
私立秀尽学園高等学校。の通う学校だ。
杏と他愛のない会話をしながら、教室へ。彼女の席は、の左斜め前だ。そして、左の席は不自然に空いている。
朝のホームルームが始まり、午前の授業が始まっても、その席は空いたままだった。
昼休みになって、の周りに友人が集まってくる。仲がいいのは。2人の女子。弁当を広げながら、「転入生、来ないね〜」と声をあげた。
「さっすが前科者は違うね〜。転校初日に堂々と遅刻とは」
もう1人の友人がパンにかじりつき、つぶやく。お茶の蓋を開け、1口飲んだは、その言葉にキョトンとする。
「前科者?」
「やだ、。知らないの? ネットで話題になってるのに!」
「フーン・・・」
「“フーン”ってあんた・・・傷害事件を起こした人が、隣の席に来るんだよ? わかってる??」
呆れたようにそう言われても、実感が湧かなくて。再び「フーン」とつぶやいた。
「あんたってホントに危なっかしいわね・・・。もう少し、世間に目を向けなって」
そんなことを言われても、この17年間で培ってきた習慣は直すのが難しいものだ。
別に世間、特に校内のことについては、そんなに詳しくなくてもいいと思う。道徳に反する行動をしなければ問題ない。そう思っていた。
そして、午後の授業。始業のチャイムが鳴り、しばらくすると国語教師でD組の担任でもある川上が入ってきた。1人の少年を連れて。
「えっと、転入生を紹介します。今日はその、体調不良ということで、午後から来てもらいました」
フト、は転入生へ目を向け、その大きな瞳をさらに大きくした。
雨宿りをしていた、黒髪・眼鏡の少年だ。彼が転入生・・・しかも友人たちの話では傷害事件を起こした“前科者”である。
「です」
川上に促され、発した言葉はたったの一言。名前を告げただけ。ひどく無気力な声だが、耳に心地よいと思った。
「それじゃ、席は・・・そこね。空いてるところ」
ゆっくりと、がこちらへやって来る。と目が合う。彼が頭を下げたので、も小さく返した。
手配が間に合わず、教科書がないので、が見せることになった。「さん、悪いけどお願いね」と言われ、「はい」と答え、机を彼の方へ寄せた。
「ありがとう」
律義にも礼を言うに、は「ううん」と首を横に振った。後ろの方から「さん、カワイソ〜」「災難だね」という声が聞こえてくる。
本当に、彼が前歴持ちの問題児なのだろうか? この無気力な感じと、穏やかな視線はとても傷害事件を起こすような人に見えない。
終業のチャイムが鳴るまで、はから感じる違和感に、疑問を抱いていた。
***
今日は、連日起こっている不可思議な事故の影響で授業は5時間目までだった。机を元の位置に戻し、帰りの支度をする。
ホームルームが終わる。友人たちは部活があるため、いつも帰りは1人だ。教室を出たところで、鴨志田がひどい肥満体の男と話していた。校長だ。
内容は、思わず眉をしかめてしまうものだ。なぜ、を編入させたのか。前歴のある生徒が暴力事件の張本人とつるんでいた。暴力事件の張本人・・・? は首をかしげる。
そのの前で2人は会話を進める。いくら鴨志田がいても、評判が下がる。だが、校長は鴨志田に頼りきっていた。
要するに、校長がの編入を決めたのは、ポイント稼ぎだ。けして彼の立場を慮っての行為ではなかった。
ひどい話だ。ハァ・・・とため息をつき、はフト教室の方へ視線を向け、ギョッとした。張本人が立っていたのである。
まさか本人が聞いていたとは・・・。はどう声をかけようか悩む。
だが、彼はには目もくれず、何も言わず、スッと横を通り過ぎた。
「あ、あの・・・!」
咄嗟に呼び止めていたが、彼は振り返らない。
「くん・・・!」
名前を呼ぶと、ようやく彼が足を止め、振り返った。少々戸惑ったような面持ちで。
それはそうだ。学校中がを避けている。彼と目を合わせようものなら、殴られるかカツアゲされるか・・・と怯えているのだ。
「何?」
体を横に向け、顔だけをに向ける。眼鏡の向こうの瞳がこちらを見てきた。
「その・・・さっきの、気にしない方が・・・いいです、よ・・・」
「・・・・・・」
「こ、これから、新しい人生が始まるんです、から・・・その・・・」
しどろもどろに告げると、彼はキョトンとして。廊下にいた生徒たちが、自分たちに注目しているのを感じた。
「あれ、じゃん」「ひょ〜! 相変わらず、いい胸してんね〜!」聞こえてきたヒソヒソ声に、はギュッと拳を握り締める。
「・・・ありがとう」
先ほどの、教科書を見せてあげた時と同じ口調で、彼はそう応えた。
その彼の元へ金髪の生徒が近づき、何やら告げる。2人はそのまま別々に歩き出した。
フゥ・・・と息を吐く。なぜ、彼に声をかけてしまったのか。目立たないようにしたかったというのに・・・。
昇降口へ向かう。その近くで、見慣れたポニーテールの少女と遭遇した。顔や腕に痣があるが、どうしたのだろうか?
「志帆ちゃん!」
「あ・・・ちゃん・・・」
鈴井志帆・・・去年、部活が一緒で仲良くなった友人だ。志帆はうつろな瞳でを見た。
「これから部活?」
「・・・うん」
「そっかぁ。私は1カ月で辞めちゃったから・・・。志帆ちゃんはがんばってね!」
「・・・・・・」
「志帆ちゃん?」
目を伏せる志帆に、は首をかしげる。
「ちゃん・・・あのね・・・」
「鈴井」
志帆が何かを言いかけたが、それを遮るように男子の声が彼女を呼んだ。のクラスメートでバレー部の三島由輝だった。
「鴨志田先生が呼んでる」
「え・・・!」
三島もまた、生気の失せた表情をしていた。そして、志帆と同じく、顔や腕に痣があった。
「ごめんね、ちゃん。またね」
「うん」
トボトボと歩いて行く志帆の背中を見送り、は「三島くん」と立ち去ろうとしていた彼を呼び止めた。
「あの、どうかしたんですか? 元気がないみたいですけど・・・」
「そんなことない。大丈夫だよ」
「そうですか?」
「ああ。それじゃ、部活があるから」
彼もまた、トボトボと歩いて行く。
その背中を見つめ、志帆を振り返った。小さくなっていく姿が、やがて見えなくなる。
「志帆ちゃん・・・?」
その不自然さに、は首をかしげた。
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