2.べにさしゆび【触れる・ただそれだけで・窺うように】

 璃月で一番偉いはずの人に、怒られているにもかかわらず、北斗姉様はどこ吹く風だ。
 天権・凝光さんは、そんな姉様の態度には慣れっこで。「本当、貴女って困った人ね」と腕を組み、ため息をついた。
 そんな凝光さんを、チラリと盗み見。うーん・・・相変わらず麗しい。
 長い白金の髪、スラリと伸びた足、堂々とした態度。どれも私には無いものだ。
 薄っすらと施された化粧だって、私には真似できないものだから。

 「フフフ・・・貴女は、いつも私を盗み見てるわね」

 不意に、凝光さんが私を見て、そう告げた。気づかれてた・・・!!

 「しっ・・・失礼しました!! 不躾でしたっ!!」
 「いいのよ。感じて嫌になる視線ではなかったもの」

 クスリと凝光さんが笑みをこぼす。優雅なその笑みに、私はまたしても、ポーッと見惚れてしまう。
 大人の女性だ。私には到底なれっこない、魅力的な人。

 「なんだ? 凝光がそんなに気になるのか?」
 「えっ・・・! あ、はい。美しい方なので」

 北斗姉様の言葉に、素直に返事をすれば、目の前の美女二人は目をパチクリ。次いで北斗姉様が「アッハッハッ!」と声をあげて笑った。凝光さんまでクスクスと笑いだす。

 「凝光が美しいなら、あんたは愛らしい、だよ。そんなに気にするなら、あんたも唇に紅くらい差したらどうだ?」
 「え、で、でも、私に化粧なんて似合いませんよ」
 「そんなことないさ。大丈夫、万葉なら、すぐに気づいてくれるだろうさ!」
 「えっ!?」

 フト、頭に思い浮かんだ人物の名を出され、大げさに反応してしまった・・・。
 私のわかりやすすぎる反応に、凝光さんが小さく首を傾ける。

 「万葉って、貴女の船に乗っている、稲妻の子よね?」
 「ああ。こいつの幼なじみなんだ」

 ポン、と北斗姉様が私の背を叩く。凝光さんが「あら、そうなのね」と優しく微笑み・・・持っていた巾着から何かを取り出した。
 取り出した小さな箱のようなものを開けると、薄紅色の何かが入っていて。

 「こちらへいらっしゃい」
 「へ?? え?」

 それを見ていた私を、凝光さんが手招いた。呼ばれることなんて、今までなかったこと。
 おずおずと近づき、引かれた椅子に腰を下ろす。凝光さんは薄紅色の塗料のようなものを右手の薬指に付けると、私の方を向き、クイッと私の顎を軽く持ち上げた。

 「??」
 「動かないで」

 言われた通り、ピタッと身動きせずに待つと、凝光さんの薬指が、私の唇を撫でた。
 そのまま数十秒。やがて凝光さんが「出来たわよ」と言い、巾着から手鏡を取り出し、私に向けた。
 そこに映っているのは、当然のことながら私。だけど、目を引くのは唇。紅色に染まったそこ。
 さっきの凝光さんの行動は、私の唇に紅を塗ってくれていたのだ。

 「へえ、いいじゃないか! 似合ってるよ!」
 「そ、そうですか?」
 「北斗船長の言う通りよ。船に乗っているのに、肌が白いのね。おかげで紅色が際立っているわ」

 二人の賞賛の声に、くすぐったい気持ちになる。唇に紅を差しただけなのに、急に大人びた気持ちになってしまう。

 「これ、貴女にあげるわ」

 小箱の蓋を閉め、凝光さんが紅を差し出す。

 「いえ! そんな・・・!」
 「遠慮しないで。ただのお節介だから」
 「・・・・・・」
 「恋する乙女の応援をさせて頂戴」
 「は、はい。それじゃあ、ありがたくいただきます・・・」

 凝光さんから紅の入った小箱を受け取る。稲妻では貝殻に入れるから、それを真似てみるのもいいかも。

 「あたしはもう少しここにいるが、あんたは先に戻ってもいいよ」
 「そんな、私も・・・」
 「早く万葉に見せてやりな」

 クックッと笑みを浮かべる北斗姉様。それじゃあ、と私は席を立つ。凝光さんにもう一度お礼を言って、私は万葉が待つ死兆星号へ戻った。
 とは言っても、現在、南十字船隊は孤雲閣の近くに停泊している。璃月港へは数人の船員と、北斗姉様と私で、小さい船でやって来たのだ。
 小船を停めている桟橋へ向かえば、船員さんがいて。事情を話すと、ひとまず私を死兆星号に送ってくれることになった。
 璃月港から孤雲閣へは、すぐに行くことは出来ないので、往復するのも大変なのに、申し訳ない・・・。
 数時間かけて死兆星号へ戻ると、私は万葉の姿を探しつつ、自室へ向かった。いつもの見晴らし台にいるかと思ったけど、その姿は無かった。

 「おや? 戻っていたでござるか」
 「わっ!!」

 自室に入ろうとした時だ。横合いから声をかけられた。完全に油断していた私は、ビクッと大きく肩を震わせてしまった。

 「ああ、すまぬ。驚かせてしまったか」
 「う、ううん・・・ごめん、私が大げさだっただけ」

 だって、緊張していたのだ。
 私の唇を見て、万葉はどんな反応をするだろう? 気づくだろうか? 北斗姉様は「すぐに気づく」と言っていたけれど。

 「姉君の話では、数日の間、璃月港に滞在するとのことだったが」
 「あー・・・う、うん。北斗姉様は璃月港にいるよ」
 「そうか」

 さすがに向き合わずに会話するのは失礼だし、不自然だと思ったから、万葉の方を向いたけど・・・沈黙が落ちた。
 話すこともないのに、突っ立っているのもおかしな話だ。私が「じゃあ・・・」と部屋に入ろうとするけれど、万葉が一歩近づき、私の顔を凝視してきた。

 「か、万葉?」
 「ふむ。・・・何かいつもと違うと思えば、唇に紅を差しているでござるな」
 「っ! えっと、に、似合わないよね!」
 「いや? そんなことはない」

 気づいてくれた。ただそれだけで、ものすごくうれしいのに・・・似合ってるってこと、だよね? そっと万葉の表情をうかがう。見た表情は、いつもの穏やかな笑みだった。
 別に、私に特別な感情を抱いてほしいわけじゃないし、私の変化に気づいてくれただけで十分。
 それなのに。万葉がスッと手を伸ばし、私の下唇に親指で触れた。
 心臓が跳ねる。そんなことされたら、誤解してしまう。接吻しようとしてるとか。
 もちろん、そんなことはなく。万葉の指が離れる。

 「綺麗な色でござるな。自分で購入したのか?」
 「ううん。天権さんが」
 「ふむ、なるほど。さすが凝光殿。良い目利きをしておる」

 ああ、なんだか気恥ずかしくなってきた。褒められたのは、凝光さんなのに。それを身に着けている私まで褒められたみたいで。

 「えっと、それじゃあ、私は少し部屋で休むね! また後で」
 「うむ。ゆっくり休んでくれ」

 部屋に入り、寝具の傍にある机に小箱を置く。そして、そっと万葉が触れた唇に指で触れた。
 途端、カァッと顔が熱くなる。万葉にとっては大した意味なんてなくても、私にとっては大した意味だった。