1.いきよい【一瞬の・欠け・もどかしい】

 幼なじみが稲妻から帰ってきた。あの日から、ずっと不安で過ごしていた。もしも彼に何かあったら、って。
 戻ってきた彼が、最初に言った言葉は・・・。

 「ただいま戻ったでござるよ」

 当然ながら、「ただいま」だ。心配していたのに、拍子抜けするほど、あっけらかんと。
 死兆星号から下りてきた彼は、晴れやかな顔をしていた。稲妻で何かあったのだろうことは、予想できる。
 私がそれを尋ねれば、彼は目を丸くして。

 「そうでござるな・・・色々とあったでござるが・・・」

 顎に手をやり、思案気な表情を浮かべ、それからニッコリと笑った。

 「今はまず、お主の入れた茶が飲みたいでござる」

 いつもと変わらない、穏やかな笑みと口調で、そう言ってくれた。
 北斗姉様や、船員のみんなに「おかえりなさい」を告げてから、私は死兆星号の流しに立った。火は起こしてあるから、お湯を沸かして・・・。

 「再会の抱擁くらいは、交わしたのかい?」
 「え?」

 私がお茶の準備をしていると、北斗姉様の声がした。振り返れば、やはり入り口のところに北斗姉様が立っていて。ニヤリと口角を上げ、意地悪そうな笑みを浮かべた。

 「えっと?」
 「万葉と抱き合って、再会を喜んだのか?ってことだよ」
 「!?」

 その、とんでもない発言に、私はカッと顔を赤く染めた。耳まで真っ赤だろう。

 「おやおや。どうやら図星らしいな」
 「ちっ違っ・・・!! そんなこと、してませんっ!!」
 「別に嘘をつくこともないだろう」
 「う、嘘じゃな・・・」

 私の言葉に耳を貸さず、北斗姉様は「アッハッハ!」と笑いながら立ち去ってしまった。
 私、からかわれた?
 ううう・・・抱き合うとか、無理に決まってるのに!
 とりあえず、気を取り直してお茶の準備。と・・・流しに見覚えのある小さな袋が置いてあった。いや、見覚えはあるけど、ここ数か月は見慣れていないもの。
 稲妻の緑茶だ。万葉が置いて行ったのかな? 丁度いいから、これを入れよう。
 故郷にいた頃から、自分でお茶を入れて飲んでいたため、面倒だとは思わないけど、味は保証できない。
 それでも、あの幼なじみはいつも笑顔で「お主の入れた茶は、うまいでござるな」と言ってくれる。
 適温まで温めたお湯で、緑茶を入れる。さて、持って行こう・・・としたところで、背後に気配。

 「丁度いい間であったな」
 「あ・・・。今、持って行こうと思ってたのに」

 立っていたのは万葉で。私の元へ寄って来ると、そこにあった湯呑を見て、首をかしげた。あれ? 緑茶は嫌だった?

 「一杯だけか? お主の分は?」
 「え? あ・・・自分のことは考えてなかった・・・」
 「これは神里家の御令嬢からいただいた上質の茶葉でござる。お主もいただくといい」
 「そうなんだ・・・。うん、じゃあ私も飲も〜っと」

 湯呑にお茶を注ぐ。綺麗で澄んだ緑色。本当、上質なものだ。さすが奉行所のお墨付き。
 お盆に湯呑を二つ載せ、食堂へ。船員たちはいない。私たち二人だけだ。
 椅子に向かい合って座り、湯呑を置く。万葉が早速一口。そっと微笑んだ。

 「やはり、お主の入れた茶は美味でござるな」
 「それは茶葉がいいからでしょ」
 「それだけではござらんよ。入れた者の技量もある」

 私も一口お茶を飲む。久しぶりに飲む、故郷のお茶だ。
 なんとなく、無言。まあ、万葉はけして口数が多い人じゃないので、私が話さない限り、静かなものだ。

 「色々と、聞きたいのでござろう?」

 湯呑を置き、腕を組んで万葉が告げる。
 そりゃ聞きたい。稲妻で何があったのか。お尋ね者の万葉が、稲妻へ戻って大丈夫だったのか。
 返事として、コクコクと何度もうなずくと、万葉はフッと笑んだ。

 「拙者も話したいでござるが・・・今は少し休みたい」
 「え? あ、そ、そうだよね! 稲妻から長い船旅してきたんだもんね! ごめんね、気が利かなくて!」

 そうだよ、そうだよ! 私ってば、万葉のことをちっとも気にせず・・・!! 慌てて立ち上がり、湯呑を片付けようとする。
 と、万葉が私の名前を呼ぶ。振り返ってみれば、穏やかな笑みを、万葉は浮かべていて。

 「焦ることはない。ゆっくりと、稲妻で怒ったことを聞かせるでござるよ」
 「う、うん。万葉、ずっと一緒にいてくれるんだもんね」

 万葉がうなずく。うれしくて、私はニッコリ微笑んだ。

 「じゃあ、ゆっくり休んでね!」
 「うむ。また後で」

 食堂を出ていく万葉を見送って、私は小さくため息をついた。
 戻ってきてくれたのに、どこか不安だ。
 万葉は、稲妻に戻る前「共に稲妻へ帰ろう」と言ってくれた。でも、稲妻に万葉の家はない。
 いや、取り壊しにはなっていないだろうけど・・・使用人も家来も、みんな楓原家を出て行っている。
 私だって、家族はもういない。奉行所に兄が勤めているけれど、疎遠になってしまった。兄には家族がいるし。
 万葉が将軍様から逃げた時、彼は私を置いていくつもりだった。当然だ。足手まといにしかならない。
 けれど、私は万葉を追いかけた。幕府の兵士に捕まりかけた私を、助けてくれた。
 あの日から、私と万葉は共にある。
 私が万葉と放浪していることを、兄は知らないだろう。私に興味がなかった兄だ。私が璃月にいることも知らないはず。

 「あーあ、じれったいったらないね! あんたら!」
 「わっ!!」

 聞こえてきた少女の声に、私は大きく肩を震わせた。

 「し、辛炎・・・びっくりさせないでよ・・・!」
 「まったく。久しぶりに会ったんだろ? もっとこう、あるだろ? 言うこととか、することとか!」
 「え?? すること?って?」
 「恋人同士なんだから、もう少し甘い会話を楽しんで、口付けるとか」
 「はい!? 恋人?? ち、ち、違うって! 私と万葉は幼なじみ! 恋人同士なんかじゃないの!」

 辛炎のとんでも発言に、私は顔を真っ赤にした。
 恋人・・・私と万葉って、恋人同士に見えるのかな? でもまあ、ほとんど一緒にいるし、同じ年頃の男女だし、そう見えるかも。
 私としては、“そう見える”ではなく、本物の恋人同士になりたいんだけどね。

 「なんだ、恋人同士じゃないのか。でも、あんたは万葉を好きなんだろ? 勢いに任せて、告白しちまえよ!」
 「いやいやいや・・・! 無理だよ! 私は、今の関係を壊したくない」

 ついと、視線を落とし、小さくこぼす。視界の隅に、辛炎が腕を組んだのを捉える。

 「あんたが告白して、万葉が今の関係を壊すと思うのか?」
 「ううん、万葉じゃなくて・・・私が、今のままじゃいられない」

 万葉は優しいから。たとえ、私が玉砕したって、今のままでいてくれるだろう。
 ただ、私は・・・万葉と想いを通じ合うことができなかった時、今のままでいられる自信はない。
 私は臆病者で卑怯者だ。一歩踏み出すことを恐れている。
 でも、だけど、私から万葉という存在が欠けてしまうことが、恐ろしくてたまらないのだ。
 告白するのは一瞬だ。「万葉が好き」その一言で済む。
 辛炎の言う通り、勢いで想いを告げるには、私には度胸が足りないのだ。

 「ありがとう、辛炎。でもいつか・・・私は、勇気を出そうと思う」

 そう、いつか。いつか・・・勢い任せではなく、彼にきちんと想いを伝えたい。
 その日までに、万葉には恋人が出来てしまうかもしれない。わかっている。それを乗り越えられるかは、わからないけれど。
 でも、臆病者の私は、まだもう少しだけ、このままでいたいと願うのだ。