耳を疑う言葉

 「え! シティに移り住む?」
 「は、はい」

 私の決意を聞いたレンジャー長は、大きな瞳をさらに大きくした。
 レンジャー長のその驚きように、私は次の言葉を失ってしまう。

 「確かに、シティへ行くのも悪くない、とは言ったけど。まさか本当にそうするなんて」
 「冗談だったんですか?」
 「冗談というか…君が真に受けると思わなかった。君はいつだって大人しくて、自分から何かしようとするタイプじゃないでしょ?」

 レンジャー長の言う通りだ。私はあまり自分の考えや意見を言わない。いわゆる引っ込み思案だ。
 そんな私がこんなに早く行動を起こしたことに、そうとう驚いている。
 レンジャー長は顎に手をやり、考え事。どうしよう…反対されるかもしれない。アルハイゼンさんには、もう移り住むと言ってしまったのに。

 「もちろん、アルハイゼンには言ったんだよね?」
 「は、い」
 「そして、当然ながら諸手を挙げて歓迎した」
 「諸手は挙げてないかと」

 別に、いつも通りのアルハイゼンさんだったけど。
 レンジャー長はハァ…とため息をついた。

 「うん、わかった。寂しくなるけど、君が自分で決めたことだもんね。コレイは僕たちに任せて、安心してシティへ行ってほしい」
 「レンジャー長…」
 「君の居場所は残しておくから。いつでも帰っておいで」
 「行く前から帰ってくること言わないでください」

 そして、レンジャー長はみんなを集め、私がシティへ行くことを告げた。
 コレイは寂しがるかと思ったけれど、そんなことはなく。「あの人と結婚するのか!」と満面に笑みを浮かべた。

 「け、結婚!? まだお付き合いもしてないし! 私の片想いだし!」
 「そうなのか? あの人は結婚したそうだったけど」
 「コレイ、勘違いしすぎ」

 結婚だなんて、気が早すぎる。
 でも、結婚は早いけど、アルハイゼンさんは私のことを特別に見てると思う。だって、そうじゃなきゃシティへ来てほしいと言う理由が思い当たらない。
 善は急げ、ではないけれど、少しの荷物を鞄に詰め、みんなに見送られて村を出た。
 シティに到着すると、まずはホテルに。こちらでも住まいが決まるまでは、ホテル暮らしだ。早く決めないと。そこはアルハイゼンさんと相談かな。
 そのアルハイゼンさんに会うべく、教令院へ。相変わらず緑の制服に身を包んだ人たちが、雑談していた。
 ここでアルハイゼンさんを待っていて、ナンパのようなことをされたのは記憶に新しい。
 と、建物の中から見慣れた人の姿。私は一歩前に出て、彼を待つ。そんな私の姿に気づいた彼が、心持ち足早にこちらへ寄って来た。「こんにちは」と挨拶すると、「こんにちは」と返って来た。

 「あの、本当にシティへ来てしまったのですが…」
 「ああ。待っていた」

 さも、当然というような返し。やっぱり、この行動は間違っていなかった…ということだよね?

 「住居は決めてあるのか?」
 「そこは相談しようと思いまして。しばらくホテル暮らしかな、と」
 「そうか。俺の家に来てもいいのだが…」
 「え!! い、いえ! それは遠慮しておきます!!」

 さすがにいきなり同棲はハードルが高すぎる。少し待ってほしい。いや、待たれてもそのうち一緒に住めるか、勇気が出るかはわからないけど。

 「ヴィマラ村あたりで見つけようかと思っているんですが」
 「それではガンダルヴァー村を出た意味がない。シティに家を探そう。俺に任せてくれ」

 心強い言葉をいただき、うなずく。「とりあえず、俺の家へ行こう」と言われ、ドキッとしてしまう。思わず足が止まってしまった。
 そんな私を振り返ったアルハイゼンさんの表情は怪訝で。しかしすぐに思い当たったようで「ああ」と声を漏らした。

 「安心してくれ。君に手を出すつもりはない。コーヒーでも、と思っただけだ」
 「え? あ、そ、そうですよね! い、いえ! アルハイゼンさんが何かするとは思っていませんが!」

 は、恥ずかしい。過剰な反応をしてしまった自分に悔いる。

 「そうしてほしいのなら、遠慮はしないが」
 「は」

 ジッと私を見つめるターコイズの瞳。私は慌てて首を横に振った。アルハイゼンさんはさして気にした様子もなく「そうか」と返し、歩き出した。
 ううう…心臓に悪い。アルハイゼンさんって、たまに冗談言うから困る。しかも真顔で、しかもしかも、それを冗談だとも言ってくれない。
 教令院からほど近い一軒の家。アルハイゼンさんは玄関に立ち、鍵穴に鍵を差し込み…動きを止めた。そして、ハア…とため息をつくとドアを開けた。
 ドアを開け、「どうぞ」とアルハイゼンさんが声をかけてくる。私は「お邪魔します」と告げ、中に入った。廊下の先に、大きなテーブルとソファが三つ。その三つのうち、中央にあったソファに一人の金髪の男性が座っていた。
 その人とバチッと視線がぶつかった。お互い、キョトンとしてしまう。この人は確か…アルハイゼンさんのルームメイトの…。

 「あれ? えっと、君の友人か?」

 カーヴェさん、だったはず。不思議そうに尋ねてくる彼に、アルハイゼンさんは再びため息をついた。

 「何故、ここにいる?」
 「え、だってここは僕の家でもあるじゃないか」
 「出張だと言っていなかったか?」
 「向こうの天気が荒れてるらしく、延期になった」

 カーヴェさん、有名な建築家だって言ってたっけ。忙しいんだろうな。
 と、そのカーヴェさんの視線が再び私に向けられる。

 「それより、彼女を紹介してくれ、アルハイゼン。恋人なんだろう?」
 「そのつもりはない。いいから出て行け」
 「ああそうかい。君は僕が立ち去った後、彼女といかがわしいことを…」
 「カーヴェ」

 たしなめるように、アルハイゼンさんが名前を呼ぶ。

 「羨んでいるのはわかった。だから邪魔はするな」
 「そこまで邪険にすることないだろ! 僕は君の先輩だぞ!」
 「ほう? その先輩は恥ずかしげもなく後輩に酒のツケを支払わせ、家に住まわせてもらっているのか。大した先輩だな」
 「う…ぐっ…君はどうしていつも…! 可愛げのない!」
 「可愛げ? 君は俺にそんなものを求めているのか。ならばそれ相応の態度を取ることだな。君は俺に迷惑をかけることしか知らない。そんな相手に可愛げ? 笑わせてくれる」
 「っく…! この…わからず屋め…!」
 「それだけか? どうした。語彙力が低下しているぞ」
 「〜っ! もういいっ!」

 二人の言い合いを、ポカーンと見つめてしまった。

 「ごゆっくりどうぞ! 今度、ぜひ彼女と二人っきりで話がしたい。アルハイゼンの良くないところを聞かせてあげるよ!」
 「は、はい…」
 「はい、じゃない。カーヴェも勝手に彼女を誘うな」

 フン!と鼻を鳴らし、カーヴェさんは家を出て行ってしまった。

 「やかましくしてしまってすまなかった。さ、こちらへ」
 「いつもカーヴェさんとはあんな感じなんですか?」
 「まあ、そうだな」

 アルハイゼンさんは楽しそうだけど、カーヴェさんはフラストレーション溜まったりしていないだろうか?
 ソファを勧められ、そこに座ると、アルハイゼンさんがこの場を離れる。しばらくすると、コーヒーのいい香り。やがて、カップを二つ持ったアルハイゼンさんが戻って来た。

 「どうぞ」
 「ありがとうございます」

 カップを受け取り、一口。ああ、おいしい。こんなにおいしいコーヒー飲んだことない。さすが、味にうるさそうなアルハイゼンさん。

 「物件は、明日中には手配する。申し訳ないが、待ってくれ」
 「え! あ、明日ですか? そんなにいきなり住む所って見つかるものなんですか??」
 「書記官の力を使えば、どうとでもなる」
 「…職権濫用しちゃ駄目ですよ」

 そんなに急ぐこともない。モラはあるし。
 チラリ、悪いと思いつつも室内を見回す。色んな所に本が置いてあり、アルハイゼンさんの家らしい。

 「ところで…。こうしてシティへの移住を決めてくれたということは、先に進んでもいいということだろうか?」
 「え? 先??」
 「俺と、真剣に交際してくれないだろうか」
 「…は?」

 ……。
 え、何今の。私の聞き間違い? とっても信じられない言葉が告げられたのだけど。
 テーブルにカップを置いたアルハイゼンさんは、私の手からもカップを奪ってテーブルへ。そして私の手に大きな手が重なる。どうやら、聞き間違いではなかったらしい。
 あ然として、アルハイゼンさんを見れば、ターコイズの瞳は真っすぐに私に向けられていて。オレンジの虹彩が綺麗だな、なんて思ったり。

 「ああ、やはり迷惑か。俺の勘違いということだな」
 「ち、違います! 迷惑ではなく、びっくりしただけです!」
 「そうか。では交際してくれるんだな?」

 ジッと見つめるその視線に、真っ赤になりながらうなずいた。
 嘘みたいだ。でも、アルハイゼンさんは私の手を握り締めてきて。これは本当のことだ。夢じゃない。スメール人は夢を見ないけれど。
 恐る恐るアルハイゼンさんの手を握り返すと、かすかに口角が上がったように見えた。