ガンダルヴァー村から、スメールシティはそう簡単に行き来できる距離ではない。
過去にレンジャー長と訪れたことのある都市。そこに、今回は私一人でやって来た。もちろん、遊びではない。
そう、これは遊びではないのだ。
食事をしようと立ち寄ったのが、酒場だったことが、そもそもの間違いだった。昼から酒を飲んでいる人もいないだろう、という考えも間違いだった。
思いっきり、騒動に巻き込まれてしまった。
一体全体、何が起こったのかは知らないが、店内にいた二人の男性が言い争いになり、カウンターで食事をしていた私の背後で、取っ組み合いを始めたのだ。こちらとしては、たまったものではない。
これは逃げた方がいい。ソロソロと立ち上がり、店の奥へ行こうとした時だ。ドン!と背中に衝撃。驚いた拍子に足がもつれ、そのまま前へ転んでしまった。
ズシリと背中にのしかかる重さ。胸が圧迫される。何が起きたのか、すぐには理解できなかった。
必死に首をひねって背中を確認し、ギョッとした。取っ組み合いのケンカをしていた片割れが、私の上で倒れていたのだ。
「ヘッ! ザマーミロってんだ!!」
得意げに立っていた男が言い放つ。私は起き上がろうとしたのだが、背中の上の男が重くて動けない。
しかも気絶しているらしく、声をかけても無反応。まさか、しばらくこのまま? 冗談ではない。
店の中にいる誰かが助けてくれるかも、と思ったが、厄介ごとに巻き込まれたくないのか、手助けしてくれる人はいない。
うう・・・早く目を覚まして・・・!
ギュッと目を閉じ、そんなことを祈ったその直後、背中から重みが消えた。
「えっ・・・?」
目を開け、顔を上げるとスッと手が差し伸べられた。
「怪我はないか?」
そこにいたのは、一人の男性。
銀色の短い髪。不思議な虹彩の瞳。引き締まった腕。思わず見惚れた。
だが、すぐにハッと我に返る。「はいっ!」と上ずった声で返事をし、差し伸べられていた手を取った。引っ張るのではなく、支えとして助けてくれた。
助けてくれた男性は、「大丈夫そうだな」と小さくつぶやくと、そのまま立ち去ってしまった。
「・・・あ。名前・・・」
いや、それどころか助けてもらったのに、お礼を言ってない!
慌てて酒場の外に出る。キョロキョロと辺りを見回すも、彼の姿はない。箸ってその辺を探したけれど、どこにもその姿はなく。
そろそろスメールシティを出て、帰路に就かなくては、予定の時間に村へ帰れない。
心残りだが、シティを出るしかなかった。
「あ、おかえり!」
ガンダルヴァー村に帰ると、レンジャー見習いのコレイが笑顔で迎えてくれた。私は「ただいま」と告げ、持っていた包みを渡す。おみやげだ。
死域を探しに出かけていたレンジャー長の帰りを待ち、報告をする。
「ありがとう。何も問題はなかった?」
「え・・・! あ、はい、ほとんど」
「ほとんど? 引っかかる言い方だね。何かあった?」
レンジャー長が心配そうな表情を浮かべる。私は逡巡したのち、「実は・・・」と酒場で起こったことを話した。
「大丈夫? 怪我は?」
「ちょっと膝と肘を打ったくらいです。問題ありません。現に、ここまで歩いて帰ってきたんですから」
「今は平気でも、後から痛むかもしれない。ちょっと待って。薬草を」
患部に貼り、安静にすること。レンジャー長にそう言い渡された。
さきほどの話に、助けてくれた男性の話は出さなかった。なぜだろう。なぜか、大切にしまっておきたいと思ったのだ。
それから数日後。
薬草のおかげで、痛みはなく、普通に動ける日々。レンジャー長が私を呼んだ。
「オルモス港に行って、荷物を受け取ってきてほしいんだ」
今度は私一人ではなく、レンジャーの隊員も一人一緒だ。彼と一緒にオルモス港を目指す。
スメールシティ並みに、ガンダルヴァー村とオルモス港は距離がある。今回は一泊してもいいと言われている。
賑やかな港町に到着すると、すぐに船の着く桟橋へ。荷物を無事受け取る。
「用事はこれだけ?」
「ああ。そうだ、少し港町を散策したらどうだ? 荷物は俺が持って行く」
「ありがとう。そうするね」
お言葉に甘えて、私はオルモス港を歩くことにした。
前回の教訓を受け、ジャファータバーンでは中ではなく、外の席を選んだ。
さすがにここまで来るのは疲れた。私も早々にホテルへ行くことにしよう。
そう思った時だ。視界の隅に、一人の男性が入り込んで。ドキッとした。
見間違えるはずがない。先日、スメールシティで助けてくれた人だ。
「嘘・・・また会えるなんて・・・」
お礼を言いそびれている。今がチャンス。だけど、あんな少しの出会いを、覚えているだろうか? いや、でも・・・。
勇気を振り絞り、立ち上がる。そのまま、彼のもとへ向かった。
本を読んでいた彼が、私の姿に気づき、チラリと視線を向けてきた。
「あの・・・覚えていないと思いますが、私、先日スメールシティで助けていただいた者です」
「ああ。覚えている」
「えっ!?」
意外な答えが返って来て、思わず声をあげてしまった。
彼は読んでいた本から目を離さない。だが、気にせず頭を下げた。
「あの時は、きちんとお礼も言わず、申し訳ありませんでした。それで、もしご迷惑でなかったら、改めてお礼をさせてほしいのですが」
「いや、それには及ばん」
「でも、それじゃ私の気がすみません」
「目障りな輩を、放っておくことはできないだろう? それと同じだ」
・・・だから助けた、と? 困っている人を見捨てておけないと。優しい人だ。
と、彼がパタンと本を閉じ、立ち上がった。
「すまない、シティに戻らなければならなくなった」
「え? あ、はい! こちらこそ、突然失礼しました」
「では」
彼が私の横を通り過ぎる。
「また、会えますか?」
ポツリ。自分に問いかけるような、小さな声で。
けれど、彼が足を止めた。そして、私を振り向いて。
「機会があればな」
「!!」
聞こえていたのか、恥ずかしい。
カア・・・と熱くなる頬を押さえる。彼はそれ以上は何も言わず、そして振り返ることなく歩き去って行った。
私は、名前も知らない彼に、恋をしてしまったんだと思う。