以前、扱い方というか、持ち方を教えてもらったけれど、マスターするにはもうしばらくかかりそうだ。
 ぎこちない二本の細い棒が、テーブルの上に並べられたお皿から、点心を掴む。そのまま持ち上げ・・・プルプルした。
 なんとか口まで運ぶ。「小皿に移して、口の近くまで持っていくといい」と、アドバイスまでもらった。

 「無理して使うこともないんだぞ」

 目の前に座る男性が、フッと穏やかに微笑み、告げる。嫌味とかではなく、私を気遣っての言葉だ。
 ナイフとフォーク、スプーンで育った私。この璃月に来てから、初めて箸に触れた。
 今まで、聞いたことはあったけれど、触れたことのなかったもの。予想以上に扱うのが難しいカトラリーに、悪戦苦闘の日々だ。

 「いえ・・・! 今後も璃月で暮らすなら、これくらいは!」

 モンドや他の国の人々も、この璃月港にはたくさん集まってくる。箸に不慣れな客人が多くいるということだ。そんな彼らのために、ナイフやフォークは当然ある。
 だけど、この美しい料理にナイフとフォークを使うのは、気が引ける。琉璃亭や新月軒でなら、とくにだ。
 まあ、ここは万民堂だけど。
 でもやっぱり、郷に入っては郷に従えだと思うのだ。

 「うん・・・?」

 フト、感じた視線。目の前に座る人物からだ。見れば、何やらうれしそうに目を細めていて。

 「鍾離さん? どうかしましたか?」
 「うん? ああ。お前が璃月で暮らしてくれる気があるのかと、うれしかっただけだ」

 言って、綺麗な所作で点心を口に運ぶ。うーん・・・素敵な人だ。
 食事中に考えることではないだろうけど・・・とにかく、この人は所作が優雅で洗練されている。
 初めて目にした岩王帝君が、龍の形をしていて、話を聞くとそうとうな戦闘力の持ち主だったわけで。勝手に岩王帝君を「怖い人」だと思っていた(人じゃないけど)。だって、契約違反したら、岩食いの刑だよ? 何されるのよ。
 そりゃ、魔神戦争の頃は、舐められないためというか、その実力に見合った覇気のようなものがあっただろう。帝君が降らせた岩の槍が、岩山になった・・・とか聞いちゃったら、なんというか・・・尊敬通り越して恐怖に対象になってしまう。まあ現実、魔神たちにとって、岩王帝君…いや、モラクスか。は脅威の存在だっただろう。
 えっと、だから、凡人の岩王帝君が、こんなに容姿端麗で、紳士な方っていうのが。ギャップがすごい。私の中で。
 今度、甘雨さんに岩王帝君の話を聞いてみようかな。「私の口からお話するのは、憚られます」とか言われそうだけど。


 「そうだ。公子殿にも箸を贈ったのだから、お前にもしてやろう」
 「え!? い、いえ! 十二万もする箸、いただけませんよっ!!」

 金額聞いて、目玉が飛び出るかと思った。しかもそれ、結果的にタルタリヤが支払ってっていうし・・・。私、十二万モラも持ってない・・・。

 「あ、でも良縁と橋渡しはしてほしいなぁ」
 「・・・・・・」

 この前、鍾離さんから聞いた話だ。「食べるものに苦労せず、良縁の橋渡し」・・・箸をプレゼントするには、そんな意味が込められているという。

 「・・・お前は、俺以外の男と結ばれたいのか?」
 「はい?」

 うん? なんでそんな話になったんだ? 私、何か余計なこと言ったかな。
 箸を置き、鍾離さんがジッと私を見つめてくる。なんだか、機嫌を損ねているようだけど。

 「良縁とはつまり、いい結婚相手と出会うことだろう」
 「えっ!? そ、そうなんですか?? わ、私、そんなつもりは・・・! そうじゃなくて、いい人・・・あ、いい友人という意味です!と、出会えるようにって思って・・・!」

 あわわわ・・・! 恋人の前で、思いっきり浮気発言してる!!

 「わ、私は! 鍾離さん以外の男の人との、そういう出会いは求めていませんからっ!!」
 「・・・本当か?」
 「当たり前じゃないですか!」

 疑いの眼差しを向けられるのは、心外だ。
 と、鍾離さんが「そうか」とうれしそうに微笑んだ。そして、再び箸を手にし、食事を再開する。
 機嫌、直ったのかな? 先ほどまでの、息苦しいほどの圧力は消えているけれど。
 とりあえず、私も食事を再開。しかし、この点心ツルツルしちゃって掴みづらい・・・!

 「中原のモツ焼きなら、串に刺さっていて食べやすいかもな」
 「あ、私この海鮮おこげっていうの、食べてみたいです」
 「却下だな」
 「え! なんでですか!?」

 いきなり却下された! なんで!?

 「お前には言ってなかったか、実は」
 「実は?」

 鍾離さんが何かを告げようとしている。私は聞く体勢になったのだけど。

 「いや、なんでもない」

 プイッとそっぽを向き、結局話してくれず。もんのすごく気になるんですけど。
 話してくれないのかな。隠しごとされてるってことだよね? なんだか少し寂しい。

 「・・・笑わないか?」

 ポツリ、鍾離さんがつぶやいた。私は首をかしげる。笑う・・・何に対して?

 「えっと、笑わない?ですけど」
 「疑問符なのが気になるな」
 「笑いません!」

 何に対して笑うのか、よくわからないけれど。私の答えに、鍾離さんは「そうか」とつぶやき。

 「海産物が駄目なんだ」
 「え?」
 「こう・・・ヌルヌルとした感触が駄目で。魚を見ると、悪寒がする」
 「筋金入りの嫌悪ですね」

 えっと・・・つまり、「海産物が嫌い」なことを、笑わないか?って聞いてきたということか。
 ・・・フフッ。なんだか可愛い。

 「おい、笑わないという約束だろう」
 「笑ってませんよ〜。鍾離さんが可愛くて、微笑んでいるだけです」
 「それは笑っているだろう!」

 隠し事の正体が、重いことじゃなくてよかった。
 箸を不器用に使い、料理を口に運ぶ。うん、おいしい。
 たとえ、上手に箸が使えなくても、おいしい料理はおいしいのだ。
 上機嫌な私とは対照的に、鍾離さんは不服そうな面持ちで、食事を再開するのだった。