「ルナっ・・・!」
医務室を出たルナマリアの耳に、聞きなれた友人の声が聞こえてきた。
「・・・」
「どうだった? アスハ代表の傷は・・・」
「うん、大丈夫みたいよ。大した怪我じゃなかったみたい」
「そう・・・」
ホッと胸を撫で下ろすの様子に、ルナマリアは首をかしげた。
「どうしたの? そんなにアスハ代表のことが気になる??」
「え? あ、だって・・・カガリ・ユラ・アスハって言ったら、オーブ首長連合の代表首長でしょ? “オーブの獅子”と呼ばれた、ウズミ・ナラ・アスハ様のご息女・・・」
そのカガリが、実はウズミの娘ではない・・・ということを、恐らくルナマリアは知らないだろう。
どこか後ろめたさを感じながらも、は必死にそう言い訳をしてみせた。
貴方の綺麗な言葉が、私を少しずつ腐らせていく
帰還信号が打ち上げられ、追撃を中止させられたシンは、舌打ちしながらもレイに続いてミネルバへと戻って行く。
MSデッキへと戻り、コックピットを開いて外へ出る。フゥ・・・とため息をつくシンの耳に、愛しい少女の声が聞こえた。
「シンっ!!」
「・・・!」
緑色の、整備士たちが着る作業着に身を包んでいた少女に、シンは優しく微笑みかけ、手を差し伸べる。
宇宙空間にいれば、こうして軽々と体を浮かせることができる。フワフワと漂ってきたの手を掴み、シンは少女の肩を抱きしめた。
「大丈夫? シン・・・」
「うん、大丈夫」
思えば、突然の出撃命令だった。せっかくのデートだったというのに、戦闘によってそれは失われ、少女の声を背に受けて、シンは初めての実戦に出たのだ。怪我だけでなく、精神的疲労も大きいだろう。
「インパルス・・・調子は?」
「うん、大丈夫。さっき、少しだけビーム掠めたけど・・・」
が視線をシンの愛機に移すと、シンも今まで自分が乗っていた機体を見上げた。
彼女は、このインパルスの専属整備士だ。すぐさま、破損した部分を直そうとするが・・・。
「うわっ!!」
「きゃあっ!!!」
突然、艦体に大きな揺れが起こり、シンとの体が衝撃に揺れる。
ミネルバ艦体の壁にぶつかりそうになり、シンは慌てての体を腕に抱きしめ、自らが背中から壁に激突し、彼女を守った。
「シンっ!!」
「だ、大丈夫・・・」
自分の身を庇ったシンに、は声をあげるが、シンは微笑んでみせた。
「なんだぁ!?」
「被弾したっ!!?」
周りの整備士たちも、今の大きな揺れに戸惑いの声をあげ・・・レイは艦橋に繋がるインターホンを取り、叫ぶ。
「ブリッジ! どうした!?」
しかし、今の揺れで、どこか回線がやられているのか、答えはない。
「クソッ!」
「シン!!」
レイがMSデッキを出るのと同時に、シンはの体を離して再びインパルスのコックピットへ飛び移った。
そのシンの視界に・・・緑色のザクが映り・・・一瞬だけパイロットのことが頭をよぎったが、それを振り払うように、頭を振った。
***
「やってくれるわ! こんな手で逃げようなんて!!」
レイがブリッジに入ると、そこにいたデュランダルの姿に驚くが、タリアが声を荒げたので、我に返って視線を彼女へと移した。
「・・・だいぶ手強い部隊のようだな」
どうやら、“ボギーワン”は戦艦の一部を切り離し、それをミネルバにぶつけてきたようだ。それによって、先ほどの衝撃が起こったのだろう。
「今からでは下船いただくこともできませんが・・・私は、本艦がこのままあれを追うべきと思います。・・・議長のご判断だ?」
新型三機を奪われ、このまま逃走されては適わない。タリア・グラディスは強い眼差しでデュランダルに意見を求めるが、議長はそんな女性艦長に微笑みかけた。
「私のことは気にしないでくれたまえ、艦長」
微笑みを消し、デュランダルは深刻な表情を浮かべる。
「私だってこの火種、放置したらどれほどの大火となって戻ってくるのか、それを考える方が怖い。あれの奪還、もしくは破壊は、現時点での最優先責務だよ」
「ありがとうございます」
まだまだ追尾はできる。それを確認し、タリアは改めて“ボギーワン”追撃を決めた。
そして、彼女はキビキビした口調で通達を発する。
「全艦に通達する。本館はこれより、さらなる“ボギーワン”の対激戦を開始する! 突然の状況からとんでもないことになったが、これは非常に重大な任務である。各員、日頃の訓練の成果を存分に発揮できるよう、つとめよ!」
コンディションはイエローに引き下げ、遮蔽されていたブリッジが戻ると、タリアはようやく肩の力を抜き、デュランダルに微笑みかけた。
「議長も少し艦長室でお休みください。ミネルバも足自慢ではありますが、敵もかなりの高速艦です。すぐにどうこうということはないでしょう」
そして、傍らに立っていた少年に目をやる。
「レイ、ご案内して」
「は!」
タリアの言葉に、レイが姿勢を正し、デュランダルに視線を向けた。
そんなレイに「ありがとう」と微笑み、タリアが前に視線を戻すと・・・。
《艦長》
モニターに映ったミネルバの紅一点パイロット、ルナマリア・ホークは少しだけ表情を硬くしていた。
「どうしたの?」
そんなルナマリアに、タリアは優しい口調で問いかける。何か嫌な予感はするが・・・。
《戦闘中のこともあり、ご報告が遅れました。本艦発進時に、格納庫にてザクに搭乗した二名の民間人を発見、これを拘束したところ、二名はオーブ連合首長国代表、カガリ・ユラ・アスハとその随員と名乗り、傷の手当てとデュランダル議長への面会を希望いたしました》
「オーブの・・・!?」
ルナマリアの報告に、ブリッジを出ようとしていたデュランダルが、引き返してきた。
《僭越ながら独断で傷の手当てをし、今、士官室でお休みいたいだいておりますが・・・》
その事態に、タリアは頭を抱えたくなった。
今、ここにプラントの最高評議会議長がいて、その上さらに、オーブの姫・・・一つの戦艦に二人の要人・・・あまりといえば、あまりの状況下だった。
***
「本当に、お詫びの言葉もない・・・」
士官室に向かえば、やはりそこには先ほどまで顔を合わせていたオーブの代表、カガリ・ユラ・アスハと、彼女の随員であるアレックス・ディノが待っていた。
「姫まで、このような事態に巻き込んでしまうとは・・・ですが、どうかご理解いただきたい」
アレックスはカガリの背後に立ち、デュランダルの背後にはタリアが軍帽を脱いで控えていた。
「あの部隊については、まだまったくわかっていないのか?」
「ええ、まぁ・・・そうですね。艦などにも、はっきりと何かを示すようなものは、何も・・・」
まるで、なんとなくだが敵の背後にいる存在には気づいているかのような、デュランダルの口ぶりであった。
「しかし、だからこそ我々は、一刻も早くこの事態を収拾しなくてはならないのです。取り返しのつかないことになる前に」
「ああ、わかっている。それは当然だ、議長。今は何であれ、世界を刺激するようなことは、あってはならないんだ。絶対に・・・」
カガリの苦々しそうな口調に、彼女の背後に立っていた随員の少年も眉間に皺を寄せた。
「ありがとうございます。姫ならば、そうおっしゃってくださると信じておりました。よろしければ、まだ時間もあるうちに、少し艦内をご覧になって下さい」
「議長・・・!!」
デュランダルのその言葉に、タリアが声をあげる。
ミネルバはザフトの最新鋭艦だ。明らかに軍の機密となるものを、一国の元首に見せようなどと・・・。
「一時とはいえ、いわば命をお預けいただくことになるのです。それが盟友としての、わが国の相応の誠意かと・・・」
議長がそう言ってしまえば、タリアには反論することができない。
アレックス・・・アスランは、そんなデュランダルを推し量るかのような目で見つめていた。
***
「オーブのアスハ!?」
インパルスのコックピット部分で、は整備をしており、そのの傍らにはシン。二人の正面には満面に笑みを浮かべたルナマリアがいた。
先ほど、艦長にカガリの報告をした、とルナマリアがに伝えると、シンは声をあげ、ルナマリアは興奮した口調で言葉を続けた。
「うん、私もビックリした。こんなところでオーブのお姫様に会うとはね!」
ルナマリアの表情とは違い、シンももその表情は暗い。
にとっては、カガリも随員の少年も、顔を合わせてはいけない人物だ。そして、シンにとっては・・・“オーブ”も“アスハ”も特別な存在だ。今では“英雄”として扱われている“カガリ・ユラ・アスハ”に対しては、その怒りも恨みも大きい。
「でも、何? あのザクがどうかしたの?」
「え・・・」
そもそも、シンが左腕のないザクを見て、にパイロットのことを尋ねたのがこの会話の発端だ。が答えるより先に、ルナマリアが答え、そして彼女に報告をしたのだった。
「いや・・・ミネルバ配備の機体じゃないから、誰が乗ってたのかなって・・・」
先の戦闘では、あのザクに助けられた。だが、アスハの人間に助けられただなんて、言えるはずがない。自分はザフトの・・・このミネルバのエースパイロットなのだ。誰かに助けられたなんて、言えるはずがなかった。
「操縦してたのは護衛の人みたいよ」
ルナマリアの言葉に、は作業の手を止めてしまう。だが、ルナマリアもシンも、そんな彼女の様子には気づいていない。
「アレックスって言ってたけど・・・でも、アスランかも」
「「え!?」」
声をあげたのは、シンもも同時だった。
なぜ、ルナマリアがアスランに気づいたのか・・・彼女は、アスランの顔を知っているのか?
だが、答えはルナマリア自身が発した。
「代表がそう呼んだのよ。咄嗟に、その人のことを“アスラン”って。アスラン・ザラ、今はオーブにいるらしいって噂でしょ?」
『カガリ・・・確かに、やりそうだわね・・・』
ルナマリアの発した答えに、は小さく息を吐き、心の中で大きなため息をついた。
偽ったり、嘘をついたりするのが苦手な、素直で正直すぎるのがカガリだ。かつては、ザフトの大将の前で、敵対していた自分とキラのことを、素直に“アークエンジェルのパイロット”と教えてしまったこともあった。
『アスラン・・・上手く誤魔化せたのかしら・・・?』
シンたちの傍を離れ、はデッキの床に下りると、エイブスに何か忠告を受けていたヴィーノのもとへ歩み寄った。
そのを追うように、シンもやって来て・・・笑顔を浮かべたヴィーノの顔が、一瞬にして不服そうな表情に変わった。
「シンは、いっつもの後をついて来るよなぁ・・・」
「なんだよ。いいだろ、別に」
「一人じゃなんにも出来ないんだなぁ〜シンは・・・」
「バカにするなっ!! オレは・・・」
「まぁまぁ、ヴィーノ・・・シン・・・」
言い争いに発展しそうだった二人の間に割って入り、は笑顔で二人の背中をポンポンと叩いた。
そんな和やかなムードを壊すかのように、MSデッキに怒声が響き渡る。
「だが! ではこの度のことはどうお考えになる!? あのたった三機の新型MSを奪おうとした連中のために、貴国が被ったあの被害のことは!?」
ドキッと鼓動が跳ねた。
なぜ・・・なぜ、オーブの代表である彼女が、このような場所・・・機密情報の溢れるMSデッキにいるのだ?
一行がいるであろう場所に背を向けたまま、はゴクッと息を飲んだ。
「だから、力など持つべきではないのだと?」
「そもそも、なぜ必要なのだ!? そんなものが、今さら!」
カガリの声は、MSデッキに響き、そこにいた整備士やルナマリアは目を丸くして彼女たちを見つめる。
だが、とシンだけは・・・それぞれに違う理由でカガリに目を向けず、その視線を床に落としたままだ。
「我々は誓ったはずだ! もう悲劇は繰り返さない。互いに手を取って歩む道を選ぶと!」
「さすが、綺麗事はアスハのお家芸だなっ!!!」
目の前で発された憎々しげな声に、は顔をあげ・・・シンの向かいにいたヴィーノもギョッとして目を見開いた。
「・・・シンっ!!」
が咄嗟に声をあげ、シンの肩に手をかける。
彼女の声に、デッキの入り口にいたデュランダル、レイ、カガリ、そしてアスランの視線が一斉にこちらに向けられた。
そして・・・アスランのエメラルドの双眸が、驚愕に見開かれる。
『・・・!!!?』
信じられない思いでいっぱいだった。
先ほどの、カガリへ浴びせた罵声の主・・・彼の傍らに立つ少女・・・その長い漆黒の髪に、同じ色の大きな瞳・・・忘れられるはずがない。
「・・・」
アスランが咄嗟に叫ぼうとした瞬間、
《コンディションレッド発令! パイロットは搭乗機にて待機せよ!》
艦内にアラートが鳴り響き、その場に新たな緊張が走った。
「最終チェック急げ! 始まるぞ〜!!」
エイブスの声に、はハッと我に返り、その場を離れる。
アスランが「あっ・・・」と声をあげるも、レイがさっとシンの傍らに降り、彼を叱責しようとする。だが、シンはそのレイの手を振り払い、MSデッキを出て行ってしまった。
「申し訳ありません、議長! この処分は後ほど、必ず!」
レイがこちらに向き直り、敬礼をしながらそう叫び、彼自身も戦闘に備えてその場を離れて行った。
呆然と立ち尽くすカガリとアスラン・・・カガリの目には、シンの怒りに燃えた紅い瞳が映り、アスランの目には、二年前に姿をくらました幼なじみの姿が映っていたのだ。
「本当に申し訳ない、姫。彼はオーブからの移住者なので・・・。よもや、あんなことを言うとは、思いもしなかったのですが・・・」
「えっ・・・?」
デュランダルの言う“彼”とは、カガリに対して暴言を吐いた・・・黒髪の少女が“シン”と呼んだ人物だ。
アスランは、デュランダルの言葉に耳を傾けつつ、今はもう姿の見えない最愛の少女を思い出し、ギュッと拳を握りしめた。
***
はギュッと胸の辺りを握りしめ、大きく息を吐いた。
まさか、シンがあんなことを言うとは思わなかった・・・。
確かに、彼がオーブを・・・“ウズミ・ナラ・アスハ”と“カガリ・ユラ・アスハ”を憎んでいることは知っていた。そして、戦争そのものを憎んでいることも・・・二年前、オーブ上空にいた“フリーダム”と“エデン”を憎んでいることも・・・。
だが、あの状況でカガリとアスランの視線を自分に向けてしまうとは・・・カガリには背中を向けられていたかもしれないが・・・アスランはどうだろう? 彼は、自分の幼なじみだ。そして、鋭い。どうして、声を発してしまったのだろう? たった一言・・・「シン!」と声をあげただけだが・・・。
《・、至急ブリッジまで》
突然聞こえてきたメイリンの自分を呼ぶ声に、は目を丸くする。
彼女の目の前には、コアスプレンダー・・・そして、シンがスタンバイをしている。
「呼んでるよ、」
「う、うん・・・」
そっと頬を撫でてくるシンの手に、自分の手を重ね・・・は恋人の紅い瞳を見つめた。
先ほど見せたあの瞳が嘘のように、自分を見つめるシンの瞳は穏やかで優しい。
「気をつけて・・・シン・・・」
「ありがとう」
そっとキスを交わし、は微笑んでMSデッキを出ると、ブリッジへと向かった。
「・、参りました」
敬礼をし、ブリッジに入り・・・は自分の目を疑った。
「やぁ・・・来てくれたね・・・」
微笑を浮かべ、デュランダルがこちらを振り向き・・・彼と同じく椅子に腰掛けていた二人の人物もこちらを振り返ったのだ。
「な・・・!? お前っ」
「代表、危険です。座ってください」
立ち上がったカガリの腕を、アスランが掴んで椅子に座らせる。
だが、カガリはまだ何かを言いたそうで・・・そんなカガリの様子に、タリアやアーサー、メイリンたちが首をかしげている。
「お呼びでしょうか? 艦長」
「いや、君を呼んだのは私だよ・・・。さぁ、座りたまえ」
「えっ・・・? いえ、でも私は・・・」
「MSが発進すれば、帰投するまで君の仕事はないだろう?」
拒否することは許されないようだ・・・。
はため息をつくと、空いていた席・・・カガリの斜め前の椅子に座った。
「ブリッジ遮蔽。対艦、対MS戦闘用意!」
が席につくと、タリアがそう告げ、ブリッジが沈み始める。
その様子に、カガリとアスランは少々驚いたようだった。
「インパルス、発進スタンバイ。モジュールはブラストを選択。シルエットハンガー三号を開放します」
メイリンの声を聞きながら、はそっと自分の口唇に触れる。
今頃、ルナマリアとシンは、自分の愛機にて発進準備をしているだろう。
「ルナマリア機、ザクウォーリアー発進どうぞ!」
《ルナマリア・ホーク、ザク出るわよ!》
メイリンのアナウンスに続き、ルナマリアが出撃を告げ、その赤い機体がミネルバから射出された。
「続いてコアスプレンダー、発進どうぞ!」
《・・・シン・アスカ、コアスプレンダー行きます!!》
コアスプレンダーが射出され、そのままレッグフライターやチェストフライヤー、ブラストシルエットを換装し、ブラストインパルスへと姿を変えたその機体に、はホッと息を吐く。
「・・・“ボギーワン”か」
それまで、静かにモニターを見つめていたデュランダルが、唐突に言葉を発した。
「本当の名前は、何と言うのだろうね? あの艦の」
「・・・は?」
明らかにアスランを見てそう尋ねるデュランダルに、アスハ代表の随員は戸惑った声を発した。
カガリも首をかしげて議長を見、も眉間に皺を寄せ、タリアもアーサーも、他のクルーも不思議そうにデュランダルの言葉に耳を傾ける。
「名はその存在を示すものだ・・・ならばもし、それが偽りだったとしたら? それは、その存在そのものも偽り・・・ということになるのかな?」
ギクッと、の表情が歪んだことになど、誰も気づかない・・・。ただ一人、デュランダル本人を除いて・・・。
「アレックス・・・いや、アスラン・ザラ君?」
「!!?」
デュランダルのその爆弾発言に、アスランも、カガリも・・・全員が目を見開くが、それ以上に、彼はもっと衝撃的なことを口走った。
「そして・・・・・・・いや、“・”・・・君も」
「なっ・・・!!!?」
――― ・ ―――
“青空の聖域”
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