61.一筋の光

 どこか遠くで名前を呼ぶ声がした。けして大きな声ではないけれど、よく耳に通る声。
 手に何か温もりを感じる。今まで、冷たくて真っ暗だった世界に、光が射し込んで来た。

 ─── 姫・・・

 闇の中、聞こえてきた声。なつかしくて、胸が苦しくなるほど切なくて、愛しくて・・・。
 暗闇だった意識の中に、一筋の光が射し込んで来た。

***

 死んだように眠る少女の顔を、ジッとアイスブルーの瞳が見つめていた。
 花嫁の姿をしたまま眠る少女。もう少しで、法皇の妻になるところだった少女。
 尊き聖王国の巫女姫・・・そして、ククール・イリスダッドの愛しい人、・セレルナ・シェルダンド。
 彼女は今、眠っている。寝息も立てず、眠っている。時折身じろぐことも、うなされることもない。ただ目を閉じて、眠っているのだ。心臓の鼓動を聞かなければ、死んでいるのではないかと思われるほど、は静かに眠っていた。

 マルチェロは、を暗黒神の力を使って操ろうとした。だが、は必死にその力と戦った。そのため、自身の精神を奥深くにしまいこむことで、その力から逃れようとしたのだ。
 かけられた魔法は強力で、それを抑え込むための力も強力なものだった。強力な力と力がぶつかり、そのための精神は奥深くへと沈みこんでしまったのだった。

 呼びかければ何か反応するかもしれないと、ククールは何度かの名前を呼んでみたが、今のところ反応はない。

 「ククール、大丈夫かい?」

 心配そうに、エイリュートがククールの様子を見に来た。
 サザンビークに戻って来てから、ククールはほとんど口をきいていない。の状態と、マルチェロとの和解にも似たやり取りがあって、まだ彼自身、気持ちの整理がついていないのだろう。

 「・・・ああ、大丈夫だ」

 このやり取りも、すでに何回か繰り返されている。相手はエイリュートだけでなく、ヤンガスだったり、ゼシカだったり様々だが・・・。
 着ていたドレスを着替えさせようとゼシカが申し出たのだが、ククールはそれすらも拒んだ。今は、誰にもに触れてほしくないとでもいうように・・・。

 「・・・姫」

 そっと、その頬に手を触れた。微かに温もりを感じる。確かに彼女は生きているのだ。

 「・・・早く目を覚ましてくれ。あんたの声が聞きたい。あんたに名前を呼んでもらいたい。一月もあんたに会えなかったんだ・・・。しかも、会った瞬間、あんたはマルチェロの隣にいて・・・オレを見てくれなかった」

 たとえ暗黒神に操られないため、精神を封印していたとはいえ、自分の声が届かなかったことが悔しかった。

 「なんでもないことだ、って思ってたのにな・・・。あんたが離れて行くんじゃないかって思った途端、怖くなった・・・」

 女に不自由しなかった自分が、たった1人の少女に必死になるなんて。

 「あんたのことが・・・大事で仕方ないってことだよな」

 だから、もう一度目を覚まして、名前を呼んでほしい。

 「・・・・・・」

 その時だった。今まで、何の反応もなかったの瞼がピクッと動いたのは。

 「姫・・・?」

 目覚めるのかと、期待を込めてを呼ぶも、それ以上の反応がない。もしや・・・と思い当たる。

 「・・・、オレはここだ。ここにいる。だから、戻って来るんだ。オレのところへ。・・・!」

 名前を呼ぶと、反応し、そしてそっとその瞼が開いた。開いた瞳は澄んだマゼンタ。あの時見た、淀んだ色ではなかった。
 虚空を彷徨い、の瞳がククールに向けられる。一瞬、ドキッとした。だが、はククールを安心させるように、いつもの穏やかな笑みを浮かべてみせた。

 「姫・・・!」
 「・・・ククール・・・」

 名前をつぶやいたが、咳き込む。喉がからからに渇いていた。苦しそうに咳き込むの背を、ククールは優しくさすり、枕元にあった水差しからコップに水を注ぎ、に渡した。

 「ゆっくり・・・落ち着いて飲むんだ・・・。ほとんど何も飲まず食わずだったんだろ? オレたちと同じだ」
 「!!」

 自嘲気味に言ったその言葉に、がハッとなる。そして、ようやく我に返った。
 そうだ・・・ククールたちは無実の罪を着せられ、煉獄島に流刑になったのだ。ククールだけではない。エイリュート、ヤンガス、ゼシカ・・・それからニノ大司教。

 「いいから、まずは水を・・・」

 コップを差し出すククールの手から、それを受け取り、はゴクゴクと水を飲み、渇いた喉を潤した。空になったコップを受け取り、もう一杯、それに水を注いだ。

 「いえ、大丈夫・・・です・・・」

 コホ・・・と小さい咳をし、が首を横に振った。そして、フゥ・・・と深く息を吐いた。

 「・・・何があったのか、いまいちよく覚えていないのです。あれから、何があったのでしょう?」
 「あんたは・・・暗黒神の力に負けまいとして、必死に自分を押さえこんで、結局、精神の奥底に落ちていったんだ」
 「あ・・・あの時の、ラプソーンの声・・・」

 我に従え、我に委ねよ・・・呪文のように響く言葉を、どうにか切り離したくて、は自衛本能が働き、自らその精神を奥深くへ眠らせた。
 そのせいで、動く人形と化してしまったのだが、ラプソーンに操られ、暴虐や殺戮を繰り返すくらいなら、その方がマシだと思った。

 「こうして、ククールが傍にいてくださるということは・・・煉獄島から脱出することができたのですね?」
 「ああ・・・ニノ大司教のおかげでな」

 そのニノ大司教も、生存が確認された。だが、見張りの看守に痛めつけられた上、一月も飲まず食わずだったのだ。現在は意識不明の重体だ。

 「マルチェロは・・・どうしたのですか?」
 「・・・兄貴は、どこかへ姿を消した。ああ、状況は最悪だ。とうとう、暗黒神ラプソーンが復活しちまった」
 「え・・・!?」

 淡々と事実を告げるククールの言葉に、が声をあげる。

 「どうして・・・マルチェロは自分の意思で杖を操っていましたわ・・・。それなのに・・・法皇様を・・・?」
 「あいつは、自分が法皇になることを願っていたんだ・・・。それで、邪魔なニノ大司教を流刑にし、法皇様を殺したんだ」
 「なんて・・・ことを・・・!」

 この一カ月、自分は何もすることができず、最後の賢者・・・法皇の命まで奪われてしまっていたというのだ。あんなに近くにいたのに、守ることが出来なかったのだ。

 「姫・・・今は、あなたがこうして無事にオレたちのもとへ戻って来てくれたことが、何よりもうれしい」
 「ククール・・・」
 「悲しいことは、あったけれど・・・それでも、こうしてまた、あなたをこの腕に抱きしめられる・・・。それがたまらなく、うれしい」

 そう言うと、ククールは腕を伸ばしての身体を抱きしめた。
 着ているドレスは普段の彼女が着ている旅装よりも露出度が高い。胸に光る金のロザリオが、灯りの光を受けてキラリと輝く。

 「とりあえず、着替えと・・・それから、エイリュートたちにも目が覚めたことを伝えてくる」
 「はい・・・」

 本当はそのまま口づけたかったのだが、そうすると自分が押さえきれそうもなくて、ククールは必死に自分と戦った。
 だが、立ち上がろうとしたククールの服を、が引っ張った。体勢を崩しそうになりながら、驚いてククールはを振り返った。

 「・・・ククール、その・・・」
 「はい?」
 「わたくしは、あなたの元に戻ってきましたわ。あなたの声が、わたくしに一筋の光となって、わたくしを導いてくれたのです。ありがとう。感謝しております」
 「礼には及びませんよ。情けなくも投獄されたオレに、そんな言葉はもったい・・・」

 言いかけたククールの言葉を遮るように、が顔を近づけてきて・・・唇が重なった。
 必死に自分を押さえていたというのに、からのこの行動に、ククールはあ然とする。まさか、彼女がこんなことをするとは思わなかったからだ。
 唇を離し、が苦しそうに息を吐き、そして再び口づける。何度も離れては触れてを繰り返した。

 「ひ・・・め・・・」

 慌てて、ククールがの肩を押さえて、それを止めた。は今にも泣き出しそうな表情を浮かべていた。

 「あなたが・・・傍にいるのだと、感じたかったのです・・・。浅ましい女だと思いましたか?」
 「まさか! そんなこと、思うはずもない」

 微笑んで答えると、今度はククールからに口付けた。
 次第に深くなっていき、ククールはの身体をベッドに押し倒した。

 「愛してる・・・」

 口づけを交わし、そっとささやく。
 エイリュートたちを呼びに行くのは、もう少し後でいいか・・・と、ククールは頭の片隅でそんなことを思った。

***

 結局、ククールがエイリュートたちを呼びに行ったのは、それから数分後で・・・。着替えをしているから、とそこでまたエイリュートたちを待たせることになった。
 元気に起き上がっているの姿を見て、ゼシカは目に涙を浮かべて抱きついた。人形のようだったの姿を見て、胸を痛めたのは彼女も同じだ。当然、エイリュートとヤンガスだって、どれだけ安堵したかわからない。
 とりあえず、まだ起きたばかりだということで、今日はサザンビークへ一泊することになった。
 その際、には今まで起きたことを掻い摘んで話しておいた。今は、空高く舞い上がった暗黒神の城へ向かうところだということを。

 だが・・・その夜見た夢により、その計画は変更させられてしまうのだった。