60.分かたれた兄弟

 あんたには、正直言って驚かされた。
 今まで出会った女の中で、オレを焦らしたのは初めてだった。
 優しい笑顔を向けてくれるその一方で、あんたは誰にでも同じ笑顔を向けた。オレだけが特別なんじゃない、って思い知らされた。

 いつからだっただろう。そんな彼女を目で追って、優しく声をかけられると突っぱねるような態度を取り始めたのは・・・。
 それでも、あんたは変わらずにオレに接してくれた。

 あんたの親父さんから、あんたがオレを好きなんだと聞かされ、その気持ちはどんどん膨れ上がって・・・今じゃ、押さえきれないくらいだ。

 今もこうして、あんたを救うために必死になってるオレを見て、あんたはどう思う?

 必ず助け出してやる。あいつと結婚なんか、させるものか。

 あんたは、オレのもんだ・・・。

***

 聖地ゴルドは人でごった返していた。いつもは巡礼者がポツポツといるだけなのだが、今は全国各地から新しい法皇の就任式を少しでもいいから見ようと、集まって来ているのだ。

 「マルチェロは、あの神殿の中ね! 行きましょう! 早く杖を取り戻して、姫も助け出すの! でないと・・・でないと・・・? 何が起きるんだろう。でも、わかるの。恐ろしいのよ。止めないと、大変なことになる」
 「しかし、すっげえ人でがすなあ。みんなニコニコしてるし、アッシら、どうも場違いでげす。しかも、めでたい即位式をこれからブチ壊しに行くんだ。ますます場違いでげすよなあ」
 「即位式だけじゃない。結婚式だってブチ壊しにするんだ。勝手なことばかりするマルチェロを放っておくわけにはいかない!」

 人混みをすり抜け、エイリュートたちはゴルドの神殿へ向かう。フト、ククールの表情が暗いことにエイリュートが気づき、声をかける。何か思案してるような面持ちだった。

 「今んとこ三割ってとこか」
 「三割・・・?」
「ああ、確率だよ。ゼシカはうまくいった。ドルマゲスのおじさんと、黒犬は死んだ。手加減するつもりはない。そこまで甘くないけど・・・。あいつ、死ぬのかな?」

 そのククールの言葉に、思わず3人は足を止めて、ククールを振り返った。
 ククールにとって、マルチェロは腹違いとはいえ、兄だ。唯一の肉親だ。複雑な気持ちはあるが、やはり割りきれない部分もあるのだろう。

 「悪い、変なこと言ったな。そんなことより、早く・・・! 姫を救い出そうぜ!」
 「う、うん・・・」

 何でもない表情を取り戻し、ククールが足を進める。エイリュートたちは小さくうなずき、そんな彼の後に続いた。
 神殿の扉を開ける。中には、大勢の列席者。皆がマルチェロの演説に聞き入っていた。

 「・・・ご列席の諸侯もご存じの通り、亡くなられた前法皇は、あまたの祈りと涙とに見送られ・・・安らかに天に召された。よからぬ噂を立てるものもあるが、真、天寿を全うされたのだ。しかし、私は次の法皇に即位する気はない」

 マルチェロの姿は、首を折らなければ見えないほど高い祭壇にあった。そのマルチェロの背後に佇む人物を見て、エイリュートたちはハッと息を飲んだ。

 「あれは・・・姫・・・!?」

 だが、様子がおかしい。は微動だにしない。上等なドレスに身を包み、頭にはヴェールをかぶり、さながら花嫁のようである。いや、花嫁なのだろう。マルチェロはと結婚するつもりなのだから。

 「いや、正確に言おう。これまでのような法皇として飾り物にされる気はないのだ」

 そんなエイリュートたちの動揺など気づくはずもなく、マルチェロは演説を続ける。

 「王とは何だ? ただ王家に生れついた。それだけの理由で我儘放題、かしずかれ暮らす王とは? ただの兵士には、王のように振る舞うことは許されぬ。例え、その兵が王の器を持っておろうとも、生れついた身分からは逃れられぬ。・・・そう、私もだ。不貞の子として生まれ、家を追われた身分卑しき者は法皇にふさわしくない・・・教会の誰もが、そう言った。良家に生まれた無能な僧どもにしか、法皇の冠は与えられぬのだ、と」

 マルチェロの演説には熱が入り、目の前にあった机をドン!と拳で叩いた。

 「いと徳高く尊き前法皇。だが奴が何をしてくれた? 世の無常を嘆き、祈る。それだけだ。神も王も法皇も、皆当然のように民の上へ君臨し、何一つ役には立たぬ」

 前法皇を罵るような言葉に、さすがの参列者たちも顔を見合わせる。マルチェロの言葉に、疑問を抱く者も出てきている。

 「・・・だが、私は違う。尊き血など、私には一滴たりとも流れてはいない。そんなものに、意味なぞない。だが、私はここにいる。自らの手で、この場所に立つ権利を掴み取ったのだ! 私に従え! 無能な王を玉座から追い払い、今こそ新しい主を選ぶ時!! この私が、新しき聖王となるのだ! 私は、シェルダンドの王女と、本日、婚姻の儀を結ぶのだからな!」

 チラッとマルチェロが背後に目をやる。ただ、静かにがそこに立っていた。ぴくりとも動かない。まるで人形のようなの姿。
 そんなマルチェロの横暴な言葉に、参列者が席を立とうとすると、まるでそれは許さないというように、聖堂騎士が腰の剣に手を当て、脅す。慌てて、席を立とうとした参列者は腰を下ろした。

 「・・・さあ、選ぶがいい。我に従うか、さもなくば・・・」

 と、マルチェロの視線が神殿の入り口にいたエイリュートたち4人に注がれる。気づかれたか。

 「・・・そこにいる侵入者のように、殺されるかだ!」

 右手に持った杖で、マルチェロがエイリュートたちを指す。
 その声に反応し、周りで警備に当たっていた聖堂騎士たちが、エイリュートたちに詰め寄って来る。とりあえず、一旦退こうとしたエイリュートたちの目の前に、神殿の扉が開き、新たに聖堂騎士が駆け寄って来た。

 「貴様はククール!? 煉獄島に送られた貴様が、なぜここにいる!」

 ククールの姿を見つけた聖堂騎士が、声をあげる。マイエラで一緒だった聖堂騎士だ。ククールはその姿にチッと舌打ちした。

 「どうする? 囲まれたぜ・・・」
 「強行突破、するしかないけど・・・それじゃ、マルチェロに逃げられちゃうわ」

 背中と背中を合わせ、聖堂騎士たちと対峙するエイリュートたちだったが、そのとき、頭の中にレティスの子の声が響いた。

 《さあ、今こそボクの力を使って・・・!》

 そうだ、と思いつく。すぐにエイリュートたちは鳥へと姿を変え、そのままマルチェロのいる祭壇へ飛び立った。
 未知の力を使って、目の前に現れたエイリュートたちを見て、マルチェロは愕然とするが、すぐに我に返った。

 「・・・これはこれは。・・・いいだろう。どうあっても、私の前に立ちふさがるというのならば、手始めに貴様らに引導を渡してやろう!」
 「そんなことより、姫を返せっ! あんた、姫に何をした!!」

 目の前に姿を見せたエイリュートたちを見ても、は何の反応もしない。ただ、こちらに背を向けて突っ立っているだけだ。
 ククールの声がしても、それは変わらない。確実に、何かの魔法をかけられているのだろう。

 「貴様らには関係のないことだ。ここで貴様らは私に殺され、王女は私の妻となる。そして私は法皇となり、シェルダンドの聖王となるのだっ!!」

 剣を抜き、マルチェロがククールに斬りかかる。慌てて盾でその一撃を受ける。ギリギリと力勝負をする2人。そこへ、エイリュートがマルチェロに斬りかかった。
 バックステップでその攻撃を避けたマルチェロに、ゼシカの鞭が飛んでくる。ピシッと高い音がし、マルチェロの腕を打った。痛みに顔を歪めたマルチェロの背後から、ヤンガスが兜割りをお見舞いした。

 「どこまでも生意気な奴らめ・・・! 食らえ!」

 いきり立ったマルチェロが、祈りを込めて十字を切る。眩い衝撃波が4人を襲う。だが、すかさずククールがベホマラーの呪文でその傷を癒せば、高等呪文を使った弟の姿にマルチェロが目を丸くした。

 「貴様のような出来損ないが・・・そのような高等呪文を使いこなすとは・・・」

 ギリッと歯噛みし、マルチェロは呪文の詠唱をする。巨大な火の玉が生まれ、ククールの身体に降り注いだ。
 その隙を狙い、エイリュートとヤンガスが攻撃へ転じる。深く傷つけられるも、マルチェロはベホイミの呪文でそれを癒してみせた。

 「さすが聖堂騎士団長・・・簡単にはやられないってわけか」
 「貴様らのような下等生物にやられるわけにはいかないのだっ!!」

 真空波を放つマルチェロに、エイリュートたちはその攻撃の手を止めることなく、痛烈な一撃をお見舞いしていく。

 「これなら、ドルマゲスのおっさんの方が厄介だったでげすな!」

 ヤンガスが斧を掲げ、それを地面に振り下ろす。青い光が生まれ、それをマルチェロ目がけて振り下ろした。蒼天魔斬がマルチェロの身体を直撃し、片膝をつく。だが、すぐにその傷をもベホイミで癒されてしまう。

 「悪いが、オレたちもこんなところでやられるわけには、いかないんだよ! 姫は返してもらうっ!!」

 ククールが拳を握りしめ、祈りを込めて十字を切った。先ほど、マルチェロも使ったグランドクロスだ。
 術者の力量によって、その威力は変化する。今のククールは、マイエラ修道院にいた頃の彼とは違うのだ。すさまじい光の衝撃波がマルチェロを襲う。声をあげ、マルチェロはガクッと膝をついた。

 「ば・・・バカな・・・貴様がなぜ・・・その技を・・・」
 「あんたの専売特許だとでも思ったのかよ。悪かったな。オレだって、僧侶のはしくれだ。さあ、姫は返してもらうぜ」
 「・・・な・・・ん・・・だと・・・? この私が・・・」

 杖を頼りにヨロヨロと立ち上がるマルチェロ。その様子がおかしい。全身から禍々しい気配を発し始めたのだ。

 《くっくっく・・・礼を言うぞ、エイリュートよ》
 「礼を言うぞ、エイリュートよ」

 ラプソーンの声だ。マルチェロの声と重なる。あ然とするエイリュートたちの目の前で、マルチェロの瞳が爛々と光り出し、ニヤリと笑った。

 《ずい分手こずらされたが、お前たちのおかげで、ようやくこの肉体を自由に操ることができる。この男が法皇・・・最後の賢者を亡き者にしてくれた今、杖の封印は全て消え失せた。そう!! 今こそ我が復活の時!》
 「な・・・!!?」

 そうだ。杖を手にしたマルチェロは、己の意思で動いていた。けして、ラプソーンに操られていなかったのだ。だが、今、エイリュートたちがマルチェロを倒したことにより、マルチェロの意思は飛び、ラプソーンに乗っ取られてしまったというのだ。
 マルチェロの身体が宙に浮く。そして、ゴルドの女神像の喉元に杖を突きつける。

 《・・・さあ! 蘇れ! 我が肉体よ!!》

 声と共に、マルチェロが手にした杖を女神像の喉元に突き刺した。
 ガラガラと音を立て、女神像が崩れ・・・その奥から何か邪悪な光が脈打つように光った。
 それと同時に、エイリュートたちの目の前にいたが、力を失い崩れ落ちる。

 「姫!」

 慌てて、ククールがの身体を抱き起こすのと、祭壇が崩れ落ちるのはほぼ同時であった。
 神鳥の魂の力を使い、その場を何とか逃げのびる。神殿の地面から、何か大きなものが浮かび上がり、空へと上がって行く。
 巨大な城のような物体だ。まさか、そんなものがゴルドの地面に埋まっていたとは・・・。
 その巨大な岩の塊は、禍々しい光を放った。すると、真っ青だった空が真っ赤に染まり、すさまじい雷を大地に走らせた。
 その様子を、世界各地の人々が見上げていた。あれは何なのか。一体どうなっているのか。

 暗黒魔城都市・・・ラプソーンの力で蘇ったそれは、禍々しい力を放ちながら、その姿を現したのだった。

***

 先ほどまでの地鳴りと雷がウソのように、辺りは静まり返っていた。
 神殿のあった場所には大きな穴が広がり、その底は見えない。残念ながら、そこにいた人々は、地面の奥底へ飲み込まれてしまっていた。
 だが・・・神殿に続くレンガ畳みの道の先端に、人影が見えた。必死にしがみつき、身体を起こそうとしている人物・・・青い聖堂騎士の制服に身をまとった彼は、必死に身体を起こそうとして・・・ズルッと手が滑り、底の見えない大穴に落下していくかと思った。
 だが、その腕を、寸でのところで掴んだ人物がいた。ハッとなり、顔をあげれば・・・そこにいたのは、彼が最も憎み、忌み嫌う人物・・・自身の腹違いの弟、ククールだった。

 「・・・なん・・・の・・・つもり・・・だ・・・? 放・・・せ・・・!! 貴様らが・・・邪魔を・・・しな・・・ければ、暗黒神の力・・・我が手に・・・できたのだ・・・。だが・・・望みは・・・ついえた・・・。すべ・・・て、終わった・・・のだ・・・」

 苦々しい思いで、それでも気丈な言葉を吐き続けるマルチェロ。だが、ククールはその腕を掴む手に力を込めた。片手で大の大人を掴んでいるのだ。ククールの腕も限界に近い。

 「さあ・・・! 放せ・・・!! 貴様・・・なぞに・・・助けられて・・・たまる・・・か・・・!」

 そう言うと、マルチェロはククールの手を乱暴に払いのけた。落下する・・・と思った直後、さらに腕を伸ばしたククールがその腕を掴んだ。今度はがっちりと、離すまいと。

 「・・・死なせないさ。虫ケラみたいに嫌ってた弟に情けをかけられ、あんたは惨めに生き延びるんだ。好き放題やって、そのまま死のうなんて許さない」

 グイッと腕を引き上げ、そのまま身体を地面に引きずり上げた。ククールはフゥ・・・と大きな息を吐いた。

 「このうえ・・・生き恥をさらせ・・・だと? 貴様・・・!!」

 ギリッと歯噛みし、マルチェロはククールを睨みつける。こんな屈辱があるだろうか。
 だが、ククールは涼しい顔をし、立ち上がるとパンパンと服についた砂ぼこりを払い、マルチェロから視線を外した。

 「・・・10年以上前だよな。身寄りがなくなったオレが、初めて修道院に来たあの日。最初にまともに話したのが、あんただった」

 あの日のことを思い出しながら、ククールが小さくつぶやく。忘れたくても忘れられない出来事だ。

 「家族も家も無くなって、一人っきりで・・・修道院にも誰も知り合いがいなくて・・・最初に会ったあんたは、でも優しかったんだ。初めのあの時だけ」

 エイリュートたちが身を起こし、ククールとマルチェロの兄弟を見守る。

 「オレが誰か知ってからは、手のひらを返すように冷たくなったけど。それでも・・・それでも、オレは、忘れたことはなかったよ」

 心細いククールに、マルチェロは優しく声をかけてくれた。「今日から、ここがキミの家だよ」と笑顔を向けてくれたのだ。
 今がどんなに冷たくても、あの時見せてくれた笑顔は本物だった。

 「・・・いつか・・・私を助けた・・・こと・・・後悔・・・するぞ・・・」

 傷ついた身体で、足を引きずりながら、マルチェロがククールの背後をゆっくりと通り過ぎて行く。

 「・・・好きにすればいいさ。また何か仕出かす気なら、何度だって止めてやる」
 「・・・・・・」

 マルチェロは黙り込み、フト、足を止めた。振り返ったククールに、マルチェロは何かを投げて寄越した。ククールの手のひらに乗っているのは、見慣れた聖堂騎士団の指輪だ。

 「これ・・・あんたの聖堂騎士団の指輪か・・・?」
 「貴様にくれてやる。・・・もう私には無縁のものだ」

 そう言い残すと、マルチェロは足を引きずりながら、痛々しい姿でエイリュートたちの横を通り過ぎ、ゴルドを出て行こうとする。
 慌ててゼシカが立ち尽くすククールに歩み寄った。

 「ねえ、ククール、放っといていいの? あんなひどいケガしてるのに。ねえってば!」
 「・・・・・・」

 ゼシカの声にただ黙り、その兄の背中を見つめるククール。やがてその姿が見えなくなると、そっと視線を己の手のひらに落とした。
 そこには、兄が残した指輪が、確かに残されていた。

 最後まで、分かり合うことのできなかった兄弟。だが、確実に2人の間にあった確執は、少しだけ緩んでいるはずである。