58.光届かぬ場所で

 檻は、ゆっくりと降りていた。すでに、日の光は届かない。次第に、エイリュートたちの口数も減っていっていた。

 「・・・マルチェロはあくどい男だが、あの常人ならざる意志の強さと剣の腕とは、わしも認めざるをえん。わしは奴を利用してうまく立ち回り、次期法皇の座を我が物にしようと思っておった。わしに逆らう者たちを、マルチェロに始末させ、そうしてただ、わしは待っておればよい。ただ、地ならしをしてあとは待つつもりだったんじゃ! ・・・まさか、こんな事になってしまうとは。このわしが、あんな若造に・・・。おお・・・。耳を澄ましてみろ。地下から響く囚人たちの嘆きの声が聞こえる。とうとう・・・この世の地獄、煉獄島に着いてしまったか・・・」

 檻から出されたエイリュートたちを、看守が檻へと押し込める。
 檻の中には、エイリュートたちの他に5人の囚人がいた。その誰もが、やつれ果て、気力のない瞳をしていた。

 「・・・ねえ、エイト。私たち、これからどうなっちゃうのかしら・・・。今度こそ、ラプソーンを止められるはずだったわ。それなのに・・・」
 「大丈夫だよ、ゼシカ。姫がいる。姫がきっと、僕たちの無実を晴らしてくれるよ」
 「・・・そう、よね。いくらマルチェロでも、姫の言葉を無視することなんて、出来ないわよね」

 希望はまだあった。だが、その希望もここにいる囚人たちを見ていると、失ってしまいそうになる。
 ゴホゴホと咳こむ囚人。淀んだ泥水を飲もうとする囚人。虚ろな目で自分の命が終わるのを待つ囚人。まさに地獄のような場所だった。

 「トロデのおっさんたち、法皇さんのお屋敷の入り口に置いてきちまいやしたね・・・。おっさん、無事だといいんでがすが。アッシは心配でげす」
 「トロデ王のことだから、きっとうまくやり過ごしてるよ。今頃、心配してるかもしれないね・・・」

 フト、エイリュートは牢屋の隅で腕を組んだまま何事か考え込んでいるククールの姿に気がついた。まるで人を寄せ付けないような、ピリピリとした雰囲気があった。

 「ククール・・・大丈夫かい?」
 「・・・正直、ちょっと混乱しててさ。しばらく、そっとしておいてくれ・・・」
 「うん、ごめん・・・」

 兄の手によって、こんな場所へ投獄されてしまったククール。まさか、ここまでするとは思わなかった。裏切られたという気持ちでいっぱいなのだろう。
 そして、・・・。今のマルチェロがに何もしないだろうか? ニノ大司教を追いやり、自分が次期法皇になろうとしているだろう今、の存在は大きな意味を持つ。
 だがまさか・・・と、ククールはイヤな考えを振り払う。今はただ、の無事を祈ることしかできなかった。

 「・・・神よ。初めて心からあなたに祈ります。どうか我らを・・・法皇様をお守りください・・・」

 ニノが天を仰ぎ、つぶやく。だが、もはやその祈りの言葉は届かない。今のエイリュートたちには、どうすることもできず、ただ死を待つことしかできないのだから。

***

 翌日・・・目を覚ましたエイリュートは、ボンヤリする頭を振って、辺りを見回した。すぐ隣に、ゼシカが座っていた。目覚めたエイリュートに、ゼシカはムリヤリの笑顔を作ってみせる。

 「・・・おはよう。よく眠れた? 私は全然ダメ。ねえ、エイト。私たち、これからどうなるのかな。地上はどうなってるのかな・・・」
 「きっと、トロデ王が僕たちを探してるだろうし、姫も・・・なんとかしようとしてくれてるはずだよ」
 「うん・・・姫、あれからどうなったのかな。黒犬は倒したけど、あの杖は・・・。まさか・・・とは思うけど、また同じことの繰り返しなの?」
 「繰り返しになんか・・・させないよ」

 グッと拳を握りしめ、エイリュートは立ち上がる。彼はまだ希望を捨てていない。

 「ニノ大司教・・・」
 「おお、エイリュートか。・・・煉獄島。噂には聞いていたが、このような痛ましい場所とは・・・。恥ずかしい話じゃが、今まで何人もこの煉獄島送りにしたが、中を見るのは初めてなんじゃ。まさか・・・こんなひどい・・・いや、わしの言い訳はよそう。全ては己の責任やも知れぬな」
 「今まで何人も、ここに送られ、そして絶望し、みじめに死んでいったんですね・・・」

 エイリュートは振り返り、囚人たちを見る。もはや、誰もが生きる希望をなくしている。昨日まで起きていた、盗賊のような男も今では力なく座りこんでいた。

 「兄貴、申し訳ねえでがす。なんとかこの牢獄をブチ破ろうとがんばってみたんでげすが・・・。ほんとに申し訳ねぇでがす。腕っぷしが自慢のこのアッシも、全然歯が立たねえでげすよ」
 「ヤンガス、ムリはしないでいいんだ。下手なことをして、看守たちの気に障るようなことはしないほうがいいよ」
 「そうでげすが・・・しかし・・・」
 「大丈夫。僕たちは無実なんだ。きっと、それをわかってもらえる日が来るよ」

 前向きなエイリュートの言葉に、ヤンガスは黙り込む。
 果たして、そうだろうか・・・。本当に、エイリュートたちの潔白が証明される日はやって来るのだろうか。

***

 昨日の出来事が、まだ夢のようだった。
 黒犬を追いかけ、法皇の館までやって来た。そこで、黒犬と戦闘になり、見事にそれに打ち勝った。
 だが・・・そこで、エイリュートたちが法皇の命を狙ったと濡れ衣を着せられ、この世の地獄とも言われている煉獄島へ流刑となった。
 エイリュート、ヤンガス、ゼシカ、ニノ大司教、そしてククール・・・。
 は何度もロザリオを握りしめ、エイリュートたちの無事を祈った。これが全て夢だったらいいのに、と何度も願った。
 だが、何度祈りを捧げても、の前に愛しい人の姿はなく、視界に入って来る部屋の景色も、見慣れぬ風景だった。
 ここは法皇の館の一室。マイエラ修道院の時と違い、頑丈な扉だ。それでも脱走はできる。今すぐにでもここを出て、煉獄島へ向かい、ククールたちを助けなければ・・・。
 グッと拳を握りしめ、小さく呪文を唱え始めたときだった。コンコン、とドアがノックされた。

 「失礼いたします、王女」

 扉を開け、聖堂騎士の礼をしたのは、ククールたちを流刑にしたマルチェロ・ニーディス本人だった。
 キッときつくマルチェロを睨みつける。だが、マルチェロはそんなの睨みをものともしない。

 「あなたをここへ閉じ込めていることを、お許し願いたい。ですが、放っておけば、あなたはあの罪人たちを助けに行くつもりでしょう?」
 「当然ですわ! ククールたちは、罪人などではありません! あなただって、わかってるはずです!」
 「ええ、そうですね。私はニノ大司教と、あの愚弟と仲間を利用したに過ぎない。いや、弟と言うのも虫唾が走る。あのような男と半分でも同じ血が流れているとは・・・」
 「そのあなたの弟が、わたくしと恋仲にあると言っても、あなたはその考えを改めないつもりですか?」
 「・・・何?」

 ピクッと眉間に皺が寄る。もちろん、そんなことは初耳だったのだろう。まさか、聖王国の王女と、修道院を追放された聖堂騎士が恋に落ちるなど、誰が考えるだろうか。

 「・・・王女、とうとうご乱心されましたか?」
 「失礼なことを・・・。わたくしは、正常ですわ。あなたのほうがおかしいのではありませんか! 罪を犯していないニノ大司教に、濡れ衣を着せ、流刑にするなど・・・!!」
 「王女・・・私がなぜ、あなたをあいつらと一緒に流刑にしなかったか、わかりますか?」
 「・・・え?」

 スッとマルチェロがに近づく。は慌てて後ずさり、距離を取った。

 「そなたは聖王国の王女・・・。その身分は申し分ない。そう、法皇の妻として」
 「何をバカなことを・・・!! わたくしが、あなたの妻になるとでも!? そんなことをするくらいなら、わたくしは自害いたします!」
 「それでは困るのだよ、王女。いや、そうはさせん」
 「!?」

 そう言うと、マルチェロは右手に持っていた杖を掲げた。その正体を知り、は愕然とした。

 「それは・・・!!」

 ラプソーンの封印の杖だ。まさか、この杖をマルチェロが手にしていたとは・・・。ゾクリ・・・背筋に悪寒が走った。は顔を青ざめさせ、マルチェロから距離を取ろうとする。

 「そんなに怯えないでいただきたい。ただ、あなたにはしばらくの間、私の言う事を聞いてほしいだけです」
 「何を・・・!」

 マルチェロが杖を振るう。は必死に目を閉じるが、頭の中に言葉が響く。
 我に全てを委ねよ・・・我に従え・・・我に全てを委ねよ・・・我に従え・・・。
 グッと歯を食いしばる。必死にその声を振り払おうとする。小さく祈りの言葉をつぶやき、必死に抵抗するが・・・。
 フッ・・・との意識が途絶え、その身体が崩れ落ちる。床に倒れこむ寸前に、マルチェロがその小さな身体を抱きしめた。

 「くっくっく・・・手に入れたぞ、美しき姫よ・・・。そなたは、私の妻となるのだ」

 遠い意識の奥で、マルチェロのそんな言葉を聞いたような気がした。

***

 あれから、何日が経過しただろうか。
 すでに希望もなく、先に捕らわれていた囚人たちのほとんどが息を引き取った。餓死したのだ。
 エイリュートたちの気力も、もはや限界に近付いて来ている。強靭な肉体と精神を持ってしても、この日数、飲まず食わずではムリもない。
 日に一度の見張りの交代を、もう何度見ただろう。最初は声を荒げていたニノ大司教も、今ではほとんど動けずにいた。

 「ゼシカ・・・しっかり・・・」
 「・・・うん」

 グッタリとして、エイリュートの肩に完全に身体を預けたゼシカの頬に触れる。あんなに生気に満ちていた彼女が、今では見る影もない。
 頬はげっそりと痩せこけ、目の下には隈が出来、髪の毛も脂ぎっている。
 だが、それはエイリュートたち全員が同じだ。よくもここまで生きているものだと感心するほどの有様だった。
 そして、今日もまた看守の交代の時間がやって来た。

 「どうでい。なんか面白ぇ話はねえのかい。丸一日この穴倉で囚人共のシケた顔見てんのにゃ、もううんざりだよ」
 「おう。大ニュースがあるぜ! そりゃもう、世界中大騒ぎだ」
 「なんでえ、もったぶんなよ。さっさと教えてくれ」

 もはや顔を動かすのも苦痛だが、エイリュートはそっと看守たちに視線を向けた。

 「聞いて驚くなよ? なんと・・・法皇様が一月前にお亡くなりになったそうだ」

 看守の言葉に、ニノ大司教が立ちあがる。話を聞いていたヤンガスたちも愕然としていた。

 「なんじゃと!? 法皇様がお亡くなりに・・・そ、それは真かっ!?」
 「うるせぇぞ! てめぇら囚人の知ったことか!」
 「ま、待ってくれ!! 法皇様に何があったんじゃ!? どうしてお亡くなりに・・・」
 「うるせぇっつってんだろ!」

 ニノ大司教の言葉に、耳を貸さずに看守たちは別の話で盛り上がり始めた。
 呆然とするニノ大司教に、エイリュートはゼシカをその場に寝かせ、立ち上がり歩み寄った。

 「・・・そんな・・・法皇様が・・・まさか・・・」

 ニノ大司教は信じられない、というように首を横に振る。よもや最悪の事態になってしまった。最後の賢者が亡くなったというのだ。イヤな予感がした。

 「・・・なんということじゃ。法皇様が一月も前にお亡くなりになっていたとは。一月前・・・法皇様が亡くなられたのは、ちょうどわしらがこの煉獄島に閉じ込められてすぐ後、か」
 「どうして・・・こんなこと・・・。姫がいながら、どうして・・・」

 を責めるつもりはないが、これまで助けに来なかったことといい、どうにも腑に落ちない部分がある。彼女の力を持ってすれば、エイリュートたちの無実を証明することができるはずなのに。

 「・・・のう、エイリュートよ。法皇様が亡くなられたと看守どもから聞いたとき、真っ先に思い浮かんだのがマルチェロの顔じゃ。ヤツはもしや・・・!? これはたぶん・・・いや、まさかヤツとてそこまで腐ってはおるまい。じゃが、この煉獄島に閉じ込められている身では、何も出来ることはない。真実を確かめるには、どうにかしてここから出ねばならん。どうにか・・・何か方法が・・・」

 ニノ大司教が考え込む。だが、この一月、何も手立てがなく、こうして捕えられていたのだ。今さらどうにかなるだろうか?

 「・・・わしに考えがある。皆を集めてくれ。頼む」

 何かを思いついたニノ大司教の言葉に、エイリュートはこくんとうなずいた。