檻は、ゆっくりと降りていた。すでに、日の光は届かない。次第に、エイリュートたちの口数も減っていっていた。
「・・・マルチェロはあくどい男だが、あの常人ならざる意志の強さと剣の腕とは、わしも認めざるをえん。わしは奴を利用してうまく立ち回り、次期法皇の座を我が物にしようと思っておった。わしに逆らう者たちを、マルチェロに始末させ、そうしてただ、わしは待っておればよい。ただ、地ならしをしてあとは待つつもりだったんじゃ! ・・・まさか、こんな事になってしまうとは。このわしが、あんな若造に・・・。おお・・・。耳を澄ましてみろ。地下から響く囚人たちの嘆きの声が聞こえる。とうとう・・・この世の地獄、煉獄島に着いてしまったか・・・」
檻から出されたエイリュートたちを、看守が檻へと押し込める。
檻の中には、エイリュートたちの他に5人の囚人がいた。その誰もが、やつれ果て、気力のない瞳をしていた。
「・・・ねえ、エイト。私たち、これからどうなっちゃうのかしら・・・。今度こそ、ラプソーンを止められるはずだったわ。それなのに・・・」
「大丈夫だよ、ゼシカ。姫がいる。姫がきっと、僕たちの無実を晴らしてくれるよ」
「・・・そう、よね。いくらマルチェロでも、姫の言葉を無視することなんて、出来ないわよね」
希望はまだあった。だが、その希望もここにいる囚人たちを見ていると、失ってしまいそうになる。
ゴホゴホと咳こむ囚人。淀んだ泥水を飲もうとする囚人。虚ろな目で自分の命が終わるのを待つ囚人。まさに地獄のような場所だった。
「トロデのおっさんたち、法皇さんのお屋敷の入り口に置いてきちまいやしたね・・・。おっさん、無事だといいんでがすが。アッシは心配でげす」
「トロデ王のことだから、きっとうまくやり過ごしてるよ。今頃、心配してるかもしれないね・・・」
フト、エイリュートは牢屋の隅で腕を組んだまま何事か考え込んでいるククールの姿に気がついた。まるで人を寄せ付けないような、ピリピリとした雰囲気があった。
「ククール・・・大丈夫かい?」
「・・・正直、ちょっと混乱しててさ。しばらく、そっとしておいてくれ・・・」
「うん、ごめん・・・」
兄の手によって、こんな場所へ投獄されてしまったククール。まさか、ここまでするとは思わなかった。裏切られたという気持ちでいっぱいなのだろう。
そして、・・・。今のマルチェロがに何もしないだろうか? ニノ大司教を追いやり、自分が次期法皇になろうとしているだろう今、の存在は大きな意味を持つ。
だがまさか・・・と、ククールはイヤな考えを振り払う。今はただ、の無事を祈ることしかできなかった。
「・・・神よ。初めて心からあなたに祈ります。どうか我らを・・・法皇様をお守りください・・・」
ニノが天を仰ぎ、つぶやく。だが、もはやその祈りの言葉は届かない。今のエイリュートたちには、どうすることもできず、ただ死を待つことしかできないのだから。
***
翌日・・・目を覚ましたエイリュートは、ボンヤリする頭を振って、辺りを見回した。すぐ隣に、ゼシカが座っていた。目覚めたエイリュートに、ゼシカはムリヤリの笑顔を作ってみせる。
「・・・おはよう。よく眠れた? 私は全然ダメ。ねえ、エイト。私たち、これからどうなるのかな。地上はどうなってるのかな・・・」
「きっと、トロデ王が僕たちを探してるだろうし、姫も・・・なんとかしようとしてくれてるはずだよ」
「うん・・・姫、あれからどうなったのかな。黒犬は倒したけど、あの杖は・・・。まさか・・・とは思うけど、また同じことの繰り返しなの?」
「繰り返しになんか・・・させないよ」
グッと拳を握りしめ、エイリュートは立ち上がる。彼はまだ希望を捨てていない。
「ニノ大司教・・・」
「おお、エイリュートか。・・・煉獄島。噂には聞いていたが、このような痛ましい場所とは・・・。恥ずかしい話じゃが、今まで何人もこの煉獄島送りにしたが、中を見るのは初めてなんじゃ。まさか・・・こんなひどい・・・いや、わしの言い訳はよそう。全ては己の責任やも知れぬな」
「今まで何人も、ここに送られ、そして絶望し、みじめに死んでいったんですね・・・」
エイリュートは振り返り、囚人たちを見る。もはや、誰もが生きる希望をなくしている。昨日まで起きていた、盗賊のような男も今では力なく座りこんでいた。
「兄貴、申し訳ねえでがす。なんとかこの牢獄をブチ破ろうとがんばってみたんでげすが・・・。ほんとに申し訳ねぇでがす。腕っぷしが自慢のこのアッシも、全然歯が立たねえでげすよ」
「ヤンガス、ムリはしないでいいんだ。下手なことをして、看守たちの気に障るようなことはしないほうがいいよ」
「そうでげすが・・・しかし・・・」
「大丈夫。僕たちは無実なんだ。きっと、それをわかってもらえる日が来るよ」
前向きなエイリュートの言葉に、ヤンガスは黙り込む。
果たして、そうだろうか・・・。本当に、エイリュートたちの潔白が証明される日はやって来るのだろうか。
***
昨日の出来事が、まだ夢のようだった。
黒犬を追いかけ、法皇の館までやって来た。そこで、黒犬と戦闘になり、見事にそれに打ち勝った。
だが・・・そこで、エイリュートたちが法皇の命を狙ったと濡れ衣を着せられ、この世の地獄とも言われている煉獄島へ流刑となった。
エイリュート、ヤンガス、ゼシカ、ニノ大司教、そしてククール・・・。
は何度もロザリオを握りしめ、エイリュートたちの無事を祈った。これが全て夢だったらいいのに、と何度も願った。
だが、何度祈りを捧げても、の前に愛しい人の姿はなく、視界に入って来る部屋の景色も、見慣れぬ風景だった。
ここは法皇の館の一室。マイエラ修道院の時と違い、頑丈な扉だ。それでも脱走はできる。今すぐにでもここを出て、煉獄島へ向かい、ククールたちを助けなければ・・・。
グッと拳を握りしめ、小さく呪文を唱え始めたときだった。コンコン、とドアがノックされた。
「失礼いたします、王女」
扉を開け、聖堂騎士の礼をしたのは、ククールたちを流刑にしたマルチェロ・ニーディス本人だった。
キッときつくマルチェロを睨みつける。だが、マルチェロはそんなの睨みをものともしない。
「あなたをここへ閉じ込めていることを、お許し願いたい。ですが、放っておけば、あなたはあの罪人たちを助けに行くつもりでしょう?」
「当然ですわ! ククールたちは、罪人などではありません! あなただって、わかってるはずです!」
「ええ、そうですね。私はニノ大司教と、あの愚弟と仲間を利用したに過ぎない。いや、弟と言うのも虫唾が走る。あのような男と半分でも同じ血が流れているとは・・・」
「そのあなたの弟が、わたくしと恋仲にあると言っても、あなたはその考えを改めないつもりですか?」
「・・・何?」
ピクッと眉間に皺が寄る。もちろん、そんなことは初耳だったのだろう。まさか、聖王国の王女と、修道院を追放された聖堂騎士が恋に落ちるなど、誰が考えるだろうか。
「・・・王女、とうとうご乱心されましたか?」
「失礼なことを・・・。わたくしは、正常ですわ。あなたのほうがおかしいのではありませんか! 罪を犯していないニノ大司教に、濡れ衣を着せ、流刑にするなど・・・!!」
「王女・・・私がなぜ、あなたをあいつらと一緒に流刑にしなかったか、わかりますか?」
「・・・え?」
スッとマルチェロがに近づく。は慌てて後ずさり、距離を取った。
「そなたは聖王国の王女・・・。その身分は申し分ない。そう、法皇の妻として」
「何をバカなことを・・・!! わたくしが、あなたの妻になるとでも!? そんなことをするくらいなら、わたくしは自害いたします!」
「それでは困るのだよ、王女。いや、そうはさせん」
「!?」
そう言うと、マルチェロは右手に持っていた杖を掲げた。その正体を知り、は愕然とした。
「それは・・・!!」
ラプソーンの封印の杖だ。まさか、この杖をマルチェロが手にしていたとは・・・。ゾクリ・・・背筋に悪寒が走った。は顔を青ざめさせ、マルチェロから距離を取ろうとする。
「そんなに怯えないでいただきたい。ただ、あなたにはしばらくの間、私の言う事を聞いてほしいだけです」
「何を・・・!」
マルチェロが杖を振るう。は必死に目を閉じるが、頭の中に言葉が響く。
我に全てを委ねよ・・・我に従え・・・我に全てを委ねよ・・・我に従え・・・。
グッと歯を食いしばる。必死にその声を振り払おうとする。小さく祈りの言葉をつぶやき、必死に抵抗するが・・・。
フッ・・・との意識が途絶え、その身体が崩れ落ちる。床に倒れこむ寸前に、マルチェロがその小さな身体を抱きしめた。
「くっくっく・・・手に入れたぞ、美しき姫よ・・・。そなたは、私の妻となるのだ」
遠い意識の奥で、マルチェロのそんな言葉を聞いたような気がした。
***
あれから、何日が経過しただろうか。
すでに希望もなく、先に捕らわれていた囚人たちのほとんどが息を引き取った。餓死したのだ。
エイリュートたちの気力も、もはや限界に近付いて来ている。強靭な肉体と精神を持ってしても、この日数、飲まず食わずではムリもない。
日に一度の見張りの交代を、もう何度見ただろう。最初は声を荒げていたニノ大司教も、今ではほとんど動けずにいた。
「ゼシカ・・・しっかり・・・」
「・・・うん」
グッタリとして、エイリュートの肩に完全に身体を預けたゼシカの頬に触れる。あんなに生気に満ちていた彼女が、今では見る影もない。
頬はげっそりと痩せこけ、目の下には隈が出来、髪の毛も脂ぎっている。
だが、それはエイリュートたち全員が同じだ。よくもここまで生きているものだと感心するほどの有様だった。
そして、今日もまた看守の交代の時間がやって来た。
「どうでい。なんか面白ぇ話はねえのかい。丸一日この穴倉で囚人共のシケた顔見てんのにゃ、もううんざりだよ」
「おう。大ニュースがあるぜ! そりゃもう、世界中大騒ぎだ」
「なんでえ、もったぶんなよ。さっさと教えてくれ」
もはや顔を動かすのも苦痛だが、エイリュートはそっと看守たちに視線を向けた。
「聞いて驚くなよ? なんと・・・法皇様が一月前にお亡くなりになったそうだ」
看守の言葉に、ニノ大司教が立ちあがる。話を聞いていたヤンガスたちも愕然としていた。
「なんじゃと!? 法皇様がお亡くなりに・・・そ、それは真かっ!?」
「うるせぇぞ! てめぇら囚人の知ったことか!」
「ま、待ってくれ!! 法皇様に何があったんじゃ!? どうしてお亡くなりに・・・」
「うるせぇっつってんだろ!」
ニノ大司教の言葉に、耳を貸さずに看守たちは別の話で盛り上がり始めた。
呆然とするニノ大司教に、エイリュートはゼシカをその場に寝かせ、立ち上がり歩み寄った。
「・・・そんな・・・法皇様が・・・まさか・・・」
ニノ大司教は信じられない、というように首を横に振る。よもや最悪の事態になってしまった。最後の賢者が亡くなったというのだ。イヤな予感がした。
「・・・なんということじゃ。法皇様が一月も前にお亡くなりになっていたとは。一月前・・・法皇様が亡くなられたのは、ちょうどわしらがこの煉獄島に閉じ込められてすぐ後、か」
「どうして・・・こんなこと・・・。姫がいながら、どうして・・・」
を責めるつもりはないが、これまで助けに来なかったことといい、どうにも腑に落ちない部分がある。彼女の力を持ってすれば、エイリュートたちの無実を証明することができるはずなのに。
「・・・のう、エイリュートよ。法皇様が亡くなられたと看守どもから聞いたとき、真っ先に思い浮かんだのがマルチェロの顔じゃ。ヤツはもしや・・・!? これはたぶん・・・いや、まさかヤツとてそこまで腐ってはおるまい。じゃが、この煉獄島に閉じ込められている身では、何も出来ることはない。真実を確かめるには、どうにかしてここから出ねばならん。どうにか・・・何か方法が・・・」
ニノ大司教が考え込む。だが、この一月、何も手立てがなく、こうして捕えられていたのだ。今さらどうにかなるだろうか?
「・・・わしに考えがある。皆を集めてくれ。頼む」
何かを思いついたニノ大司教の言葉に、エイリュートはこくんとうなずいた。