56.三角谷

 鳥の姿になり、黒犬を探していたエイリュートたちだったが、南に岩山に囲まれた集落を発見した。
 初めて訪れる場所だ。何かあるかもしれないと、エイリュートたちはその集落へ向かうことにした。

***

 集落の入り口に辿り着いたとき、エイリュートたちはあ然とした。なんと、そこにいたのはモンスターのバーサーカーだったのだ。

 「キーキーキャキャーッ!! お前っ!! さてはニンゲンだなっ! よく来たキャ〜。ここは、三角谷だよ〜ん」
 「なっ・・・なんじゃ!? こやつ。どこからどう見ても魔物ではないか!」

 いきなり姿を見せたトロデに、ヤンガスがいつもの「おっさん、いつの間に・・・」と言いかけるが、さすがに飽き飽きしているようだ。

 「やい、おぬしっ! 魔物でありながら、逃げも襲いもせず歓迎するとは、どういうわけじゃ!?」
 「ここ三角谷は、ニンゲンと魔物と・・・エルフが共に暮らす谷だよ〜ん。だから、ニンゲンを見ても逃げたりしないよん」

 思わず、仲間内で顔を見合わせてしまう。魔物と人間が一緒に住む谷とは・・・。以前、サザンビーク西の隠居した老人が魔物と一緒に住んでいたが、それと同じことだろうか。

 「な・・・なんたることじゃ。まさか、このような集落があるとはのう・・・。おお、そうじゃ! ここでならば、わしもコソコソせずに堂々と歩き回れるではないか! よし、エイリュート、行くぞ! わしについてまいれ!」

 そう言うと、トロデは村の中へと駆けて行く。まるで子供のようなはしゃぎっぷりである。まあ、ムリもない話だ。今まで、ずっと肩身の狭い思いで旅をしてきたのだ。羽を伸ばせるのがうれしいのだろう。

 「おっさんが町中を普通に歩けるのは、アッシの故郷パルミド以来でがすなあ・・・。あの時は面倒な騒ぎが起こったでげすが、ここでは何も起きなければいいでげすな・・・」

 なんとも不吉なことを言う。そう何度も騒ぎに巻き込まれたくはない。何事も起こらないことを祈るしかないだろう。

 「・・・トロデ王、なんだか異常にうれしそうね。まあ、気持ちはわかるけど・・・。こんな機会、めったにないし。ここはトロデ王に先導してもらいましょ」

 トロデはすでに村の中を歩き回っている。どうやら、バーサーカーが言ったことは本当らしい。村の中には人間の子供や大人、魔物が共存していた。
 その不思議な光景に、エイリュートたちは目を奪われてしまう。この静かな渓谷に、こんな集落があったなんて、夢にも思わなかった。

 「おい、エイリュート! わしは久しぶりに酒が飲みたいのじゃ! ここの支払いを頼む!」

 そう言って、トロデが招き寄せたのは、宿屋に併設するバーだ。ピュア・ギガンテスという名のカクテルが飲みたいらしい。一杯9ゴールド。このくらいの酒なら問題ないと、エイリュートはバーテンダーに9ゴールドを渡した。

 「こちらがピュア・ギガンテスでございます」

 すっと差し出されたカクテルグラスを手に取り、トロデがそれを一口。その表情がパァ・・・と明るくなった。

 「・・・む? むむむっ? 驚いたわい! 主人! こいつは、うまい酒じゃのう!」
 「お喜びいただけて幸いです。それでは、お酒のお供にここ三角谷の発祥の話でもいたしましょうか」
 「おお、わしはこいつをチビチビと楽しんでおるから、適当にやっててくれ」

 どうやら、トロデは真剣に聞くつもりがないらしい。相手はエイリュートたちがすることになった。

 「では、早速・・・。事の始まりは、今から数百年も昔にさかのぼります。七賢者の一人であるクーパス様は旅の途中、傷ついたエルフとギガンテスをお助けになったのです。恩を感じたエルフとギガンテスはそれ以来、クーパス様のお供としてその旅に同行しました。しかし、人間とエルフと魔物は寿命が違うもの。時が経ち、クーパス様は天寿を全うされました。残されたエルフとギガンテスは、クーパス様のご遺志を後世に残そうとこの谷に集落を作ったのです。そんないきさつもあって、この谷では人間と魔物とエルフが仲良く暮らしているのですよ。クーパス様のご遺志とは、世界を襲った暗黒神ラプソーンの恐怖を人々の記憶から消さないこと。なので、この谷の者たちは、訪れ来る旅人に必ず暗黒神の恐怖を語るのです」

 クーパス・・・という名前に聞き覚えがある。確か、リブルアーチのハワードがそんなような名前を口にしていた。七賢者、チェルスの祖先だ。

 「そのエルフとギガンテスは、まだ生きているんですか?」
 「はい。この村の一番奥の岩戸に住んでらっしゃいますよ」
 「・・・その人に会ってみようか。何か暗黒神について、聞けるかもしれないし」

 エイリュートの言葉に異論はない。トロデはこの酒場に残し、お酒のおかわりを頼めるようお金を渡してから、エルフとギガンテスに会いにいくことにした。

 「エルフって、伝承では見たことがあるけど、本物は見たことないわね」
 「森の妖精ですわね。男性も女性も、それはそれは美しい容姿をしていると聞いたことがありますわ。そして、人間の何百倍も長い年月を生きることができるとか・・・」
 「へぇ・・・人間の何百倍でげすか・・・」

 まるで想像がつかない。さて、この集落に住むエルフとは、一体どのような人物なのか。
 教わった岩戸へ入ると、そこにいたのは大きな身体のギガンテスと、1人のエルフの少女。いや、少女と言っても、彼女はエイリュートたちの倍以上を生きているのだ。
 思わず、その美しさに5人は見惚れる。美姫と名高いに見慣れている一行ですら、思わず言葉を失ってしまうほどだった。

 「旅の方ですね? ようこそ、三角谷へ」
 「あ・・・ど、どうも・・・」
 「私はエルフのラジュ。以前、この谷にチェルスという若者がおりました。しかし、チェルスは自分が偉大なる賢者の末裔であることさえ知らぬまま、旅先にて亡くなりました。・・・不思議なことですが、私はあなた方から微かにチェルスの気配を感じるのです。もしや、あなた方はどこかでチェルスに会ってはおりませんか?」
 「は、はい! 実は・・・チェルスは僕たちの目の前で・・・暗黒神ラプソーンに命を奪われたのです・・・」
 「なんですって? あなた方がチェルスの最期を看取ったと・・・。なんということでしょうか・・・。偉大なるクーパス様の末裔の最期を看取った方々が、この谷を訪れるとは。これもきっと、何かの因縁でしょう」

 ラジュはそっと目を伏せた。チェルスの思い出が彼女の脳裏に蘇ったのだろう。そっと浮かんだ涙を細い指で拭った。

 「今は、藁をもすがる思いであなた方にお頼み申し上げます。暗黒神ラプソーンの復活が近づいています。暗黒神の復活をなんとしても阻止してほしいのです。暗黒神が復活すれば、この世界はすぐに全てが闇に飲み込まれてしまうでしょう。暗黒神の復活を阻止せんとする私たちの数百年に渡る長き願い・・・どうぞ、聞き入れてくださいませ」
 「もちろんです! 僕たちは、そのために旅を続けているのですから」
 「ありがとうございます。これもきっと、クーパス様のお導きに違いありませんわ。暗黒神ラプソーンの復活を阻止する唯一の手段は、暗黒神の封印に使われた杖を、再び結界に封じ込めること・・・。私たちにも、せめてもの協力をさせてください。ドラング、来なさい」

 ラジュの声に、一匹のドラキーがパタパタと飛びながら近づいて来た。

 「この方たちに、クーパス様の遺された物を差し上げたいの。門番にそう伝えておいてちょうだい」
 「ドラキュッキュー!」

 返事をすると、ドラキーは岩屋を出て行った。

 「お聞きになった通りです。この谷の宝物庫にある宝を、あなた方に託します。クーパス様の遺された物に暗黒大樹の葉という闇の世界に生きる大樹の葉があります。その葉を地図の上に落とすと、禍々しき存在の居場所をただちに指し示すそうです。では救世主様、お頼み申し上げました。私たちは、この谷で吉報をお待ちしております」

***

 チェルス・・・その名前は、ゼシカにとって、深い傷を残した名前。けしてゼシカのせいではないが、彼女はその名前を聞くと悲しそうに目を伏せた。
 今も、宿屋のベッドの上で、ジッと静かに自分の手を見つめたまま、座りこんでいる。

 「・・・ゼシカ」
 「エイト・・・」

 エイリュートが笑顔を浮かべ、そんなゼシカの隣に腰を下ろした。見つめていた手を、ギュッと握り締める。

 「暗い顔してるよ」
 「・・・・・・」
 「チェルスのこと、考えてた?」
 「・・・うん」

 素直にうなずくゼシカ。自分の不注意のせいで、もっと早くに杖のことに気づいていれば、チェルスはレオパルドに殺されることはなかったのかもしれない。そう思うと、後悔の念でゼシカの頭はいっぱいになるのだ。
 は先日、自分を責めるなと言った。ゼシカも犠牲者だと言った。だが、ラジュたちの気持ちを考えると、どうしてもそうは思えないのだ。

 「チェルス・・・その名前を聞くと、胸が痛むわ・・・。私がもっと慎重に行動してれば、彼を死なさずに済んだのかもって・・・胸が痛むの」
 「ゼシカは精一杯のことをしたじゃないか。悪いのはゼシカじゃない。人を操り、殺めていくラプソーンだ」
 「でも・・・」
 「ゼシカ、チェルスだけじゃないよ? マスター・ライラス、サーベルトさん、オディロ院長、ギャリングさん、メディおばあさん、守れなかったのはチェルスだけじゃないんだ。僕たちの力が及ばずに、何人もの人が犠牲になった。それは、ゼシカだけの責任かい?」
 「それは・・・! でも・・・」

 ギュッと、エイリュートがゼシカの身体を抱きしめた。そのまま、ポンポンと背中を優しく叩く。子供をあやすかのように、優しい調子で。

 「暗黒神ラプソーンの復活を阻止する。それが、今、僕たちがするべきことだよ」
 「エイト・・・」
 「確かにチェルスの死は残念だし、ショックだった。だけど、いつまでも気にしていたら、前に進めない。チェルスの死に報いるためにも、僕たちは絶対に暗黒神を復活させるわけにはいかないんだ」

 そっと身体を離し、エイリュートはゼシカを見つめる。大きな瞳に涙を浮かべるゼシカに、エイリュートは優しく微笑んだ。

 「最後まで諦めず・・・一緒に戦ってくれるよね?」
 「・・・うん、うん、エイト・・・」
 「ありがとう・・・ゼシカ」

 ゼシカの目尻に唇を寄せ、エイリュートはそっとゼシカの唇に口付けた。
 けして諦めない。まだ、間に合う。黒犬を倒し、杖を封印し、ラプソーンの復活を阻止するのだ。