神鳥の魂でその姿を鳥に変え、向かった先はサヴェッラ大聖堂だ。いや、厳密に言うと、その敷地内にある法皇の館だ。
ククールが先日危惧した通り、一同の考えは同じだった。
暗黒神の狙いは、法皇・・・つまり、最後の賢者は法皇である・・・と。
そうと決まれば、レオパルドは必ず法皇のもとへやって来る。注意を促すことしか、今はできないが、それだけでも十分だろう。
やがて見えてくる法皇の館・・・エイリュートたちは、その場所に着地した。
***
法皇の館を見つめ、エイリュートたちは思わずため息をついた。背後を見れば、遠くにサヴェッラ大聖堂が見える。相当な高さがある。
「偉い人の考えることは、まったくわからねぇでがすなあ。はぁ・・・。そりゃ、見晴らしはいいが、何もこんな不便なところに住まなくてもいいのに。不思議でげす」
「法皇様ともなれば、いつ命を狙われるかわかりませんもの。そのため、わざとこのような場所にお住みになってらっしゃるのです。ここならば、ヤンガスも言った通り、不便な場所ですから。狙われることも少ないですわ」
「それじゃあ、黒犬のヤツも簡単には法皇の命を狙えないでげすね」
「けれど、向こうは空を飛べますから・・・。どうでしょう」
う〜ん・・・とヤンガスは腕を組んで唸りだす。
がそんなヤンガスを見てクスッと笑う。フト、ククールが感慨深い表情を浮かべて、法皇の館を見つめていることに気づいた。めずらしい表情だった。
「ククール? どうしました?」
「いや・・・まさか、生きてるうちに法皇様の館まで来ちまうとは・・・。人生わかんねぇもんだね。修道院にいた頃は、まるきり雲の上の人だと思ってたのに・・・。そうか・・・ここが・・・」
教会の人間にとって、法皇は絶対の存在だ。お目通りなど、かなうはずもない。そんな手の届かない人物の屋敷に招かれることなど、普通の僧侶では考えられない。
ククールだって、腐っても教会の人間、僧侶だ。法皇の偉大さは、よくわかっている。法皇のお傍近くに寄れることが、どんなに名誉あることなのかを。
「むむ、誰か来るぞ。こっちに隠れるんじゃ!」
「え・・・?」
それまで、エイリュートたちと同じように館の様子を眺めていたトロデが、こちらに近づいてくる人の気配に気づき、慌てて柱の影に身を隠した。
歩いて来たのは、立派な身なりをした老人。が「あっ・・・」と声をあげる。
「・・・法皇様ですわ」
「え・・・あの人が?」
その全身から、威厳のような威圧感を感じる。澄んだ瞳は真っ直ぐ前を見据え、淀みない。見るだけで心が洗われるような、そんな尊い人物に見えた。
その法皇の背後から、1人の青年が歩み寄って来る。今度はククールが「あ・・・」と声をあげた。やって来たのは、聖堂騎士団長、今はマイエラ修道院長のマルチェロだった。
「ここにおいででしたか。私に話とは、いかがなされました?」
「・・・ここは俗世より遠く離れた場所にある」
「はっ。館の警護は我ら聖堂騎士団にお任せを」
「じゃが、どこにいようと、人の噂は聞こえてくるもの」
法皇が振り返り、マルチェロと向き合う。少しだけ、厳しい表情に見えた。
「・・・マルチェロよ。おしゃべり雀どもの一番の話題は、そなたの事だ。よからぬ噂を耳にしておる。・・・そして、それはただの噂ではないのだろう」
「目立つ者は妬まれる。法皇様ともあろう方が、そのようなでたらめを信じるとは・・・」
「オディロは、わしの親友じゃった。かけがえのない、ただ一人の友。お互いに、そう思っておった。そなたに館の警護を任せ、わしの側仕えとしたには、理由がある。オディロのためじゃ」
法皇の言葉に、マルチェロの眉間がピクリと一瞬動いた。法皇はマルチェロから視線を外し、遠くを見つめた。
「親に見捨てられ、幼き頃よりオディロの子同然に修道院で育ったそなたが・・・これ以上、道を誤らぬよう、せめてわしの目の届く所に置いておかねば。そう思ったのだ。マルチェロよ、そなたは頭も良い。腕も立つ。聖堂騎士団を率い、よく働いておる。何故、それで満足できぬ? このままでは、わしはそなたを罰せねばならぬぞ。いや、そなただけの責ではない。教会が汚れ、金にまみれたのは、わしが不甲斐ないせいかもしれぬ・・・」
目を閉じ、法皇は静かに首を横に振る。己の無力さを嘆くかのように。
「・・・話は終わりだ。よいな? 今なら間に合う。正しき道に、その力を使え」
「・・・失礼いたします。法皇様に神のご加護がありますよう」
頭を下げ、マルチェロが法皇の前を辞する。まるで悪びれた様子など見せないその態度に、法皇は悲しそうに表情を曇らせた。
「もはや、わしの言葉すら届かぬのか・・・。我が友オディロよ。あやつの魂を救いたまえ・・・」
そのまま、法皇は館へと戻って行く。その姿を、エイリュートたちは黙って見守った。
「あいつ・・・法皇様にかわいがられてんだな。・・・なら、平気か。ああいう人が、オディロ院長みたいに、傍にいて叱ってくれんなら」
ククールが、すでに小さくなったマルチェロの姿を見つめ、つぶやいた。
「ですが、マルチェロは法皇様の言葉を無視していましたわ。なんて無礼な・・・。あのように、法皇様が気にかけてくださっているというのに」
「それでも、法皇様がいるのなら、道を外したりはしないさ」
そうだろうか・・・と、は思う。イヤな予感がしてたまらない。先ほどのマルチェロの表情。まるで法皇の言葉など通用しない、というような態度。
「アッシはマルチェロも苦手でげすが、偉い人のお説教は、もっと苦手でがす! もうさっきから背中どころか、全身がかゆくてかゆくて。死にそうでげすよ!」
「ヤンガスは一度、姫に説教された方がいいかもしれないね・・・」
「勘弁してくだせぇ! 姫さんのお説教なんざ聞かされたら、失神しちまうでげすよ!」
エイリュートとヤンガスのやり取りなど聞こえていないかのように、は法皇の館を見つめている。その瞳は不安で揺れていた。
「・・・姫、やはり法皇様にお会いしませんか?」
「え・・・?」
「黒犬が狙っているのが法皇様なら、それを伝えるべきだと思います。館には聖堂騎士が護衛についてるようですが、やはり心配でしょう?」
「エイリュート・・・ありがとうございます・・・」
門を開け、館の敷地内へ足を踏み入れる。やはり、緊張した。何せ、こちらは約束も取りつけず、勝手に入って来たのだから。
やはり、館の入り口で見張りの聖堂騎士に呼び止められるが、が名乗り出ると、聖堂騎士たちはすぐさま法皇へ取り次ぎをした。しばらくした後、聖堂騎士たちによって、法皇の部屋へと招かれた。
「王女・・・! なんと、久方ぶりですな」
「法皇様、突然の訪問、失礼いたしますわ」
こうして、間近で見るとその高貴な雰囲気をさらに感じることができた。もはや、エイリュートたちは緊張してしまい、身動きすら取れない。
「近頃は不穏な話ばかり耳にしますが・・・王女、父王はお元気かな?」
「はい、法皇様。一時、体調を崩しておりましたが、今は回復しております。法皇様は、相変わらずにお元気でいらっしゃいますわね」
「いやいや・・・近頃は年のせいか色々としんどくなってきましたぞ。だが、王女に久方ぶりにお会いして、元気が出て来たようだ」
「まあ・・・ありがたいお言葉ですわ」
にこやかに、まるで緊張などせずに法皇と言葉を交わすを見て、エイリュートたちは改めて彼女が聖王国の王女であることを認識した。
「ところで、そちらは? 王女の護衛の方かな?」
「いえ、共に旅する仲間です。エイリュート、ヤンガス、ゼシカ、ククールの4名です」
「はっ、初めまして・・・!」
ぺこりと頭を下げるエイリュート。ヤンガスは肩を縮め、ゼシカはスカートの裾を持って膝を折る。ククールは聖堂騎士の礼をした。
「・・・ほう。そなたは聖堂騎士か」
「いえ、私は・・・」
「ええ、そうですの! マイエラから、わたくしを傍で守ってくださってますの!」
否定しようとしたククールの言葉を遮って、が声をあげた。まさか、修道院を追い出されたなどと言うわけにはいかないだろう。理由を説明など、できるはずがない。何せ、法皇は潔癖な方なのだから。
「・・・ほう。面白いこともあるものだ」
フト、法皇の視線がククールからエイリュートへ向けられると、驚いたような表情を浮かべた。
「そなたからは、何か神聖な力を感じる」
「え・・・? 僕から、ですか??」
「はっはっは。いきなり驚いたかね? なあに、年寄りの戯言だ。そなたたちの行く道に、神のご加護があるように」
「あ、ありがとうございます! 法皇様。失礼いたしますわ!」
頭を下げ、が礼を言い、そのままエイリュートたちの背中をグイグイと押し、法皇の部屋から出た。
「・・・・・・」
「・・・な、なんで法皇に黒犬のことを言わなかったんでげすか? 姫さん」
「なんだか、法皇様を見ていたら、黒犬のことを言いづらくなってしまって・・・。あの法皇様が命を狙われてるなんて、そんな・・・そんな不吉なこと、わたくしはどうしても言えなかったのです!」
その考えを振り払うかのように、強く頭を振るに、ククールが肩を抱き寄せた。
「まあ、確かに・・・言いにくいよな。“あなたは命を狙われてるんで、守らせて下さい”とはな」
「そうよね。いくら姫の言葉とはいえ・・・ちょっと失礼にあたるわよね。それよりも、今は黒犬を法皇様に接触させないことを考えましょう。どこにいるのか、突き止めなきゃ!」
ゼシカが拳を握りしめ、気合いを入れるように声をあげた。そんなゼシカの言葉に、エイリュートもうなずいた。確かに、ゼシカの言う通りだ。今は、黒犬がどこにいるのかを把握するべきだ。
「こっちも空を飛べる手段ができたんだ。まずは空を探してみよう。運が良ければ、見つけられるかもしれない」
エイリュートの提案に異存はない。仲間たちはうなずき合い、法皇の館を後にする。
と、ククールが立ち止まる。何かあったのか?とが彼の視線の先を見て・・・納得した。
そこにいたのは、マルチェロだ。こちらに背を向けているので、ククールの姿には気づいていない。顔を合わせれば、また嫌味を言われるのだ。気づかれない方が好都合である。
「・・・ククール、行きましょう」
愛しい王女の声に、ククールは我に返る。
法皇は「よからぬ噂を耳にしている」と言っていた。恐らく、ニノ大司教に取り入ったり、金の力でのしあがってきたことを、法皇は知っているのだろう。
いつからなのだろう・・・。兄の目的が、自分が考えることよりも、もっと大きなものに変わったのは。そして、その野望のために、汚い手段を用いるようになったのは。
だが、今のマルチェロと自分は関係ない。マルチェロが何を考え、企んでいようと、自分には関係ないのだ。もはや、他人といってもいい。修道院を出た身なのだから。
それでも、どこか気になってしまうのは、きっと同じ血が半分だけ流れているせいなのだろう。
「ククール、そろそろ行くよ」
エイリュートの声に、小さくうなずく。
もう一度、マルチェロに視線を投げた。だが、すでにそこに兄の姿はなかった。