48.逃げた黒犬

 メディの亡骸を遺跡の墓地に丁重に埋葬し、グラッドは一息つくと、落ち着きを取り戻した様子でエイリュートたちを振り返った。

 「あの黒犬は、東の方へ飛び去ったと言ったね? 東か・・・確か東には法皇の住む島があったはず・・・。キミたち! キミたちは黒犬を追って旅をしているんだろう? だったらお願いだ! 二度と母のような犠牲者を出さないよう、あの黒犬を追いつめて、必ずヤツを倒してくれ!」
 「あんたに言われんでも、そうするつもりだったんじゃがな・・・。やっと追い付いたのに、飛んで逃げられてしまうんじゃどうしようもないではないか!」

 トロデの言う通りだ。こちらには空を飛ぶ術はない。飛んで逃げた相手を見つけるのは、至難の業だ。せめて、こちらも空が飛べれば・・・と思うのだが。
 どうしたものか・・・と顔を突き合せる一同。と、グラッドがパッと顔をあげた。

 「・・・そうだ、レティスだ! 相手が空を飛ぶなら、こっちも空を飛ぶ者・・・神鳥レティスの力を借りればいいんだ! 実は、この遺跡のほこらには、レティスについて記された石碑があるんだ。確かそれには神鳥レティスは邪悪な者と戦うと書かれていたはず。レティスなら、きっとあの黒犬との戦いにも力を貸してくれるに違いないよ」
 「神鳥レティスって、今までに何度か聞いたことあるけど、本当に存在するものだったの? 私は、ただの伝説だと思ってたけど、暗黒神ラプソーンが実在するんだから、やっぱりレティスもいるのかもね?」
 「神鳥レティスか・・・。とりあえず、その石碑を見てみようか」

 エイリュートの言葉に、ヤンガスとゼシカがうなずく。そして、そのままメディの墓地の前で座りこんだままのへと視線を向けた。

 「・・・ククール、姫を頼む」
 「ああ・・・」

 オディロ院長、チェルスに続いて、メディまで。目の前でむざむざと殺されたのだ。神に仕える巫女として、人の命が奪われることが、どんなにつらいことか・・・。
 座りこみ、祈りを捧げるの傍らに同じように座りこみ、ククールは静かに十字を切り、祈りを捧げた。

***

 石碑を見ると、確かにレティスについて書かれていた。
 七賢者とレティスが、暗黒神と戦い、杖にその魂を封じたこと。レティスは無数の世界を旅することが出来ること。神鳥の島と呼ばれる島は、断崖に囲まれ、選ばれた者しか入れないこと。その島に入るには海図が必要ということだった。

 「結局、よくわからんかったのう。海図というのが、どこにあるのか見当もつかんし・・・」

 確かにトロデの言う通りだ。肝心の海図がどこにあるのか、それが記されていなかったのだ。

 「まあ、仕方ない。とにかく、黒犬が逃げて行った東の方へヤツを追うことにしようぞ!」
 「はい。東の方角か・・・ここから東・・・」
 「グラッドさんが、法皇の住む島があるって言ってたわよね・・・。最後の賢者が、そこにいるってことなのかな・・・?」

 何せ、黒犬には誰が賢者の血を引いているのか、わかっているのだ。
 それに対し、こちらにはその情報はなく、しかも空を飛ぶ手段が無いため、追いかけることもできない。こんなもどかしい話があるだろうか。

 「とにかく・・・まずは、その法皇の住む島へ行ってみよう!」

 エイリュートの言葉に、仲間たちはこくんとうなずいた。

***

 落ち着きを取り戻したは、静かにその島を見つめていた。
 サヴェッラ大聖堂・・・法皇の住む館と大聖堂を守る島。は何度もこの島に足を運んだことがあった。巫女姫であっても、法皇は絶対の存在だ。法皇は神に仕える者の頂点に立つ者だからだ。
 荘厳な建物・・・神聖な空気。そして、警備の聖堂騎士。どれをとっても、エイリュートたちには不似合いの場所と言えた。
 島に上陸し、大聖堂へ。は一礼を忘れない。

 「黒犬の・・・暗黒神の狙いは、恐らくオレの推測通りだろう」

 それは、も薄々と感づいていること。だが、恐れ多くて口になどできない。

 「けど、黒犬を追おうにも、先回りして待ち伏せしようにも、今のままじゃムリだ。ただの人間に空が飛べるわけない。神様の力でも借りなきゃな」
 「火事を起こしたり、空を飛んだり、水の上を歩いたり、まるで万能ね。・・・勝てるのかな、私たち」

 弱気なゼシカの言葉に、思わず4人は黙り込んでしまう。そんな仲間たちの様子に、慌ててゼシカはその言葉を撤回する。

 「ごめん。バカなこと言った。勝たなきゃ。それしかないもんね!」
 「うん・・・。不安になる気持ちはわかるけど、暗黒神を復活させるわけにはいかないんだ。僕たちが、止めなきゃ・・・絶対に・・・!」

 キッと上空を見つめる。その姿は無いが、確実に黒犬はここにいる人物を狙っている。

 「この大聖堂は警備も固い。黒犬野郎も簡単にゃあ忍び込めねぇはずでげす。あの聖堂騎士団の奴ら、気にくわねぇツラぁしてやすが、頼りにはなりそうでがすから」

 未だに聖堂騎士たちに恨みがあるヤンガスが、棘のある口調でそう告げる。確かに、彼らの力は万が一の時に頼りになるだろう。
 大聖堂を抜けて、裏庭へ。鳥たちが数匹、放し飼いにされているのが見えた。

 「法皇様は、神鳥レティスを信仰されていて、鳥たちを大切にしてらっしゃるのです。わたくしたちも、レティスの力を借りるのなら、大切にしなくてはなりませんわね・・・」

 少しずつ元気を取り戻したが、さえずる小鳥たちを目を細めて見つめた。

 「あの山の上にあるお屋敷が、法皇様の住んでらっしゃるお屋敷ですわ」
 「へぇ・・・。ねえ、事情を話して、私たちで法皇様の警備ができないかなぁ?」
 「・・・ゼシカ、申し訳ないのですが、いくらわたくしの力でも、いきなり法皇様にお会いすることは出来ないのです。逆に失礼にあたりますわ。権力を笠に、図々しく法皇様に会いに来た・・・と」
 「そ、そっか・・・。法皇様って、そんなに絶対的な権力なんだ・・・」

 信仰心をそれほど持ち合わせていない人物からしてみれば、驚きの事実だ。巫女姫であるですら、簡単に会う事ができないとは・・・。
 とりあえず、法皇の館に通じる門まで向かってみることにした。衛兵が2人、勝手なことをしないように、と見張っている。
 興味深く法皇の館を見上げていた5人の前に、出来れば会いたくない人物が姿を見せた。
 彼は、法皇の館に通じる門から、颯爽と出てきた。黒髪を後ろに撫でつけ、鷹のような目をした男・・・聖堂騎士団長、今はマイエラ修道院長のマルチェロだった。
 マルチェロがエイリュートたちの姿に気づく。その中に弟の姿を見つけ、ニヤリと不敵に笑った。

 「・・・これはこれは。どこかでお会いしたことがありましたかな?」

 白々しいマルチェロの言葉に、ククールがカッとなる。握った拳に力が入った。

 「・・・いい加減にしろ。オレの顔まで忘れたのかよ!」
 「ああ、そうだった。規律違反のあまりの多さに、修道院を追い出されたククール・・・確か・・・そう、そんな名前だったかな?」
 「・・・っ!」

 どこまでも嫌味なマルチェロの態度に、ククールがキッと睨みつける。

 「おやおや、怖い怖い。ほんの冗談ですよ。気分を害したなら失敬」
 「ずい分と失礼な態度ですわね、院長様」

 さすがのも、自身の恋人を愚弄されたのでは黙っていられない。スッとククールの背後から、マルチェロの前へ進み出た。もちろん、こちらも嫌味の一つを忘れない。
 姿を見せたに、マルチェロは一瞬だけ顔を歪め・・・だが、すぐに姿勢を正した。

 「これは! 王女・・・先日も申し上げましたが、いつまでもこのような者たちと行動を共にされないことを、お勧めいたしますよ」
 「わたくしは、わたくしの意思で彼らと共に旅をしているのです。あなたにどうこう言われる筋合いはありませんわ!」
 「王女、下賤の者と触れあっていては、あなたの信仰心も薄れてしまうのではないか、と心配しているのですよ。何せ、そこにいる者どもは、信仰心など毛ほども持ち合わせていないようですからな」
 「ご心配無用ですわ。わたくしの神への愛は、けして薄れることもありません。それとも・・・信仰心というのは、あなたのように人を見下す行動のことをおっしゃるのかしら?」
 「・・・これはこれは。また冗談のきつい」

 スッとマルチェロがの前に立ち、聖堂騎士の礼をする。

 「ご気分を損ねられたのであれば、謝罪いたします。けして、あなた様のことを愚弄したわけでは・・・」
 「ククールやエイリュートたちを愚弄することは、わたくしが許しません」
 「なぜ、あなたがそこまでその者たちを庇うのか、私には理解できませんが・・・あなたがそこまでおっしゃるのであれば」

 チラッとの傍らに立つ、自身の腹違いの弟を見やった。どこまでも冷たい瞳で。

 「申し訳ありませんでしたな、旅の方。・・・さてと。私にはこれより法皇様の警護の兵を選ぶという仕事がある。気楽な旅人と違って、遊んでいる時間はないのでね。この辺で失礼しよう。それでは、ごきげんよう。神のご加護があらんことを」

 エイリュートたちに礼をし、マルチェロがその場を離れて行く。ククールの握り締めた拳が、微かに震えている。例え、が庇ってくれたとしても、かけられた言葉は撤回できない。

 「ククール・・・あのさ・・・」
 「・・・何、なんか用?」

 声をかけようとしたエイリュートに、ククールが冷たい視線を向けた。

 「オレは別に話すことはない。ごちゃごちゃ話しかけてくんなよ。うっとおしい」

 今までに見たことのないククールの態度に、4人は言葉を飲み込む。普段はチャラチャラしている彼が、ここまで怒った姿を見せるのは初めてだった。
 だが、マルチェロの態度に憤慨しているのは、ククールだけではない。

 「あいつのあだ名、変更よ。2階からイヤミじゃなくて、どこでもイヤミ男っ!! 何よ、あの態度! 人をバカにするにもほどがあるわ!」
 「ぐあーーーっ!! なんていうか、こう、あのマルチェロってヤツに会うと、どうも背中がかゆくなるでげす!」

 ハァ・・・とククールがため息をつく。だが、怒りは収まらない。修道院にいた頃から、嫌味な男ではあったが、離れてからというもの、それに拍車がかかったような気がしてならない。
 マルチェロの姿が完全に見えなくなると、それまで様子を見ていた衛兵2人がコソコソと内緒話を始めた。

 「まったく、いい気なもんだ。辺境の修道院長ふぜいが、法皇様の護衛役だと? 本来なら名門貴族の出である俺たちこそが、その大役を仰せつかるはずなのに!」
 「どうせ賄賂をはずんで、うまく法皇様に取り入ったのさ。あいつのウワサは聞いてる。せいぜい、いばらしとけよ。どうせあいつは番犬どまり。華々しい出世もここまでだ。金でどうこう出来るのはここまでさ。後は生まれた身分が物を言う」
 「・・・おい!」

 エイリュートたちの姿に気づいたのだろう。衛兵の1人が慌てて片割れの腕を突いた。慌てて、何事も無かったかのように、姿勢を正した。

 「身分がどうとか、賄賂だとか、みんなどうしてそんな下らない事ばかり気にするの? 身分だ家だしきたりだ、って。全然意味ないじゃない、そんなの」

 憤慨した様子でゼシカは声を荒げるが、その脳裏に自分の実の母の顔が浮かんだ。

 「・・・お母さん、元気にしてるかな」

 ボソリと、寂しそうにつぶやかれた言葉に、エイリュートが優しく肩を叩いた。元気にしてるよ、と小さくつぶやきながら。

 「とても大きな声じゃあ言えやせんが、どうも教会の連中は生臭ばっかりで好きじゃねえ。どうもこう・・・胸の辺がイヤな感じになるでげす」
 「教会に幻想でも持ってたのか? つくづくおめでたいね」

 ヤンガスの言葉に、ククールが冷たく言い捨てる。未だ機嫌が悪いのだろう。

 「内情はあの通り、泥沼さ。閉鎖された世界にいる分、普通のヤツより歪んでやがる。あんただって、ここまでオレと旅してきたんだ。よくわかってんだろ?」
 「いや、ククールとマルチェロたちとは、全然違うでげすよ!」
 「そうですわ! あなたは金や欲にまみれた人間とは違います。あなたが教会のイヤな部分をたくさん見てきたのは知っています。そんな教会に嫌気がさして、ギャンブルに走ったこともわかっています。けれど・・・どうか神のことは・・・法皇様のことは、信じてください!」
 「・・・まったく、ありがたいお言葉だな。巫女姫のお説教というのは」

 に視線を向けることなく、ククールは歩き出す。話しかけるな、と暗に告げているその背中に、エイリュートたちは困った表情を浮かべ、顔を見合わせた。

***

 とりあえず、黒犬の情報を集めようと、サヴェッラ大聖堂の傍を聞き込みしていたエイリュートたちは、一つの興味深い話を聞いた。
 それは、船乗りたちの話であった。東の大陸の橋の下に、怪しげな洞窟があった・・・というのだ。東の大陸といえば、エイリュートたちの旅の出発地、トラペッタやリーザス村がある大陸である。
 そこは、大海賊キャプテン・クロウのアジトではないか・・・と船乗りは言う。そして、そのキャプテン・クロウは普通の船ではたどり着けない島へ渡るための海図を持っていた、というのだ。
 メディの遺跡で見た言葉に当てはまる。その海図があれば、神鳥レティスのいる島へたどり着くことが出来るのだ。
 海図についての情報は得られたが、黒犬についての情報は「数日前にこの辺りを飛んでいた」という少女の言葉だけだった。
 さて、どうしたものか・・・。

 「ここは一つ、今までの賢者がいた場所でもめぐってみるのはどうだろうか・・・?」
 「あ、そういえば・・・ベルガラックのカジノって、どうなったのかしらね? ギャリングさんが殺されてから、ずい分経つけど、まだ閉まったままなのかしら?」

 ゼシカがカジノのことを気にするなど、めずらしい。ククールなら、まだしも・・・。
 そういえば、ギャリングは賢者の1人だったのだ。何か情報があるかもしれない。そう思ったエイリュートは、ベルガラックへ行ってみることを提案した。
 もちろん、パーティのリーダーである彼の言葉に反論した者はいない。早速、ベルガラックへと向かうことになった。

 「・・・ククール」

 ベルガラックへ出発する前、が遠慮がちにククールへ声をかけた。先ほどまで、表情は硬く、明らかに機嫌を損ねた表情だった彼は、の声にいつもの微笑みを浮かべてくれた。

 「大丈夫ですか・・・?」
 「ええ、先ほどはすみませんでした。もう大丈夫ですよ」
 「そうですか・・・それなら、安心しましたわ。ククール・・・わたくしは、何があってもあなたの味方ですわ。あなたのことを、想っています」
 「・・・姫」

 だから、悲しい顔をしないで・・・とはククールの手をそっと握り締めた。