禍々しい空気をまとった1人の少女が、大きな屋敷の前に立ちはだかった。少女が臆することなく、門を開き、中へ入った。
その姿を見つけ、そこにいた衛兵が声をあげる。
「おい、お前・・・! ここは大呪術師ハワード様の邸宅だぞ! 何用だ!?」
「・・・クスクス。悲しいわね。自分の身の程をわきまえない愚かなヤツ」
「な、何だと!?」
そのまま、屋敷の中へ入っていこうとした少女に、衛兵が剣を抜き、斬りかかろうとしたが、少女が手にした杖を振ると、すさまじい電撃が衛兵の身体を襲った。
「ぎゃあああっ!!!」
響き渡る悲鳴を聞き、少女はクスクスと不気味な笑みを浮かべた。
***
聞こえてきた悲鳴に、エイリュートたちは駆け出した。明らかに、このリブルアーチの町で何かが起きているのだ。
走りだした一行の前に飛び込んできたのは、人だかり。「どうかしたんですか!?」と声をかけると、数人が青ざめた表情で振り返った。
「さっき、見慣れない若い女がそこの階段を上がって行ったんだ。その後に、悲鳴が・・・」
「あれは、ハワード様の屋敷から聞こえたわ!」
「女の人が衛兵を倒してハワード様のお屋敷の中に入って行ったんです! だ・・・誰かが早く助けなきゃ! 大呪術師ハワード様の身に何かあったら、この町はおしまいです!」
見慣れない女・・・女の人が・・・イヤな予感がした。
慌てて人混みをくぐり抜け、大きな屋敷の庭に入れば、確かにそこには衛兵が1人倒れていた。
「しっかりして下さい! 大丈夫ですか!?」
エイリュートが衛兵の身体を抱き起こす。まだ息はある。
「く・・・くそっ! 女と思って油断したか! ど・・・どこの誰だか知らんが、ハワード様を、お守りしてくれ! 今すぐ、屋敷の中に・・・くっ!!」
苦しそうな衛兵の姿。だが、屋敷の中にいるハワードという人物を放っておくわけにもいかない。
「姫、この人を頼めますか?」
「ええ、わかりましたわ、エイリュート。さあ、早く屋敷の中へ!」
「お願いします!」
をその場に残すと、3人は屋敷の中へ入った。
入ってすぐに目に飛び込んできたのは、そこにも倒れていた衛兵。に彼らのことも頼むと、2階にハワードがいると聞き、急いで2階へと上がった。
「それ以上、近づくなっ!! 何者だか知らないが、ハワード様に手をかけようというのなら、この僕が容赦しないぞっ!!」
聞こえてきた声。何せ、相手はそうとうの強さを持つ。ここで飛び込むのは危険だ。エイリュートたちは物陰に潜んだ。
「なーにが“この僕が”じゃ。お前が容赦せんかったからと言って、何ができるんじゃ。このボケナス。チェルスよ、そこをどけ」
「ハ・・・ハワード様っ!」
「・・・女よ。わしを大呪術師ハワードと知っての狼藉じゃろうな? だが、生憎だったな。わしはわしでお前さんが来ることくらい、占星術でとっくに予知しとったのじゃ。故にわしを殺そうとする杖使い女を退治するまじないも、すでに会得済みというわけじゃ。今回は残念じゃったな! さあ、尻尾を巻いて退散するがいい!! ・・・せりゃあ!!」
聞こえてきた掛け声とともに、魔力が動く気配がした。かなり強い魔力だ。
「クスクス・・・悲しいわ・・・。4人の賢者の魂を得た、この杖の前ではそんな結界がなんの意味もないことが、わからないのね」
その女の声に、エイリュートたちは愕然とした。イヤな予感はしていた。だが、それが的中してしまうことを、心のどこかで否定していたからだ。
そっと、部屋の中を窺えば・・・見慣れた少女が杖を振るい、床に描かれた結界を打ち消したところだった。
「な・・・何っ!? そ・・・そんなバカな! もう一度食らえっ! せりゃあっ!!!」
再び結界を生みだしも、やはり杖を振るっただけで、それは消えてしまう。あ然とするハワードと、傍らの男をあざ笑うように少女が一歩、近づいた。
「さあ、もう終わりにしましょう。あがき続けるのを見ているのは悲しいの・・・」
このままではマズイ。エイリュートたちは、慌てて部屋に飛び込んだ。
「ゼシカ! やめろっ!!」
咄嗟にエイリュートが少女の名前を呼び、制止の声をあげる。そのエイリュートの声に、杖を持った少女・・・ゼシカが振り返った。
だが、そのゼシカの様子を見て、3人は呆然とする。彼らが知っているゼシカの姿と、あまりにもかけ離れていたからだ。
青い顔、鋭い目つき、そして全身を覆う禍々しい空気・・・。これが、あのゼシカだというのか・・・。
「・・・あら? ウフフ。もう来たの? 思ったより早かったわね。ウフフ。結界が役に立ったわね。今の茶番がなければ、とっくに死んでいたはずなのに。今日のところは退散してあげるわ。この人たちを相手にしながらじゃ、さすがに私も分が悪いもの。今度来る時までには、もっと守りを万全にしておくといいわ。それじゃあね」
「ま・・・待ってくれ・・・!! ゼシ・・・!!」
エイリュートが手を伸ばし、ゼシカの腕を掴もうとするが、一瞬遅かった。ゼシカの姿は、その場からスッと消えた。
エイリュートの手が、力を失う。まさか・・・こんなことが、本当に起こるなんて・・・。
「兄貴・・・」
ヤンガスの声に、ようやく我に返り、エイリュートは床に膝をつき、肩で息をしている男に視線を向けた。派手な緑色のローブと帽子に身を包んだ、いかにも強欲そうな男。彼が大呪術師ハワードだ。
「ぜい・・・ぜい・・・た、助かったか! ひいふう・・・危機一髪じゃったわい!」
「ハワード様! おケガはありませんでしたかっ!?」
「ええいっ、触るな、汚らわしい!」
慌てて傍らの男性が声をかけると、ハワードはその手を振り払った。
「こんな時だからといって、わしに取り入ろうったって、そうはいかんぞ!」
「そ・・・そんな、私はただ・・・」
「もうええわい! お前はレオパルドちゃんにご飯でもやってこい! わしはそこの御仁と話がしたいのじゃ!」
「は・・・はい・・・」
チェルスと呼ばれていた気弱な青年は、ハワードの言葉に従い、部屋を出て行った。
あんまりなハワードの態度に、エイリュートたちは嫌悪感を顕にするが、当のハワードはまったくそのことに気がついていないようだ。
「そこの御仁。どうやら、わしはお前さんに助けられたようじゃな。さあ、こちらに来なされ」
「・・・・・・」
「兄貴、あそこのおっさんが呼んでるみたいでげすよ」
「なんだか、すげえイヤな予感がするな・・・。まあ、エイリュート、とりあえず話を聞いてみようぜ」
ククールの言葉に、渋々といった様子で、エイリュートがハワードに近づいた。
「どこの誰か知らんが、もちろんわしが誰かは知っておるじゃろう。わしが偉大な大呪術師ハワードじゃ。わしの命を助けたとあらば、お前さん、これは名誉なことじゃぞ。よかったな。まあ、わしのことは気軽にハワード様とでも呼ぶとよいじゃろう」
「・・・・・」
「兄貴、アッシはイヤな予感がしてきたでげす」
「なんだか、どっかの王子を見てるような気分だな」
上から目線のハワードは、3人にイヤな男の顔を思い出させた。
そんな3人の気持ちなど知らず、ハワードは話を続ける。
「それにしても、あの杖使い女め・・・また来るような不吉なことを言い残していきよったな。しかし、さっきの結界以上に強力な結界の術となると、さすがのわしでも簡単には出来ん。そこでじゃ。助けてもらった礼も兼ねて、お前さんに仕事をやろう。引き受けてくれるな?」
「いいえ、結構です」
「わっはっは! 遠慮深いヤツじゃ。このわしから仕事を仰せつかったとあらば、これまたみんなに自慢できるのじゃぞ。どうじゃ、気が変わったじゃろ? 引き受けてくれるな?」
「・・・・・・」
「ふむ。実は、この町にクランバートル家という、古くからの彫刻家の家系があってじゃな。その家に代々伝わる、クラン・スピネルという二つの宝石には強力な魔の力が宿っておるのじゃ。わしも以前から譲ってくれと頼んできたのじゃが、何しろ先代が頑固者でな。聞く耳持たんのじゃ」
「・・・オッサンのことだから、高圧的な頼み方をしたんでげしょうな・・・」
ボソッとつぶやいたヤンガスの言葉は、ハワードには聞こえなかったようだ。
「そこで、お前さんにクラン・スピネルを譲ってくれるよう、クランバートル家に頼んでほしいのじゃ。いくら頑固者とはいえ、誠心誠意頼めば、気持ちは伝わるじゃろ。まあ、やり方はお前さんに一任するがな。あの宝石なくしては、杖使い女に対抗できる結界は作れん。急いで頼むぞ。おっと、忘れておった。クランバートル家は、今は我が敷地の噴水の下に住んでおるからな」
***
ハワードのいた部屋を出ると、3人の間からは知らずため息がこぼれた。なんという身勝手で偉そうな男なのだろう。
「クラン・スピネルなあ? とにかく、そいつを手に入れるまで、がんばってみるとするか? 今じゃ、オレたちとゼシカとの接点は、あのハワードっておっさんしか、なくなっちまったわけだしな」
「さっきのハワードとかっておっさん、ありゃあ相当な食わせもんでがすよ。あのおっさんの命令に従うかどうかは、兄貴にお任せするでげす」
「本当なら従いたくはないけど・・・ククールの言う通り、僕たちとゼシカの接点は、ハワードさんしかない。ゼシカは、また来るって言ってたし・・・。仕方ない。クラン・スピネルを譲ってもらいに行こう」
気が進まないが、それしか方法はない。結界が完成すれば、もしかしたらゼシカを傷つけずに元に戻せるかもしれないのだ。
屋敷の外へ出れば、が心配そうな表情で待っていた。彼女に頼んだ衛兵は、どうやら回復の魔法を受けてどうにか無事らしい。
事情を知らないに、先ほどの出来事を話すと、やはり愕然とした表情を浮かべた。
「ゼシカが・・・そんな・・・!」
「それで、結界を作るのに必要なクラン・スピネルという宝石を譲ってもらいに行くんですが・・・」
聞こえてきた犬の吠える声に、エイリュートたちは視線を動かす。見れば、先ほどのチェルスという青年が大きな黒犬に餌を与えているところだった。
「ほら、レオパルド。ご飯だよ。ここに置くからな」
優しくそう声をかけたというのに、黒犬は威嚇するように大きく吠えた。驚いたのか、チェルスが尻もちをついてしまう。
「ご・・・ごめんよ、レオパルド。何か気を悪くしたかい? ごめん・・・ホント。謝るよ」
がチェルスの方へと歩み寄るのを見て、エイリュートたちも彼女に従った。
チェルスがエイリュートたちの姿に気がつく。「あ・・・あなた方はさっきの・・・」とつぶやき、立ち上がった。
「さっきは本当にありがとうございました。ハワード様がご無事だったのは、あなた方のおかげです。・・・見たところ、どうやら旅の人みたいですね」
「ええ、とある事情があって、ここまで旅を続けてきました」
「やっぱり。そんな気がしました。僕も半年前まで、あてもなく世界中を回る旅人でしたから。それが半年前・・・たまたま辿り着いたこの町で、お金も底を尽きた僕は、腹ペコで倒れてしまい・・・。その時の僕を助けてくれたのが、他ならぬハワード様だったんです。おまけにハワード様は僕をお屋敷に雇い入れてくれて・・・。言葉にならないほど、感謝してます」
「でも、あんなひどいことを言われたのに、どうして・・・」
「時々冷たく見えるときもありますけどね。でも、心の実は本当に優しい人なんですよ」
本当にそうなのだろうか。あの強欲そうな男からは、そんな気配は見受けられなかったが。
とにかく、今はクランバートル家へ行くのが先だ。ハワードに教わった場所にあった家を訪ねると、中から男の人が顔を覗かせた。
「なんですか、あんたらは?」
「あの・・・ここはクランバートル家ですか・・・?」
「いかにも、クランバートル家は我が家ですが・・・」
「あの・・・じつは、クラン・スピネルという宝石を譲ってもらいたくて、伺ったんですが・・・」
「クラン・スピネル? ああ、そういう話なら父さんにしてください。と言っても、この町にはいませんけどね。父さんはこの町の北で、塔を作っています。ああ、そうだ・・・ちょっと待ってください」
そう言うと、男性は家の中に引き返し、数分後に戻って来た。
「塔に入りたいなら、これを持って行くといいでしょう」
そう言って差し出したのは、石でできた剣だった。
「その剣を塔の扉の穴に突き刺せば、扉が開くはずです。父さんはライドンといいます。もし塔で父さんに会ったら、たまには家に帰れと伝えてくださいよ」
「ありがとうございます。お父さんに会ったら、伝えておきますね」
ペコリと頭を下げ、エイリュートたちはクランバートル家を後にした。
「この町から北にある塔、か・・・。よし、行こう」
「ちょっと待て、エイリュート・・・。急ぎたい気持ちはわかるけど、今日はもう遅いぜ。宿屋に泊って、明日にしよう。このまま疲れたままじゃ、塔に登ってる間にぶっ倒れちまうぜ」
「そうでげす、兄貴・・・。最近は野宿ばかりだし、アッシも久々にベッドで眠りたいでがすよ」
「エイリュート、旅の準備もありますし、今日はここで休むことにしましょう?」
すぐにでも塔へ向かいたいエイリュートを必死に宥め、どうにか今日はリブルアーチに留まることにしたのであった。